昨日、S先生に、白内障の手術(右眼)をしていただいた。
今朝、先生の診察を受け、経過良好とのことで、眼帯を外してもらった。
そして退院。
9時半には帰宅した。
私が今まで見ていたのは、なんだったのかと思うほど、目にする風景が変わってきた。
ただ、左眼の手術は終わっていないので、少々バランスの悪い見え方をしているようだ。
右眼だけで見ると、遠い山並みが美しく、くっきりと見え、左眼だけで見ると、まるで黄砂やPM2・5のたちこめる中に、佇んでいるように見える。
右眼は晴天、左眼は曇天。
何という違いであろう!
帰宅しても、驚きの連続である。
まだ一方の手術だけなのに、活字も読みやすくなった。
が、いいことばかりではない。
キッチンのコンロ周りや、洗面所など、あまり気にしていなかった汚れが目につき、帰宅したばかりなのに、ごそごそ働くことになった。
よく見えることはありがたいけれど、見過ごせないないことも増えて、負担が増加しそうだ。
うんざりしたのは、自分の腕を見た時。
痒みのもとになっている赤い斑点や、しみの浮かぶ、汚い皮膚。
また、髪を洗って、ドライヤーをかけようと、鏡の前に立った時、
”これが、私の髪?”
と、頭をかしげた。
好みの色とはかけ離れている。
一夜にして白髪になることもあるらしいから、色が変わったのかしら?
と、考えたり…。
白内障の進んだ眼で、ずいぶん<実>と異なる認識をしていたらしい。
とにかく、右眼の手術は、無事に終わった。
合併症という不幸に見舞われることもなく。
昨日は、9時に入院の手続きをしたあと、以下のような手順で、手術までの時間が経過した。
体温・血圧測定。(体温正常、血圧180余~90余) <9時25分>
血圧は、手術中をピークに、夜7時半、最後の測定まで、異常な高さであった。
検査室に移動して、
レントゲン・心電図・血液検査。血の止まり具合の測定。(左耳に針をチクリと刺して) <9時半~10時前まで>
担当の看護師Fさん来室。
手術の順番(4人中の最後、およそ2時過ぎ)、事前の点眼、点滴などについての説明。その他、特別室使用について。 <10時半>
手術室の看護師Tさん来室。手術の概要を説明。 <11時過ぎ>
手術前の点眼開始。11時 3種の目薬を、5分おきに。
12時 同上。
13時 同上。
14時前 同上。
その後、両眼に麻酔の目薬。
13時半過ぎから点滴開始、15時半まで。
黄色い液(抗生物質と血止めの薬とか)
この時から、ベッドに横たわる。
天井のスプリンクラーの穴がかすんで見えなくなる。(目薬が効いてきたらしい)
14時15分、手術室へ。車椅子で。
すぐ手術台へ。
心電図、血圧計が取り付けられる。
右眼の周囲の消毒。カバーで左眼が覆われ、手術始まる。
先生の声は、「下を見て」「光を見て」「顎を挙げて」(下を見るとき、顎が下がるらしく)の3語のみ。
(右眼に見えるのは深海の碧い世界。光は白銀の水晶のようなもの。途中から海底の方に、糸状の、アメーバのようなものが、蠢いているように思った。)
読売新聞で、<白内障手術の一般的な方法>について書かれた記事(1月19日)を読んだ。
小さく切開 ➡ 水晶体を超音波で砕いた後、吸引 ➡ 水晶体の代わりに眼内レンズを入れる
手術経過の予備知識があったので、今、第2段階の処置中だな、と思ったりする。
意識が遠のくのでは? と思った時、「終わりました」と先生の声。
