おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

父の話・その2

2016-12-07 23:00:08 | Weblog
 今年の正月、まだ松の内も明けぬ1月5日、母からのメールで父の腰痛がかなり重症であることを知る。この時点ではまだ頭はしっかり、メールも活用していて、自分で買い物に行けないので母に食料品の買い出しを依頼してきたらしい。
 後に分かった痛みの原因は、前年7月に腰痛改善のために行った手術で背骨に埋め込んだネジがゆるんで神経に触っていること。何でも、普段透析に通っている聖路加では「手術したら車椅子になってしまう」と反対され(私からしたら、実に良心的だ)、紹介を頼って日赤まで行って受けた手術。透析のついでに聖路加で腰痛も診てもらおうとしても断られ、仕方なく日赤で診察を受けたところで判明。(で、そのまま入院)
 日赤の医者曰く「骨年齢が現在の年齢約80歳に透析年数約20年をプラスして100歳。そんな骨にいくら止めつけても骨が脆くてゆるんでしまう」とのことで、誰もが「んなこと、手術の前に言えよ!」と突っ込みたくなる話。ただ、父がそれでも手術してくれ、と、しつこくねじ込んだ可能性もあり、あまり文句も言えない。というか、長年透析という医療行為で生かされているせいなのか、父の医者や医療に対する過信は、医者嫌いの私からするとまったく理解不能。なんで背骨に金属を埋め込んで腰痛が治ると思うのか?! ストレッチとかマッサージとか、もっと穏やかで、いくらでも「取り返しのつく」方法があるでしょうが!
 こうなると、マイケル・ジャクソンの整形手術状態で、次から次へとエンドレス手術地獄である。とりあえず早急に再手術をすることだけは決まったが、方法は未定という恐ろしいお話。
 結局、私も母も普通に考えて「そんなことやればやるほど悪化するだろ???」と思うような手術を1月下旬に受け、しばらく寝たきりに・・・。
 具体的には「前年7月の手術でチタンの梯子状の板を5コの腰椎に長いネジ5対で止めつけた。ところが骨が弱いため、体の動きなどで負担がかかり、上下両端2対のネジ穴が3倍ぐらい大きくなり、ネジが下がって神経に触り痛みが発生した(ぎゃー、恐ろしい、書いてるだけで痛くなってくるというか、そもそもそんな手術をするヤツも受けるヤツも信じられない)」「そこで今回、上下両端のネジを外しチタン板も短くして、腰椎2、3、4番目だけにかかるようにした。腰椎が滑ってこないよう腰骨を移植した。移植の骨が付くまでに6ヵ月くらいかかる」とのこと。医者から説明を受けた母は「3回4回と再手術する人もいる」とまで言われたそうで、そんな手術、どこのどいつが考えて、どこのどいつが受けたいと思うのか?! まったく理解不能な世界である。まさにMJの無限整形地獄状態。
 医者が、病院の評価を上げるために手術件数を増やそうとして、無理矢理やっているとしか思えない。しかも透析患者は治療費の自己負担がないので、患者の同意を得られやすいのだろう。ふざけた話である。
 さてさて当の父はといえば、手術後1月経ってもほとんど寝たきり、つかまりながら数歩歩くのがやっとだそうで、返すがえす、前年7月の手術なんか受けなければ良かったのに!である。それでも手術をした日赤は、金の取れる治療がなくなったとみえて、今度は大久保病院ならリハビリも透析もできるからと転院を勧める始末。一方の大久保病院では(仕方ないので母が話を聞きに行った)、状態を聞いたリハビリ医が「回復は期待できない。普通のマンションに戻って自活するのは無理」と、ごもっともなご意見。さらに、「リハビリ入院は次に行く施設が決まってからでないと受け付けません」と言われたのが3月上旬。
 日赤では、大久保病院に押しつけるのに失敗し、さすがにほぼ寝たきりの患者を追い出せず、改善する治療もなく、そんな状態になってもまだマンションに戻って自活することを夢見ている父は、哀れそのものである。しつこいけれども、前年7月の手術さえしなければ、多少痛くても歩けていたのである。一人暮らしできていたのである。人間、生まれたままの体が一番いいに決まっている。他に生きられる選択肢がないのならともかく、そんなことしなくても生きていけるのに、どうして背骨に板なんか打ち付けようと思ったのか、何度も書くけれども全く理解不能。
 どうやら父は代々木の山下医院の山下医師というのをえらく信頼しているらしい。その山下医師に「手術するなら今しかない」とそそのかされ、彼の友人が勤務している日赤を紹介されたとか。本当に迷惑な話である。どう責任を取ってくれるのか?!(取りようがないわな)

 そして母は3月下旬、父のために何度も病院に足を運んだり日本橋のマンションから郵便物を取ってきてやったり透析もできる有料老人ホームをあちこち探し歩いたり、当時存命だった祖母に関わる面倒もあって疲労が溜まり、転倒して今年1回目の骨折。母に関しては、父の話が終わってから改めて書きます。母の場合は、「一体全体何のために生きているのか」という話とはまた違って、「一体全体どうしたらここまで不運になれるのか」というお話・・・

 とりあえず、父の話(父に関する愚痴)、まだ続きます・・・すいません・・・
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