時々生活のリズムが崩れる。
今朝も、そうだった。
日の出と共に起床、というわけにいかなかった。散歩はお休みにしようかと躊躇ったが、そうだ、妹宛に昨夜書いた、誕生日祝いの葉書を出すため、ポストまで歩いてこよう、と家を出た。
郵便局は、いつも散歩する方向とは、逆方向である。
一旦外に出ると、体が歩くことに順応し、ポストまでといわずもう少し歩こう、そんな気になって、灯台の入り口への道を下りていった。
異なる道を歩けば、何か新鮮なものに出くわすから面白い。
今日の出会いの第一号は、紅梅の古木であった。(写真)
豪邸の庭先から少し離れたところに、この木はあった。
小枝がすべて、ほぼ垂直に伸びて、その枝々に紅い花が咲き満ちていた。
幹に目を向けると、二股に分かれた一方は、分かれ口に近いところから切断されている。既に枯死してしまったのだろう。
その切り口や二股の辺りには、ノキシノブ(しだ植物)が生じていた。
随分歳月を経た木のようである。
長い時間を生き抜いてきた、そのものだけが持つ、ゆるぎない強靭さに感心しながら、しばらく佇んで眺めた。
今朝も、そうだった。
日の出と共に起床、というわけにいかなかった。散歩はお休みにしようかと躊躇ったが、そうだ、妹宛に昨夜書いた、誕生日祝いの葉書を出すため、ポストまで歩いてこよう、と家を出た。
郵便局は、いつも散歩する方向とは、逆方向である。
一旦外に出ると、体が歩くことに順応し、ポストまでといわずもう少し歩こう、そんな気になって、灯台の入り口への道を下りていった。
異なる道を歩けば、何か新鮮なものに出くわすから面白い。
今日の出会いの第一号は、紅梅の古木であった。(写真)
豪邸の庭先から少し離れたところに、この木はあった。
小枝がすべて、ほぼ垂直に伸びて、その枝々に紅い花が咲き満ちていた。
幹に目を向けると、二股に分かれた一方は、分かれ口に近いところから切断されている。既に枯死してしまったのだろう。
その切り口や二股の辺りには、ノキシノブ(しだ植物)が生じていた。
随分歳月を経た木のようである。
長い時間を生き抜いてきた、そのものだけが持つ、ゆるぎない強靭さに感心しながら、しばらく佇んで眺めた。