眼帯がつけられ、手術台を降りて、車椅子に乗る。
手術終了。
「血圧が、上がりっぱなしでした」と、手術室の看護師から病棟の看護師に伝えられた。
自覚はないけれど、終始一貫、緊張の連続だったらしい。
きっと、かなり臆病なのであろう。
手術室が、思いのほか寒かった。
看護師さんに頼んで、私の衣類を布団の上に重ねてもらう。
ベッドに横たわっても、寒気がして、1時間おきに尿意を催す。
次回はは、下着の重ね着をし、手術室に入る時の対策をしておこう。
2時間の安静中、先生が病室に来られ、
「気分は大丈夫ですか。手術は無事に終わりましから」
と、伝えられる。
薬剤師も来室。
夕食後から飲み始める「フロモックス100mg」(術後の感染を予防する抗生物質)と、明朝、眼帯を外した後から使用開始の点眼薬2種類(クラビットとジクロード)を持参。
使用上の注意を詳しく話された。
安静時間が終わったのは、4時45分。
それを見計らったように、妹夫婦と孫のAYAちゃん(中2)が見舞いに来室。
以下、余禄。
病室の窓より(10時前)
病室の窓より(5時半と6時前) AYAちゃん撮影
病院でいただいた3食。
病院食は、食材が工夫されている。淡白な味付けなど。
量的には、少なめ。
私は日常、はるかに多く食べている。年齢相応に、量を減らすべきかも。
3食とも、残さずいただく。
病院食(昼食) 手術前のため、ご飯は通常の半分 12時
病院食(夕食) 7時
病院食(朝食) 8時
お見舞いのチョコレートと苺
再び、窓からの眺め。
退院の朝(7時半と8時半)
※ AYAちゃんに学ぶ
私のメモノートを見ていたAYAちゃんが、
「おばちゃん、かんごしの<し>が間違ってる」
と、指摘してくれた。
私は、看護士と書いていたのだ。
今は、看護士、看護婦の総称として、<看護師>というのが正しいのだという。
帰宅後、明鏡辞典で、<看護師>を調べると、
<女性の「看護婦」と男性の「看護士」とを統一した名称。法律で定め、平成十四年三月から使用。>
と、その語の成立のいきさつが、明解に記してあった。
今朝、先生の診察を受け、経過良好とのことで、眼帯を外してもらった。
そして退院。
9時半には帰宅した。
私が今まで見ていたのは、なんだったのかと思うほど、目にする風景が変わってきた。
ただ、左眼の手術は終わっていないので、少々バランスの悪い見え方をしているようだ。
右眼だけで見ると、遠い山並みが美しく、くっきりと見え、左眼だけで見ると、まるで黄砂やPM2・5のたちこめる中に、佇んでいるように見える。
右眼は晴天、左眼は曇天。
何という違いであろう!
帰宅しても、驚きの連続である。
まだ一方の手術だけなのに、活字も読みやすくなった。
が、いいことばかりではない。
キッチンのコンロ周りや、洗面所など、あまり気にしていなかった汚れが目につき、帰宅したばかりなのに、ごそごそ働くことになった。
よく見えることはありがたいけれど、見過ごせないないことも増えて、負担が増加しそうだ。
うんざりしたのは、自分の腕を見た時。
痒みのもとになっている赤い斑点や、しみの浮かぶ、汚い皮膚。
また、髪を洗って、ドライヤーをかけようと、鏡の前に立った時、
”これが、私の髪?”
と、頭をかしげた。
好みの色とはかけ離れている。
一夜にして白髪になることもあるらしいから、色が変わったのかしら?
