昨日、NHKのBS放送で、N響の演奏を聴いた。
(6月14日、サントリーホールで演奏されたもの。)
その中に、武満徹の一曲「セレモニアム」があった。宮田まゆみの笙の演奏が中心となって、オーケストラと共演。(写真)
武満徹の、この曲も初めてだし、この雅楽器演奏を聴くのも初めてだった。思わず引き込まれるように聴いた。初めてのものへの、もの珍しさもあったが、武満徹の曲も、笙という楽器の醸し出す音の世界も、なかなかいいと思った。
宮田まゆみという人は、笙演奏の第一人者らしい。
この番組では、モーツアルトのピアノ協奏曲25番ハ長調 K503(ピアノはスティーヴァン・コワセヴィチ)とセザール・フランクの交響曲ニ短調の演奏もあり、聴き始めたら最後までテレビの前を離れられなくなった。
指揮者は、いずれの曲も、準・メルクルだった。
演奏を聴き終わった後、私が一枚だけ持っている武満徹のCDを取り出し、久々に聴いてみた。
ジャケットに、「春」という文字が記されているディスクである。
「サクリファイス~武満徹作品集」とあって、7曲18楽章が収めてあるが、ほとんどが、ギターやフルートのため、あるいはギターとフルートのための曲である。
改めて聴いて、そのよさをどう表現したらいいか、うまく言えないが、心が、荘厳で、静謐な世界に誘い込まれるように思った。
解説には、<武満徹の音楽は、色のうつろいに命がある。沈黙の中から立ちのぼった音が弾けたり微妙にゆらいだり、残照のように輝きながら、再び、沈黙へとかえっていくといった、時間の推移とともに変容していく響きの姿が、彼の楽譜からはみえてくる。(以下略)[白石美雪]>と、美しい言葉で、その音楽性が、記されている。
参考にはなるが、私には十分理解し納得する力がない。
この際、暫くこのディスクを聞いてみようと思った。
今日はかつて職場を共にした女性三人が集まって食事をしながら、歓談した。話が尽きなくて、喫茶店に場を移して更に歓談。四時間おしゃべりをした。
最近特に感じることは、おしゃべりの後の疲労感である。人と話すことは、莫大なエネルギーを要することのように思う。日ごろ、本を読んだり、パソコンに向かったり、ひとりの時間を気ままに過ごすことが多いせいだろうか。
楽しい時間なのに、妙に疲れる。
そこで、今日もまた深夜、武満徹の音楽で、ひとときを過ごした。
ミカエル・ヘラスヴォのフルートも、ユッカ・サヴィヨキのギターも、それらの楽器が奏でる音とは異なる音色を聴いている感じがする。武満徹の作曲の特徴でもあり、演奏者の技術でもあるのだろう。
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