ぶらぶら人生

心の呟き

ネコヤナギ、芽吹く

2007-02-26 | 散歩道
 海を背にし、朝日をも背にして坂を上る途中、白く輝くものが目に入った。
 近づくにつれて、ネコヤナギの芽であることが分かった。
 他家の畑の隅にあり、木の傍へ行くには、畦道を通らせてもらわなくてはならない。お断りをする人の姿もなく、「ちょっと失礼します」と言いつつ、ネコヤナギの傍へ行かせてもらった。
 芽立ちの美しさ!(写真)
 朝日があたって、その美しさを際立たせている。
 自然の生み出す、巧まざる造形の美には、言葉を失う。

 背景のコンクリート塀には、ネコヤナギの横に立っている枇杷の大樹が、自らの立ち姿を描き出している。お日様と樹木とのコラボレーション。
 自然が生み出す芸術作品に見とれながら、今朝の散歩を楽しんだ。

 今朝は、最も朝冷えが厳しかった。
 道端の草々に降りた霜の白さも、格別に美しかった。
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お見舞い

2007-02-26 | 身辺雑記

 人づてに、知人のKさんが、入院中の病院から近くの老人施設に移られたと聞いた。
 Kさんは、私の知人というより、母が生存中に親しくしていた人であり、母を幾度か家に見舞ってくださった人である。
 私よりはかなり年長で、八十代半ばの人である。
 歌やお茶を嗜み、いつも穏やかな笑みを絶やさず、内面も外面も美しく生きてこられた婦人である。
 昨年のいつごろであったか、家で倒れられ、意識不明のまま入院されたと聞いていた。見舞いに行かなくてはと思っているうちに、日赤病院から遠い病院に転院され、ついに見舞うチャンスを逸した状態になっていたのだ。
 運よく空き部屋ができ、今年になって施設「あじさい」に入所されたようだ。そこは、バスに乗って難なく行ける場所にある。
 近いうちに見舞おうと思いながら、また旬日を重ねてしまった。
 
 見舞いを促してくれたのは、椿の花であった。
 私の家にある白い椿の元は、Kさんが自宅の椿を摘み取り、母の見舞いに届けてくださったものである。花の終わった後、枝を鉢にさしたところ、しっかり根づいた。そこで、数年後、庭師に頼んで、裏庭に移植してもらった。それが、ここ十年余り花を咲かせ続けているのだ。
 今年も、蕾を沢山つけ、次々に花を咲かせている。(写真)
 (開花の始まった2月11日に、<椿 18 (家の白椿)>と題してブログに投稿。)

 日ごとに白い花が増え、それを眺めながら、お見舞いの日取りを考えていた。
 やっと訪れたのが、2月21日だった。
 前日、施設に電話して、Kさんの入所を確認し、訪問時間についても尋ねておいた。
 初めて訪れた施設は、明るい雰囲気の建物で、静かな場所にあった。
 Kさんの個室は、入り口から遠からぬところにあった。
 車椅子の生活になっておられたが、相変わらず美しい老婦人である。
 机の上に、国語辞典や私の好きな上田三四二の本があり、レターペーパーや筆記用具もあった。人柄の偲ばれる品々である。
 
 部屋の窓から眺められる風景が、いささか物足りなかった。
 山の削られた崖の上に、竹林が見えるだけだった。
 私がそれに触れると、Kさんは穏やかに微笑みながら、
 「でも、竹の表情を眺めていると、結構楽しいんです」
 と、おっしゃった。足ることを知る人であり、わずかな風景を歌の材料にもしていらっしゃるのだろう。
 「海は見えないのですか」
 と、尋ねると、食堂からなら、かすかに見える、とのことだった。

 私は持参した椿を花瓶に挿し、白い椿の由来を話したところ、Kさんは涙ぐみながら、あなたの庭で、そんな風に花を咲かせているとは嬉しい、とおっしゃって、でもお見舞いに椿を届けたことは思い出せない、と話された。
 人は、施された恩、施した恵みの、どちらを心に留めるものだろうか。
 kさんは、母のために届けてくださった椿のことを忘れておられたが、いただいた側の私は、優しい心遣いとして、心に留めているのだった。
 母の存命中に、kさん手製の蕗のお煮付けもいただいたことがある旨伝えると、
 「それは覚えています。蕗の薹を亡くなった母の流儀で煮てみたものでした。まずいものをお届けしてと、後で思ったのを覚えています。母のようには上手にできなくて……」
 と、おっしゃった。私自身、味がどうだったかは覚えていないけれど、心遣いをいただいたことだけは、しっかり覚えている。

 とにかく思いの外お元気そうな様子に安心した。
 玄関まで、車椅子を自分で動かし、送ってくださった。
 玄関の大きな花瓶には、(その後に名前の判明した)ヤシャブシが活けてあった。一度目にすると、山地以外でもめぐり合うのだから、物との縁は不思議なものだ。
 男性の職員がそこにおられたので、木の名を尋ねたが、ご存じなかった。
 が、ふと何かを思い出した表情になって、
 「昨日お電話くださった方ですね?」
 と、尋ねられた。前日の電話に出てくださった方だったのだ。
 電話の応対も、直接会っての印象も、感じがいい。老いの生活の日々が、こうした人たちに見守られているのなら、Kさんも幸せだろうと、嬉しく思った。

 Kさんと別れ、バス停に向かいながら、前日(20日)の朝日新聞で読んだ、鶴見俊輔氏と上野千鶴子さんとの対談を思い出していた。
 <老後を生きる覚悟>についての対談だった。
 社会学者の上野さんが、
 「高齢者の理想はPPK(ピンピンコロリ)。最後まで元気でいて、突然死するのがいいと。でもそれは若い人の理想で、人はそう予定通りには死なない。」
 「……<老後の自立>なんてうそですよ。老後は自立できないということをいかに受け入れるか。衰え方の作法と技法と思想が必要だと思います。」
 と、心に留め置きたい発言をされていたのだ。
 私も、いずれ自立不可能な老後を迎える日に備え、私なりに考えておかねばならないと……。

 老いを生きるのは、大変なことだ。
 

コメント (2)
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