ぶらぶら人生

心の呟き

源田山の朝焼け

2006-08-31 | 散歩道
 朝、出かけるときには、小雨が降っていた。
 安物のビニール傘をさして、歩き始めた。上空はそう暗くない。そのうち雨は上がるだろうと判断し、持ち重りしない傘を選んで。
 果たして、五分もたたないうちに、傘をたたむことになった。
 昨日の、蓮の花の咲いた池をのぞいてみたくて、今日も昨日と同じコースを歩いた。
 国道9号線は、朝から車が多い。しかし、私の歩く範囲の歩道は、幅員が広くなっていて、大型車が通っても、威圧感を受けなくてすむ。風圧からも身を守りやすい。

 真正面の空が、明るんでいる。
 源田山の上が、朝焼け色に染まっている。
 地元の人しか、その名を知らない、標高の低い平凡な山、それが源田山だ。謂れのある山かどうかも知らない。昔は村境の役目を果たしていたのだろう。今は、市町村合併が進んで、H市とM市を境する山ということになる。

 昔々、源田という、慈悲深い、とても優しい、人思いの爺さんが住んでいて、いつも村人に目を配り、困った人があれば助け、源田爺さんのお蔭で、村人はみな幸せだったとサ、そんな話でも語り継がれていそうな、穏やかな山だ。

 その稜線の上が、今朝はきれいな朝焼けなのだ。
 <夕焼けは大日の元 、明日はいいお天気ですよ>と、夕焼け空を見ながら、昔、母が言っていた。逆に、朝焼けは、天気の崩れに関係あるのだろうか。

 追記 改めて、「故事 ことわざの辞典」<小学館>を開いてみたら、朝焼け、夕焼けに関して、次のようなことわざがあった。
 「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」「朝焼けはその日の洪水」「夕焼けに鎌を研げ」
 
やはり朝焼けは、昔から、お天気の崩れる兆し、と考えられてきたようだ。
 日常誰もが眼にする自然現象に対しては、表現の違いこそあれ、洋の東西を問わず、似たような意味のとらえ方が、されてきたのだろう。)


 国道をそれて、海の見える県道に曲がった。
 やがて蓮池が見えるはずの道を歩いたが、昨日のように、畑の向こうから、仄かな紅色をのぞかせて、手招きしてくれる蓮の花の姿を、見ることはできなかった。
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