戦争で行方不明になった恋人を捜すヒロインを描いたファンタジックなミステリー。監督は「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ。脚本も「アメリ」のギョーム・ローラン。原作はセバスチャン・ジャプリゾの小説『長い日曜日』。
2005年セザール賞5部門など多数受賞。出演は「アメリ」「巴里の恋愛協奏曲」のオドレイ・トトゥ、「かげろう」のギャスパー・ウリエル、「アメリ」のドミニク・ピノン。
「赤ずきんの森」のドニ・ラヴァン、「アメリ」のジャン=ピエール・ベッケル、「アメリ」「レッド・サイレン」のドミニク・ベテンフェルド、「ブッシュ・ド・ノエル」のジャン=ピエール・ダルッサン、「ビッグ・フィッシュ」のマリオン・コティヤール、「スパイ・バウンド」のアンドレ・デュソリエ、「ルビー&カンタン」のティッキー・オルガドほか。2005年セザール賞5部門など多数受賞。
物語:第1次大戦下のフランス。戦場に旅立った婚約者マネク(ギャスパー・ウリエル)の身を案じていたマチルド(オドレイ・トトゥ)のもとに、悲報がもたらされる。軍法会議で死刑を宣告されたマネクが、ドイツ軍との前線に置き去りにされたというのだ。
マチルドは村からパリに出て、探偵ジェルマン・ピエール(ティッキー・オルガド)を雇い、マネクの捜索を始める。彼に何かあれば自分には分かるはずという直感を信じるマチルドだったが、・・・。
ある日、ピエール=マリー・ルーヴィエール弁護士(アンドレ・デュソリエ)からマネクの死を示唆され希望を失う。だがセレスタン・プー(アルベール・デュポンデル)の証言により、マネクが生きている可能性が示された。
そしてマネクと一緒に死刑宣告された兵士のうちの一人、ブノワ・ノートルダム(クロヴィス・コルニヤック)を見つけ出し、ついに決定的な証言を得る。マネクは戦場で瀕死になったものの、まだ生きていることが判明したのだ。彼は記憶を失くしていたが、無事マチルドとの穏やかな再会を果たすのだった。(作品資料より)
<感想>戦死したという恋人の生存をかたくなに信じ、直感だけを頼りに命の糸を手繰り寄せるマチルド。彼女は一途、ひたむきで、不思議ちゃんなの、あるいは頑固?、偏屈?、トンチンカン。こういうキャラクターは、「アメリ」以来すっかりオドレイ・トトゥの専売特許となったが、あのテイストが、今度は、第一次世界大戦下のフランスを舞台とするミステリーに投入されている。
おわかりであろう、つまり、この映画にジャンルとしてのいわゆる「ミステリー」を期待してはいけません。これは、ぶっ飛んだ女の子が神がかり的な力で恋人を探すという、理屈を超えた物語なのです。
そもそも彼女自身の思考回路が謎だらけなため、彼女の組み立てる倫理に基づいて推理するというのには無理があるというもの。謎解きを楽しむどころではありません。というわけで、思い切ってジュネ監督の映像世界に没頭してみるといいでしょう。
ジャン・ピエール・ジュネは器に凝る監督である。映像、美術、衣装・・・目に映るものすべてに意匠を凝らし、その物語の舞台を作り上げてしまう。
だから彼の映画は、たとえ現実の世界で展開しようとファンタジー色が強くなってしまい、映画を支えるキャラクターさえも架空の国の住人のように見えてくる。
この作品も例外ではないのだが、それゆえにヒロインのキャラクターが大きな問題を抱えることになった。
完璧に偏屈な、悪趣味と背中合わせの映像美で多くの驚きを提供してくれたジュネだが、今回は何しろ戦争が題材であるからして。ジュネが撮ると爆撃は、爆発は、銃撃戦はどうなる?・・・興味と期待は裏切られなかった。
壮絶な戦場と、戦火のなか人間性が破壊されていくさまが、落とした色彩で描かれている。
悲惨さを拡大して泣かせるわけではない。時に不遜なユーモアを用いて殺し合いをとらえる。
恋人の生還を信じて待ち続ける足の悪いヒロインは、愛する彼を捜すためにあらゆる手を尽くします。自分の面倒を見てくれる親戚夫婦に感謝を表わすこともなく、親の遺した財産にものをいわせて人を使いまくり、ワガママを言いまくる。
彼女が自ら行動をとるのは少しだけ。そういう印象しか残らない。愛と言う名のもとに傲慢さを発揮し、助けてくれる人たちの上に君臨しているかのごとくだ。
いや、ジュネは、愛に目がくらみ、優しささえ忘れた者を描こうとしたのだという人もいるだろう。だが、いつものファンタスティックな甘さが愛の深さ、狂おしさを半減させて、彼女の言動に宿るはずの執念が伝わってこない。
オドレイのポアンとしたルックスもマイナスとなり、その視点は成り立ち難いのだ。
恋人を知る兵士たちの証言&回想と現在を並べた構成は、登場人物の多さと覚えづらい名前ゆえに混乱を招きます。
凄みには欠けるかもしれないが、戦争映画にはこんなアプローチの方法もあったのだ。しっかりとジュネらしく、戦禍が描きだされている点に賛辞を贈りたいですね。
