花そのものが大きくて、花びらの重なり方が、やや無秩序な椿である。(写真)
逆光で撮ったため、細部が分かりにくいが、常識的な椿らしさを逸脱しているところが、この花の特色といえそうだ。
前々回に書いた椿の近くに、この木もあった。
亡き人は、どのように眺めておられたのだろう?
前回取り上げた椿の木の下には、その日、早くも落椿が地面に模様を描いていた。
落椿の風情にも捨てがたい味がある。だから、落椿を詠んだ句が多いのだろう。
気に入った句を「歳時記」から拾ってみた。
椿落てきのふの雨をこぼしけり 蕪村
一つ落ちて二つ落たる椿哉 正岡子規
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
ぬくうてあるけば椿ぽたぽた 種田山頭火
花びらの肉やはらかに落椿 飯田蛇笏
椿落ちて影生れたる日向かな 島村 元
落椿踏まじと踏みて美しき 西本一都
落椿われならば急流へ落つ 鷹羽狩行
落椿とはとつぜんに華やげる 稲畑汀子
落椿おのが一樹を囲ひつつ 鈴木久仁江
落椿五体投地の花ならむ 林 昌華
同じ落椿を詠んでも、作者の個性により、またその折々の状況や心境により、趣の異なるのが面白い。
昨年の暮れ、寒い冬のさなかに、最初の椿に出会ったので、「この冬の椿」と題して、1~14まで書いてきたが、もう立春も過ぎ、「この冬の…」という表現が、そぐわなくなってきた。今回から、「この冬の」を外して、単に「椿 ○番」という形で続けることにした。
そもそも椿は、木偏に春を合わせたできた、会意兼形声の文字である。
春に先がけて咲く花なのだ。その種類は500種もあるといわれる。椿の季節が終わるまでには、まだまだ珍しい椿や心に残る椿に出会うことだろう。そのつど、書き加えてゆこうと思う。
昨日、違うルートで歩いたとき、比較的大きな木が、沢山の花をつけている椿に出会った。(写真)
花自体は、昔から日本の山野で一番よく見かける類、藪椿とか山椿とかの名で呼ばれている種だと思う。
ただ、この木の傍で、ひとしお感慨を深くして立ち止まったのは、その木の所有者が、今は亡き人であるからだった。木の傍らの家には、昔、母と親交のあった方が住んでおられた。母もその家の夫人も、今は故人であり、椿だけは残って、今なお美しい花を咲かせているのだ。
和裁をなさるもの静かな夫人だった。母は幾枚かの着物を仕立て直してもらったはずである。
年々、この木に咲く椿は、その夫人に手折られて、花瓶にも活けられたことだろう。
ひっそりとした山蔭の家なので、今は数少ない通りがかりの人に、眺められるだけの椿となっている。
後継者はおられるはずだが、家は今、空き家となっているのではあるまいか。住居がそれほど廃れているわけではないが、何となく人の気配が感じられない……。
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず (劉希夷の詩、「代悲白頭翁」の一部)
私自身、来春、この椿の木の下に佇めるという、何の保証もないのだ。
節分辺りから続いている陽気も、今日でおしまいだと天気予報が報じていた。
そこで、降り始めぬ前にと、早めの散歩に出かけた。といっても、家を出たのは七時半。
散歩道に、よく吼えるビーグルを飼っている家がある。その家の塀ぎわに、梅の木がある。先日来、蕾が膨らむのを楽しみながら、眺めていたのだが、今朝見ると、ピンク色を帯びた花が、かなりの数、開花していた。(写真)
このところの異常な暖かさに促されて、咲き始めたのだろう。
朝でも、二月らしい底冷えがない。気味悪いほど暖かな朝が続いている。
大手を振って、海への道を下っていると、鶯が啼いた。鶯? と、足を止めて、次の声を待ったが、続かなかった。が、歩き始めると、また啼いた。
1月21日の朝に、初音を聞いた。そして、今日。
渚を散歩した後、海を背に急坂を上り始めると、また鶯が啼いた。今度は声が途切れることなく、啼きつづけた。幾羽、いるのだろう? 一羽ではなさそうに思えた。
これからは、当分の間、耳に、春の音楽を楽しめそうだ。
坂を半分登ったところで、友人のH夫妻に会った。
海草をあげるという人があって貰いに来たのだ、と。
小型車の荷台に積んだ容器に、沢山の海草が入っている。
「これ、お味噌汁に入れて食べて。粘りがあっておいしいから」
そう言って、三房の海草が渡された。
おすそ分けというわけである。
「アラメ?」
と、私が尋ねると、
「違う。これはカジメ。栄養があって、体にいいから……」
カジメ。聞いたことのない海草だ。海辺に長年住んでいても、食べたこともないように思う。
冷蔵庫で保管するのかと尋ねると、雨に当てないように気をつけ、物干竿にでもかけて置くように、とのことだった。
粘りが出ると聞いたとき、戦後の食料難で、お米に不自由した時代を思い出した。父が磯から採ってくる海草で、お粥とはいっても、少量のお米がお情けのように入っているだけの、さらさらのお粥を、無理矢理粘らせて食べていた日のことを……。
今思い出してみるのに、お粥の中に海草そのものが入っていたわけではないような気がする。
お水に海草を入れて煮立て、そのエキスで粘りを出させていたのだろうか。
子供時代で、炊事の場にいなかったので、作り方がよく分からないまま、
「あのお粥、このカジメを入れていたのかしら?」
と、独り言めいて言うと、
「あれは、ホンダワラじゃ、ないかしら?」
H夫妻は農家育ちであり、海草の粘りで、液体をわずかでも固まらせ食の満足感を得ようとするような、惨めな食事体験はないのだろうと思う。
それでも、H夫人の答えは、それはカジメではなく、ホンダワラだろうとのことだった。
私は、いただいたカジメを胸に抱え、海の香と一緒に帰宅した。
帰宅後、パソコンで海草について調べてみた。
ありがたいことに、「海藻・海草 写真いちらん」のページに出くわし、200種もの海草写真と説明を読むことができた。
海草も、写真で見ると、なかなか美しい。
昆布、ワカメ、海苔などの加工品は、みな黒々としているが、海水にそよぐ藻草は、一色でくくられるものではないようだ。
カジメは、コンブ目の中の一つとして、ワカメ、クロメ、アラメと並んでいた。
ホンダワラは、ヒバマタ目の中にあった。
早速、朝のお味噌汁に入れてみたが、昔食べたお粥ほどの粘りはなかった。もう少し量を増やした方がよかったのかもしれない。
一人分の食料としては多すぎるカジメを、H夫人に言われたように、紐でくくり、物干竿にかけておいた。