ぶらぶら人生

心の呟き

正岡子規と果物

2009-08-29 | 身辺雑記
 今朝、読売新聞の<四季>(長谷川櫂)欄に、下記の句が紹介してあった。

    梨一顆(か)食べをり子規の倍を生き 鶴川和子

 この俳句に添えて、長谷川櫂氏は、<病床の正岡子規は梨の爽やかな果汁に渇きを癒した。そのことをたびたび文章や日記に書いている。>と述べておられた。
 私は今朝、遅い目覚めのベッドで、毎日の慣わしどおり、朝日・読売の二紙を読んだ。衆議院選挙を明日に控え、最近は、各党の戦いぶりや動向を伝える記事が多い中、<四季>欄などを読むときは、ひとりでに、心をゆるやかに遊ばせることができる。

 正岡子規について、格別詳しく知っているわけではないので、この文章を読んで、<なるほど>と思った。
 今まで、「梨と子規」というつながりが、私にはまるでなかった。
 「柿と子規」なら分かるけれど……と、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を呟きながら、新聞をお腹の上に載せて手を休め、天上を見つめたのだった。
 諳んじることのできる、子規の俳句や短歌のいくつかを思い出した。
 それらは、藤・イチハツ・牡丹などを詠った歌や糸瓜の句などであった。

 午後、気になって、正岡子規の本を調べた。
 「現代日本文学大系」10巻が、正岡子規・伊藤左千夫・長塚節集となっている。
 分厚い本を取り出した。

 その中に、子規の「くだもの」というエッセイが載っているのに気づき、早速読んでみた。
 相当果物の好きな人だったらしく、果物をいろいろな角度から書いていて、実に面白い。
 末尾に、明治34年の作品とある。しかし、古さが全くない。果物についての詳述に新鮮さがある。名文とはこういう文章をいうのであろう。

 小見出しごとに○がつけられ、果物を様々な角度からとらえている。
 ○くだものの字義
 ○くだものに準ずべきもの
 ○くだものと気候 
 ○くだものの大小
 ○くだものと色
 ○くだものと香
 ○くだものの旨(うま)き部分
 ○くだものの鑑定
 ○くだものの嗜好
 ○くだものと余
 ○覆盆子(いちご)を食ひし事
 ○桑の実を食ひし事
 ○苗代茱萸を食ひし事
 ○御所柿を食ひし事
 (後半<~を食ひし事>の四項は、それぞれの果物にまつわる、小さな物語的な随筆となっている。)

 ○くだものと余 の中に、
 <大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十位食ふのが常習であった。>と、書生時代をふり返っている。
 相当な果物好きである。ただ、好物の柿でも気候が寒くなって食べると、すぐ腹を傷める、それは梨も同じだ、と後方に記している。好きに任せて食べ過ぎ、苦痛を味わった経験を子規はもっているのだろう。

 イチゴを、漢字で<苺>と書くことは知っていたが、<覆盆子>の字を当てるのは知らなかった。当時はそれが普通の表記だったのだろうか?

 ○御所柿を食ひし事 の中に、≪奈良と柿≫にまつわる話が出てくる。
 宿屋の下女に御所柿を請うたところ、一尺五寸もありそうな大丼鉢に山の如く盛った柿を出され、<流石柿好きの余も驚いた>とある。
 なお、柿の皮をむいてくれる若い下女の美しい顔に見とれる様が書いてあり、折から<ボーンと釣鐘の音が一つ聞こえた>とある。それが東大寺の鐘であると下女に教えられ、板間の障子を開けて聞き入る情景が細やかに書いてある。

 例の句(柿くへば~)では、柿を食べ、鐘を聞いた場所が、法隆寺となっているけれど、この名句誕生の背景は、実は東大寺だったのかと思える。
 事実どおりに<東大寺>でもよさそうだが、<法隆寺>とした方が、雰囲気的に、また語呂の響きとしてふさわしい、という判断が子規にあったのだろうか?
 それはともかく、この名句には、子規自身にとっての忘れがたい懐かしい想い出が、内包されているのだと知って、句の味わいが、いっそう深くなった思いである。

 なお、<「俳句稿」(抄)>の中に、

    柿もくはで随問随答を草しけり
    柿くふも今年ばかりと思ひけり

 など、柿の句があった。
 さらに、果物好きを明かす句として、

    林檎くふて又物写す夜半哉
    林檎くふて牡丹の前に死なん哉

 という林檎にちなむ句もあった。


 果物とは無関係だが、

    秋海棠に鋏をあてること勿れ

 という句を「俳句稿」の中に見つけた私は、一瞬どきりとした。
 実は数日前、秋海棠の花をきって、花瓶に挿したばかりなのだ。
 この句の前には、
 <家人の秋海棠を剪らんといふを制して>
 と添えてある。
 子規の、厳しい制止に潜む思いは、なんだったのだろう?
 嫋嫋(じょうじょう)と咲く花に憐憫の情を覚え、切り取ることに、抵抗を感じたのか?
 単に、自然の中で眺めることをよしとしたのであろうか?

 私の、小さな瓶に挿した秋海棠の花は、今日も美しさを保って咲いている。

 (写真は、キッチンにある、私が食するための果物。私も、子規に劣らず、果物は好物である。) 
 

              
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