日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

投票日の朝に思う…

2007年04月22日 | Weblog
 4月ももう終わりです。
東京では桜も散り、若葉の季節になってきました。老木から小さな若葉がでてきました。また、ハナミズキ、ツツジが咲き始めました。
そして、そろそろ、気持ちはゴーレデンウイークにむかっています。一年に何度もないこの連休を「いかに過ごすか…」今から楽しみなところです。
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 さて、毎朝、通勤駅頭で市議選の候補者が「お願いします!」を連呼していた選挙候補者の声も昨日で終わりました。今日はその投票日となります。さすがに、市議選で候補者の声もより身近に感じた一週間でした。
 今週、この選挙戦で悲しい出来事が長崎県でありました。
 それは、市長立候補をしていた伊藤一長氏が選挙期間中に暴力団のよって至近距離から拳銃で撃たれ死亡したという事件です。
 一方、アメリカではバージニア工科大学で学生の拳銃乱射によって32人もの若い命が消えていきました。
 「拳銃」という同じ凶器によって倒れたわけです。一人の生命も、何十人もの生命も一瞬のうち奪い取ってしまう暴力が起きたいう事件でした。この二つの事件からますます「拳銃」という凶器が身近なものになってきたのかいう感想です。さらには、市長選挙で撃たれて死亡した政治家のことを思うと、「政治家は命がけの仕事」なのだろう、といまさらのように思いました。そんな思いをして駅頭で「お願いします」を連呼している候補者もまた同じ仕事をしようとしていることにエールを送りたくなりました。ただ、残念なことに事件があった翌日、駅頭の候補者からはこの事件にたいする意見をいってなかったことでした。
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 いずれにせよ、二つの事件を解決するのは政治の問題でしょう。「銃社会」を肯定するアメリカか否定する日本か、政治の問題にして議論して人間にとって必要な選択をしなければならないでしょう。
 日本では拳銃は持てないという常識に対して歴史的な背景も含めて議論が必要になってくるのではないかと思います。わたしは、「本来ならば拳銃のない社会が最も大切だと」一般論を支持していきたいと思います。だいたい、拳銃で成り立つ社会はロクな社会ではないという認識があります。拳銃もいちばん非道な暴力だと思っています。
 しかし、今の日本の動きは「アメリカ化」が主流のようなところに不安を覚えます。グローバル化は経済だけでなく、それを背景に教育や人の生き方まで変えていくようです。こなままいくと、拳銃社会も否定できないものになっていくような気がします。
 それには反対です。生活と労働あるいは社会と暮らしのなかで考えれば、拳銃はいらないものあると思います。いるとしたら、権力者が市民を屈服させる最後の手段としての道具ではないかと思います。たとえば、警察官が犯罪者を逮捕すいために使う、あるいは国の治安をつくるために使う……。これも拳銃の使い方です。
 しかし、本当の問題は拳銃を使用する以前に課題があると思います。
 これらを解決するための政治がますます必要なってきて、その政治家を選ぶのも私たちの責任だとおもいます。
 そんなことを思いつつ、今回の選挙に一票を投じてきます。
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 とにかく、こどもたち、未来という見えない世界を残すは大人の責任です。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。