と、考えたり…。
白内障の進んだ眼で、ずいぶん<実>と異なる認識をしていたらしい。
とにかく、右眼の手術は、無事に終わった。
合併症という不幸に見舞われることもなく。
昨日は、9時に入院の手続きをしたあと、以下のような手順で、手術までの時間が経過した。
体温・血圧測定。(体温正常、血圧180余~90余) <9時25分>
血圧は、手術中をピークに、夜7時半、最後の測定まで、異常な高さであった。
検査室に移動して、
レントゲン・心電図・血液検査。血の止まり具合の測定。(左耳に針をチクリと刺して) <9時半~10時前まで>
担当の看護師Fさん来室。
手術の順番(4人中の最後、およそ2時過ぎ)、事前の点眼、点滴などについての説明。その他、特別室使用について。 <10時半>
手術室の看護師Tさん来室。手術の概要を説明。 <11時過ぎ>
手術前の点眼開始。11時 3種の目薬を、5分おきに。
12時 同上。
13時 同上。
14時前 同上。
その後、両眼に麻酔の目薬。
13時半過ぎから点滴開始、15時半まで。
黄色い液(抗生物質と血止めの薬とか)
この時から、ベッドに横たわる。
天井のスプリンクラーの穴がかすんで見えなくなる。(目薬が効いてきたらしい)
14時15分、手術室へ。車椅子で。
すぐ手術台へ。
心電図、血圧計が取り付けられる。
右眼の周囲の消毒。カバーで左眼が覆われ、手術始まる。
先生の声は、「下を見て」「光を見て」「顎を挙げて」(下を見るとき、顎が下がるらしく)の3語のみ。
(右眼に見えるのは深海の碧い世界。光は白銀の水晶のようなもの。途中から海底の方に、糸状の、アメーバのようなものが、蠢いているように思った。)
読売新聞で、<白内障手術の一般的な方法>について書かれた記事(1月19日)を読んだ。
小さく切開 ➡ 水晶体を超音波で砕いた後、吸引 ➡ 水晶体の代わりに眼内レンズを入れる
手術経過の予備知識があったので、今、第2段階の処置中だな、と思ったりする。
意識が遠のくのでは? と思った時、「終わりました」と先生の声。
眼帯がつけられ、手術台を降りて、車椅子に乗る。
手術終了。
「血圧が、上がりっぱなしでした」と、手術室の看護師から病棟の看護師に伝えられた。
自覚はないけれど、終始一貫、緊張の連続だったらしい。
きっと、かなり臆病なのであろう。
手術室が、思いのほか寒かった。
看護師さんに頼んで、私の衣類を布団の上に重ねてもらう。
ベッドに横たわっても、寒気がして、1時間おきに尿意を催す。
次回はは、下着の重ね着をし、手術室に入る時の対策をしておこう。
2時間の安静中、先生が病室に来られ、
「気分は大丈夫ですか。手術は無事に終わりましから」
と、伝えられる。
薬剤師も来室。
夕食後から飲み始める「フロモックス100mg」(術後の感染を予防する抗生物質)と、明朝、眼帯を外した後から使用開始の点眼薬2種類(クラビットとジクロード)を持参。
使用上の注意を詳しく話された。
安静時間が終わったのは、4時45分。
それを見計らったように、妹夫婦と孫のAYAちゃん(中2)が見舞いに来室。
以下、余禄。
病室の窓より(10時前)
病室の窓より(5時半と6時前) AYAちゃん撮影
病院でいただいた3食。
病院食は、食材が工夫されている。淡白な味付けなど。
量的には、少なめ。
私は日常、はるかに多く食べている。年齢相応に、量を減らすべきかも。
3食とも、残さずいただく。
病院食(昼食) 手術前のため、ご飯は通常の半分 12時
病院食(夕食) 7時
病院食(朝食) 8時
お見舞いのチョコレートと苺
再び、窓からの眺め。
退院の朝(7時半と8時半)
※ AYAちゃんに学ぶ
私のメモノートを見ていたAYAちゃんが、
「おばちゃん、かんごしの<し>が間違ってる」
と、指摘してくれた。
私は、看護士と書いていたのだ。
今は、看護士、看護婦の総称として、<看護師>というのが正しいのだという。
帰宅後、明鏡辞典で、<看護師>を調べると、
<女性の「看護婦」と男性の「看護士」とを統一した名称。法律で定め、平成十四年三月から使用。>
と、その語の成立のいきさつが、明解に記してあった。