日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

50歳にして思うこと

2007年04月15日 | Weblog
 桜もとうとう、東京では葉桜なってしまいました。どこかで読んだ本のフレームに「桜は咲くまで楽しい…」ということが書いてありました。咲くぞ!咲くぞ!!…という流れのなかで自分がその桜のように変わっていく感情がすきなのかもしれません。そして咲いたとたん、はじけて「花見」となるのでしょう。
 今年の桜も無事見ることもできたし、空を見上げれば空高くツバメが飛んでいました。少しずつ季節は初夏にむかっているのでしょう。
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 4月……それぞれの進路が決まる月でもあります。
 一つに都知事選でこれからの4年間の都政の進路が決まりました。石原都政の方針にあるように「オリンピック東京招致運動」が活発になるでしょう。そして、税金をバンバンつかってオリンピック競技場建設に奔走することでしょう。さらには、過去何十年も続いた東京の台所でもある築地市場の移転も政治課題にのってくるでしょうし、ここでも税金が使われることでしょう。教育現場では「国旗・国歌」に対しては都と国が教職員の強行に態度をはっきりさせるようむけてくるでしょうし、そのための研修も用意され洗脳されていく可能性が大きくなり、それに逆らう教職員は免許を取り上げられてしまうような危険もあるようになるでしょう。
いずれにせよ、都民が選んだ結果なのですから仕方がありません。
 これから大切なことは都市や国家が大切なのか、それともそこで住む人々が大切なのか自分自身、人生の進路を決めて自分にできる範囲で、考え行動していくことが大切なのではないかと思います。
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 つい最近、二十数年来、一緒に仕事してきた同僚が会社を辞めていきました。50歳を過ぎてからの退職です。よほどの理由があったのでしょう。
 金曜日の夜、仕事が終わって50歳台を超えた数人の同僚と新宿で酒を飲んでその辺を話していました。
 理由の一つに「介護問題」があり、そして「会社の問題」のふたつがありました。
若いうちは親のことななどは考えてみたこともなかったのですが、いざ、その歳に自分がなると準備ができていないためかうろたえてしまいます。「定年退職」してこれから…と思うのも束の間、今度は生きて「認知症」などになった親をみる退職後となってしまうことも多いのです。さらには、「年金」「退職金」という経済的には微々たるもので、民間零細企業には望めそうもありません。そんなとき、後悔してもあとのまつりです。それでも、家族や知人に支えられ人生を送っていかなければならないと知ったような夜でした。
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 思い起こせばこれまでも何人の退職者を送って来ました。
 数年前はリストラの嵐が吹き荒れ、多くの先輩諸氏が退職金とほんの少しのプラスアルファーを手にやめていきました。「去るも地獄、残るも地獄」という言葉が組合のニュースに出ていたことを思い出します。
 あの時の「進路」はある意味残った私たちにとっては良かったのではないかと思います。そして、やめていった人のそれぞれの人生も、働くことを基盤にまた始まったということです。
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 いずれにせよ、何十年も一緒に働いてきた同僚がやめるということは、自分にとってはいいことではありません。また、仲間を一人失ったような気もします。
 それでも、働いていくしかない現実がまっています。そう思うと、少しは自分の楽しみも拡大して忘れようと思います。時間をたつにつれ、自分の周囲がまた新しく変化していくなかで新しい仲間を持つように努めるしかありません。
 大切なことは「今やりたいこと」「できること」それに「やるべきこと」を一つずつ明確にしていくことだと思います。
 そこで自分の「進路」が決まっていくのではないかと思います。これからは、目の前の休日をどう楽しもうとか、今度の読む本はこの方向とか…。自分を誰よりも信頼していく仲間や家族と一緒にがんばっていくしかありません。そうしていくなかで、新しい「進路」がきまっていくのではないかと思います。
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*読んでくださった方、ありがとうございました。