ぶらぶら人生

心の呟き

海へ (花と実)

2010-12-12 | 散歩道
 海への道々、目に着いたのは、皇帝ダリアである。
 昨年まではなかった場所に、丈高い花が咲いている。海辺の風は荒いので、それに耐えるために、みな支柱が立てられている。
 この花は、ここ数年の流行花である。

               

 枇杷の花も咲き始めていた。

         

 浜辺の植物たちは、それぞれ実をつけていた。

          トベラ

          シャリンバイ

          柾(マサキ)

          ヘクソカズラ
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海へ (今日の海)

2010-12-12 | 散歩道
 朝冷えが厳しかった。
 今朝は、集会所の掃除日になっていたので、7時前に家を出た。
 久しぶりに手足の指先が悴む体験をした。

 午後、急に思い立ち、海に向かって歩いた。朝、作業のために履いたジーパン姿に誘われるようにして…。
 久しぶりの散歩であった。
 午後になって、少し風が出てきた。遥かな海から、海鳴りが聞こえた。
 浜辺には、波が白く砕け、荒れ模様であった。
 冬の海である。

       

       
  
       

       
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東京へ (足を延ばして)

2010-12-12 | 旅日記
 上京前、何気なく見ていたテレビで、長野市に東山魁夷館があることを知った。
 信州には幾度も旅しているけれど、長野市を訪れたのは、20歳代の遠い昔のことである。
 人生最後の善光寺参りをし、東山魁夷館にも行ってみたいなと思った。
 上京を機にというのは無理だろうか?
 中央線経由で長野に行こうとすれば時間がかかりすぎる。
 友人から、長野新幹線でゆく方法のあることを教えてもらった。
 時刻表を調べると、東京からなら楽に往復できることを知った。片道1時間半あまり。
 お天気さえよければ行ってみようと、大雑把なプランの中に長野行きを加えていた。

 天気予報によると、6日の長野は晴れ模様である。
 そこで、前日、横浜に出かける前に、長野新幹線の往復切符を求めておいた。

 初めての路線を旅するときは、車窓に流れる風景との出合いも楽しみである。
 近景遠景ともに、土地が変われば微妙に異なる趣を持つ。

 終点の長野駅に着くと、観光案内所に行った。
 長野に滞在できる時間と、ぜひ訪れたい二つの目的地を告げた。
 観光マップが渡され、二つは、至近の距離にあることを知らされた。
 料金100円分の区間をバスに乗って、善光寺前で下車した。

 まずは、善光寺にお参りした。
 元気でいれば、上京の機会はこれから先にもあるだろう。が、長野にもう一度ということは、まずなさそうな気がする。善光寺へのお参りも、多分最後になるだろう。そんな思いで、古刹・善光寺に詣でた
 手を合わせ、何かを念ずるというより、ここまで生かしてもらったことに感謝する。

          

          

          


 東山魁夷館の方角に歩いている途中で、二基の句碑に出合った。
 小林一茶(1763~1827)と種田山頭火(1882~1940)の句碑である。

   春風や牛に引かれて善光寺
   開帳に逢ふや雀も親子連
                      一茶

   八重ざくらうつくしく南無観世音菩薩像
   すぐそこで したしや信濃路のかっこう
                      山頭火

 旅には、こうした思いがけない出合いもある。

           一茶の句碑

                山頭火の句碑

 善光寺と程近い位置に、城山公園がある。
 噴水の手前に佇むと、信州の山並みが見えた。
 山も空も、空気も、すべてに信州の匂いがする。

          

 東山魁夷館は、長野県信濃美術館の分館である。
 ここは、東山魁夷個人の作品を所蔵する館である。
 東山魁夷は好きな画家の一人で、今までにも、規模の大きな展覧会を神戸や京都で見た。
 
 現在、当館では、「創作の秘密 ― 作品のできるまで ―」と題した展覧会が開催中だった。
 作品が完成されるまでの綿密な準備のプロセスが示されていた。そこに、画家の創作に対する心の姿勢を見ることができた。

               

          

 鑑賞の後、ひとときカフェにくつろいで、コーヒーをいただいた。

           


 4時過ぎの新幹線で、帰途に着いた。
 初冬の空は暮れやすく、一期一会の思いで、暮れゆく信州の夕空を車窓に眺めた。     

          
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東京へ (美術館巡り)

2010-12-12 | 旅日記
 墓参の後、かねてから計画していた二つの美術館を訪れた。
 一つは、<熊谷守一美術館>。
 もう一つは、<根津美術館>。

 出発の前、ネットでアクセス方法などを調べ、印刷しておいた。
 まずは、<熊谷守一美術館>に向かった。
 地下鉄副都心線で要駅下車、2番出口を出、そして、要小学校を見つけるところまではよかった。が、その後、横道の路地を歩き始めたらしく、予定の時間をはるかに越えたのに、行きつけなかった。思いがけぬ散歩をして、やっと辿りついた。
 <熊谷守一美術館>は、、元々守一画伯自身が45年間住まわれた住居の由。
 1985年に、次女の熊谷榧さんが、私設の美術館として創立され、2007年に、守一の作品153点を区に寄贈され、豊島区立の美術館となったようだ。
 美術館としては、こじんまりしたものである。
 しかし、入り口のさりげないものから、展示室の作品に至るまで、私の好きな画家、熊谷守一氏の存在を懐かしめる場所であった。

 まずは、喫茶室でコーヒーを飲んで、それから作品を見てまわった。
 写真は、入り口にあった<いねむるモリ>の像(左)と、美術館でもらった栞(右)であろ。
 下の紅葉樹は、館の前にたっていた。漆の木?

