ぶらぶら人生

心の呟き

思い出の<四つ山>

2007-03-05 | 身辺雑記
 人間にとって、自然は思い出と深く結びつくようだ。
 それは、山であったり川であったり、海であったり湖であったり……。

 先日、三隅公園へ梅林を見に行った日、私は思いがけない知人に会い、一緒に梅見をしたり、帰りは車で送ってもらったりした。そのことは、3月2日のブログに書いた。
 中一日おいて、その知人・Sさんから電話があり、今日伺ってもいいかとのことだった。
 無計画に日を過ごすわけではないが、勤めのない身には、先約でもない限り、融通がきく。
 午後、来訪を待った。
 私は梅見から帰ってすぐ、Sさんにお礼の葉書を書いたので、それを見た上での来訪かと思ったが、そうではなく、写真を整理していたら、それを見せたくなったので、とのことだった。
 実は三隅から帰る途中、海老谷には桜の古木があるという話になり、私は海老谷という地名も桜のことも知らないと答えた。すると、Sさんは、桜見物というわけにはまだいかないけれど、せめて桜の古木を見てきましょうと、国道をそれて山道に入っていったのだが、生憎、道路工事中で行き止まりになっていた。
 それでは桜の季節に、ということになったのだった。が、Sさんは写真の整理をしているうちに、海老谷の桜を私に見せたくなったらしい。
 自らのカメラで撮った、あちこちの桜を収めたCDを持参し、パソコンに入れて、海老谷の桜、大平桜、徳佐の枝垂桜を始め、私の訪れたことのない桜の数々を、見せてもらった。
 季節を先取りしての、画面上でのお花見であった。

 そのとき、L版の写真も持参していて、
 「これ、懐かしいでしょう!」
 と見せられたのが、四つ山の写真である。(写真)
 「あら、本当に四つ並んでいるのね」
 小山がお行儀よく、頭をそろえている。
 私は、就職した最初に、この四つ山の山麓に、一年間暮らしたことがある。小さな川の流れる、のどかな農村であった。
 しかし、この写真のように、四つの山が並んだ風景にめぐり合ったことはないのだった。
 「私が当時見ていた四つ山はどれなの?」
 「一番左端の山です」
 「川や家並は、さらに左側?}
 「そうです」
 四つの山の連なりを総称した名前とは知らず、私は、目の前に見える小山の固有名詞だと思い込んでいたのだ。
 「あの山へ登ったこともありましたね」
 「宝探しをしたり……」
 「そうそう。みんな元気だったから」
 共有する思い出を語りながら、Sさんが撮影してきた写真を眺めた。

 「四つ山」も、私の思い出に刻み込まれた山の一つである。
コメント
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