2016年DVD鑑賞作品・・・35映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
2005年セザール賞5部門など多数受賞。出演は「アメリ」「巴里の恋愛協奏曲」のオドレイ・トトゥ、「かげろう」のギャスパー・ウリエル、「アメリ」のドミニク・ピノン。
「赤ずきんの森」のドニ・ラヴァン、「アメリ」のジャン=ピエール・ベッケル、「アメリ」「レッド・サイレン」のドミニク・ベテンフェルド、「ブッシュ・ド・ノエル」のジャン=ピエール・ダルッサン、「ビッグ・フィッシュ」のマリオン・コティヤール、「スパイ・バウンド」のアンドレ・デュソリエ、「ルビー&カンタン」のティッキー・オルガドほか。2005年セザール賞5部門など多数受賞。
物語:第1次大戦下のフランス。戦場に旅立った婚約者マネク(ギャスパー・ウリエル)の身を案じていたマチルド(オドレイ・トトゥ)のもとに、悲報がもたらされる。軍法会議で死刑を宣告されたマネクが、ドイツ軍との前線に置き去りにされたというのだ。
マチルドは村からパリに出て、探偵ジェルマン・ピエール(ティッキー・オルガド)を雇い、マネクの捜索を始める。彼に何かあれば自分には分かるはずという直感を信じるマチルドだったが、・・・。
ある日、ピエール=マリー・ルーヴィエール弁護士(アンドレ・デュソリエ)からマネクの死を示唆され希望を失う。だがセレスタン・プー(アルベール・デュポンデル)の証言により、マネクが生きている可能性が示された。
そしてマネクと一緒に死刑宣告された兵士のうちの一人、ブノワ・ノートルダム(クロヴィス・コルニヤック)を見つけ出し、ついに決定的な証言を得る。マネクは戦場で瀕死になったものの、まだ生きていることが判明したのだ。彼は記憶を失くしていたが、無事マチルドとの穏やかな再会を果たすのだった。(作品資料より)
<感想>戦死したという恋人の生存をかたくなに信じ、直感だけを頼りに命の糸を手繰り寄せるマチルド。彼女は一途、ひたむきで、不思議ちゃんなの、あるいは頑固?、偏屈?、トンチンカン。こういうキャラクターは、「アメリ」以来すっかりオドレイ・トトゥの専売特許となったが、あのテイストが、今度は、第一次世界大戦下のフランスを舞台とするミステリーに投入されている。
おわかりであろう、つまり、この映画にジャンルとしてのいわゆる「ミステリー」を期待してはいけません。これは、ぶっ飛んだ女の子が神がかり的な力で恋人を探すという、理屈を超えた物語なのです。
そもそも彼女自身の思考回路が謎だらけなため、彼女の組み立てる倫理に基づいて推理するというのには無理があるというもの。謎解きを楽しむどころではありません。というわけで、思い切ってジュネ監督の映像世界に没頭してみるといいでしょう。
ジャン・ピエール・ジュネは器に凝る監督である。映像、美術、衣装・・・目に映るものすべてに意匠を凝らし、その物語の舞台を作り上げてしまう。
だから彼の映画は、たとえ現実の世界で展開しようとファンタジー色が強くなってしまい、映画を支えるキャラクターさえも架空の国の住人のように見えてくる。
この作品も例外ではないのだが、それゆえにヒロインのキャラクターが大きな問題を抱えることになった。
完璧に偏屈な、悪趣味と背中合わせの映像美で多くの驚きを提供してくれたジュネだが、今回は何しろ戦争が題材であるからして。ジュネが撮ると爆撃は、爆発は、銃撃戦はどうなる?・・・興味と期待は裏切られなかった。
壮絶な戦場と、戦火のなか人間性が破壊されていくさまが、落とした色彩で描かれている。
悲惨さを拡大して泣かせるわけではない。時に不遜なユーモアを用いて殺し合いをとらえる。
恋人の生還を信じて待ち続ける足の悪いヒロインは、愛する彼を捜すためにあらゆる手を尽くします。自分の面倒を見てくれる親戚夫婦に感謝を表わすこともなく、親の遺した財産にものをいわせて人を使いまくり、ワガママを言いまくる。
彼女が自ら行動をとるのは少しだけ。そういう印象しか残らない。愛と言う名のもとに傲慢さを発揮し、助けてくれる人たちの上に君臨しているかのごとくだ。
いや、ジュネは、愛に目がくらみ、優しささえ忘れた者を描こうとしたのだという人もいるだろう。だが、いつものファンタスティックな甘さが愛の深さ、狂おしさを半減させて、彼女の言動に宿るはずの執念が伝わってこない。
オドレイのポアンとしたルックスもマイナスとなり、その視点は成り立ち難いのだ。
恋人を知る兵士たちの証言&回想と現在を並べた構成は、登場人物の多さと覚えづらい名前ゆえに混乱を招きます。
凄みには欠けるかもしれないが、戦争映画にはこんなアプローチの方法もあったのだ。しっかりとジュネらしく、戦禍が描きだされている点に賛辞を贈りたいですね。
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