         

          

 表参道駅5番口を出て、<根津美術館>へ。
 ここは庭園散策を楽しめる美術館である。
 樹木に囲まれた喫茶室で、まずはお昼をいただいた。この環境がすこぶるいい。
 その後、庭巡りをし、現在開催中の「コレクション展 絵のなかに生きる 中・近世の風俗表現」を見た。
 繁華街の近くにありながら、自然の豊かさと豊富な作品を収蔵する、珍しい美術館であった。
 四季折々、食事と庭巡りのために訪れてもよさそうだ。

 下の写真は、エントランスと庭の風情。

                 

          

           

 4時半から、表参道のイルミネーションが点灯された。
 原宿の駅に向かって歩き、人波にもまれながら、電飾を眺める。
 賑わいの中に漂う華やぎと寂しさを楽しむ。         

          


 5日も快晴であった。
 第3として選んだのは、<横浜美術館>。
 開催されているのは、「ドガ展」。
 ゴヤの作品をまとめて観るのは初めてだった。
 「エトワール」他、多数の名作に出合った。
 美術館には、多くの人が訪れていた。

 横浜美術館の周辺は、垢抜けたビル群であった。
 下の写真は、美術館と周辺ビル。

          

          

 みなとみらい線や東急東横線を使っての移動も初めて。
 高齢となった今は、初めての体験が、同時に最後の体験になる場合も多いのだろうな。   
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東京へ (墓参)

2010-12-12 | 旅日記
 12月3日から7日にかけて、上京した。
 出立日の朝になっても、昨夜来の嵐模様がおさまっていなかった。
 雨が降り、強風が吹き荒れていた。全国的な嵐模様である。

 飛行機は飛ぶのだろうか?
 まず、羽田からの飛行機が到着しなければ、飛びたつことができない。
 空港に電話して、様子を尋ねた。
 予定通り、発着の予定とのこと、安心して空港に向かった。

 が、13時発の飛行機は1時間遅れで石見空港を離陸し、羽田着陸も、予定より1時間遅れた。
 羽田は快晴であった。けれど風は強く、機長が予告したとおり、着陸のとき、飛行機の両翼が、ひどく揺れた。
 いささか怖い体験だった。

 以前のブログにも書いたけれど、怖い体験といえば、30数年前、日本海の孤島、高島(今は無人)に行った帰り、突如、海が大荒れとなり、小型の船が転覆するのでは? と、相当の恐怖に見舞われたことがる。
 船が揺れるたびに、空と海面が交互に視界に飛び込んだ。

 今一つ、怖い体験の思い出がある。
 学生時代、浜田川を高校時代の同級生の漕ぐボートに乗って、松原湾に出たときのことである。思いがけぬ嵐がやってきて、ボートは、海原を漂う一枚の木の葉のような惨めさであった。が、漕ぎ手に比べれば、私の方が悠然としていた。
 
 今回の着陸直前の大揺れにも、どこか面白がっている私がいた。
 諦観なのか、楽観なのか?
 ひとりの人間の内部には、いろいろな要素が潜んでいるようだ。

 
 前回までの運行では、羽田到着が昼前だったので、午後の半日を有効に過ごすことができた。 今回の時刻変更で、4時間遅い到着となった。さらに一時間遅れである。
 日の暮れの早い東京では、間もなく黄昏が込めて、特別なことはできなかった。
 まずは、宿泊を予約している帝国ホテルに行き、部屋に荷物を置いた後、夜の食事をとるため銀座に出かけただけであった。そして、新鮮な魚介の<握り鮨>をいただいた。

 
 4日の朝、谷中に出かけ、師の墓に詣でた。
 昨日の強風は収まり、快晴の冬日和となった。
 谷中の桜並木も、広大な墓地のあちらこちらに亭々と立つ銀杏も、まだ秋の名残りをわずかとどめていた。
 (写真)

 師とのお別れから、まる7年が過ぎた。
 今もなお、何かにつけ、師を思うことは多い。亡き父母同様に。
 毎年、二度上京し、そのつど墓参をしてきたが、それをいつまで続けることができるのだろう?
 このたびも出発の前、万全の体調ではなかった。
 命には終わりのあることを考え、最近は、これが最後の墓参になるかもしれないと、その都度、思うようになった。

 が、来る年も、墓参が可能であれば幸せである。


         

                

          12月4日の朝(ホテルより)
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