ぶらぶら人生

心の呟き

水仙いろいろ 15

2007-03-19 | 散歩道
 「西洋水仙、黄水仙は匂わないのが普通ですが、これは匂います」
 豪邸の主に言われ、私は水仙に鼻を近づけた。(写真)
 いい香りだ。しかし、日本水仙より、やや濃厚な感じがした。
 「葉も、他の水仙とは違います」
 言われてみると、小葱、ワケギに似て、細めである。

 「持って帰って植えてください」
 そう言って、主は二株掘って、ビニール袋に入れてくださった。
 道中、手に提げた水仙から、ほのかな香りが漂い続けた。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水仙いろいろ 14

2007-03-19 | 散歩道
 朝の散歩時、国道九号線から県道に入るため、いつも信号機のある場所を渡っている。そこに佇み、月曜日の朝に限り、決まって交通指導をしておられる男性がある。顔を見知っている人で、幾度か会話したこともあるが、そう親しいわけでもない。こういう人間関係は、どういう言葉で表せばいいのだろう?
 知人というほど親しくもない。姓も知っているし、奥さんも子供も知っているが、親疎の度合いを尋ねられれば、疎の部類に入るだろう。
 出会えば必ず挨拶はする。

 最近、散歩のスタートが遅れがちである。潔く家を飛び出すことができない状態が続いている。多少、体が大儀がっているようだ。体の疲れか、精神のだれか、よく分からない。
 今朝も、かなり遅いスタートとなった。
 交通指導をされる男性は、小中学生の登校時間帯に合わせて、信号機の傍に立たれるようだ。
 今朝、私が信号機に近づいたとき、その男性は仕事を打ち切り、引き上げられるところだった。私の、そこへの到着が、かなり遅かったことになる。
 国道を横切る距離だけ遅れて、私は、その人の後ろをついて歩いた。内心、住まいはどこなのだろう? と思いながら。

 交通指導員の帰り着かれたところは、驚いたことに、私が前々から関心を持って眺めていた豪邸であった。
 ああ、そうだったのかと思いながら、玄関を入ることなく、庭におられたT氏に挨拶をした。
 「ここが、お住まいなのですね」
 と言った後、前日、横庭に咲く水仙の写真を、無断で撮らせていただいたことを詫びた。
 「いくらでも見てやってください。花が喜ぶと思いますから」
 そう言いつつ、傍の水仙を指して、
 「こちらにも、植えていますよ」
 と、言われた。
 菰を着て、大事に育てられている牡丹が数本あり、その傍らに、水仙はあった。
 花冠が純白、副花冠がクリーム色。これも初めて見る水仙のように思え、カメラに収めた。(写真)

 今朝は、豪邸の主、T氏がおられたので、安心してお庭を見せてもらった。
 歴史を刻んだお庭である。古木も多く、灯篭や小さな社なども、配置よく置かれていた。次第に、こうした由緒ありげなお庭が少なくなってきている。それだけに珍しい。
 菰を着た牡丹は、沢山の蕾をつけている。花の季節が楽しみだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水仙いろいろ 13

2007-03-19 | 散歩道
 散歩の途中、どなたの住まいなのだろう? と、気にしていた豪邸がある。その横庭に花の庭があり、チューリップが花開きかけている。
 これからが楽しみだな、と思いながら横目で眺め、通り過ぎようとしたとき、その先に様々な水仙が咲いているのに気づいた。
 豪邸の住人の姿は見えず、ちょっと失礼させていただきますと、心の中で詫びながら、水仙畑へ近づいた。

 これは見慣れぬ水仙、と思ってカメラを向けた。
 白い花冠が反り返って、黄色い副花冠が丸出しだ。
 花冠が副花冠を包み込むような形が多いのに、これは二つが離反しながら調和を保っている。(写真)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水仙いろいろ 12 

2007-03-19 | 散歩道
 今年の春は、水仙の異なる種類を沢山見てきた。
 散歩のおかげである。
 もう変り種に出会うことはあるまいと思っていた矢先、海の見える丘まで帰り着いた時、畑の隅に植えられた黄水仙の群がりに気づいた。遠くから眺める限り、既に見てきた水仙と同じ雰囲気だ。
 が、やはり傍によって確かめた。水仙に呼びかけられているような気がして……。
 「みな同じだ、などと決め付けないで!」
 この水仙は、気丈にも、そう呟いている。
 人を引き寄せるという手段で、花は自己主張をしているようだ。

 これは真実、今まで見てきた黄水仙とは、似ても似つかぬ姿である。
 副花冠が、いくつ寄り集まっているのだろう?
 複雑極まりない構造にあきれてしまった。
 白の八重水仙は、花冠の部分が八重であるのに対し、この黄水仙は、副花冠の八重(?)、とでも言えばいいのだろうか。内側(花芯の部分)の構造が、複雑怪奇だ。一体どうなっているのやら、分かりにくい。

 単純↔複雑、清楚↔華美、寂しげ↔華やぎ、などの相反する価値基準で、花の好悪をいうならば、私は、どちらかといえば前者、単純、清楚、寂しげな花を選ぶに違いない。
 その観点からすれば、決して私好みの花ではないのだが、これはこれで立派である。

 年毎、新たな改良種が現れて、来年の水仙の季節には、また私を驚かせてくれるのかもしれない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする