おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

出産後・その2

2007-12-31 09:33:30 | Weblog
 前回「おっぱいが嫌いな赤ちゃんっているのか?!」と書いたが、どうやらいるらしい。嫌いとまでは言わなくても、なかなか吸い付いてくれなかったり、食が細かったり。普通におっぱいを飲むが、大して執着しない赤ちゃんもいるそうだ。うちの娘はと言えば、おっぱいに執着しまくりである。お腹がいっぱいになっても、起きている間は吸い付いていないと気が済まない。離すと泣く。逆に、泣いたらすぐにおっぱいに吸い付かせればケロリとご機嫌。楽なんだか、大変なんだか・・・
 いずれにしても首がすわり、両手を使わずに抱っこや授乳ができるようになるまでは、「腕は疲れる肩背中は凝る両手が塞がってなにも出来ない」状態が続きそうだ。

 前回、産後1週間のお話を書いた。とにかく疲れた1週間だった。
 例の小児科にはもう2度と行きたくなかったのだが、電話で出生届に必要な書類はいつできるのかと聞くと、2週間検診の時に渡すと言う。「でき次第取りに行くから、もっと早くくれ」と言いたいところだったが、なんだかそう言うエネルギーも失せてしまっていた。結局2週間後に再び受診し、出生届に必要な書類は無事にもらえたものの、またしても83ドルの出費。(さすがにこの小児科はこれを最後に。初診の日に4月まで入れられてしまっていた定期検診の予約はすべてキャンセルした)
 自分のほうは、その後も順調に回復。慢性的な寝不足は仕方ないが、その他は特に不調もなく、どんどん普段の状態に近づいていった。約2週間後におそるおそる測ってみた体重も、もうこれ以上減らなくていーんじゃん、という値だった。出産後、体型が元に戻って出産前のジーンズなどがはけるようになるには半年ぐらいはかかるものと聞いていたが、これまた問題なくはけてしまった。
 というか、赤ちゃんというウエイト抱えて1日に何度も立ったり座ったりの重労働。母乳として常に糖分&水分を排出し続け、その上に慢性的な寝不足。そりゃ、やせるよ。逆にやせないほうが不思議なぐらいだ。私なんか、食事の用意は主に夫がやってくれるから、すべての家事をこなさなければならないママたちより随分と楽しているハズである。それでも新生児の面倒を見るというのは相当な重労働だ。体型が崩れて元に戻らない、といった問題は起こるかもしれないが、単純に太ったやせたという点だけ見たら、普通やせるでしょう・・・???
 Birth Centerでの3週間検診で、出生届けに必要な助産婦からの書類も無事に受け取る。娘は少し小さめではあるものの、母子共に問題なし。
 この頃からスポーツクラブでの泳ぎも再開。プールの常連さんたちは私も含めて皆、いつも大体同じような時間帯に来る。私が泳ぐ時間帯の常連さんたちは、私が徐々に太って(?)いった様子を、見ていないようでしっかり見ていたようだ。泳ぎを再開した直後は、それまで話したことがなかった人たちも含めて、多くの常連さんたちに声をかけられた。「いつ生まれたの?」「男の子? 女の子?」「体格がすっかり元に戻って、妊娠なんかしてなかったみたいだね」
 娘がタイミング良く寝てくれないと出かけられないので、以前のように行きたい日に必ず泳ぎに行けるわけではないが、泳ぐと肩や背中の凝りが楽になる。泳ぎの前後のジャグジーやサウナも、寒い季節には心地よい。なにより泳ぐとストレス解消になるので、可能な限り泳ぎに行く努力をしている今日この頃。
 誕生から1ヵ月余り経った12月21日には、ようやく出生届けを出しに行く。書類がすべて揃った時点で速攻、ロサンゼルス郡の保健所のようなところに電話をしたのだが、予約が取れたのがこの日になってしまったのだ。これがまた、超不便な場所にある上に、駐車場代に7ドルも取りやがる。ここでまたあーだこーだと1時間半も費やし、ようやく出生届けが受理され、出生証明書を一部受け取ってほっと一安心。
 ・・・と思ったら、家に帰り着いた瞬間、担当者から電話がかかってきた。曰く、証明書の記載が一部間違っていた、差し替えるから来て、だと・・・。ったく、なんでアメリカっていう国はいつもこうなんだよ?!
 あんな不便な場所まで、時間と(最近とみに高い)ガソリン浪費して再び行くのはイヤだし、また7ドルの駐車場代を払うのもご免だ。切手代41セントで済ませたほうがまだマシなので、証明書を担当者宛に返送し、修正した物を送り返してもらうことにする。
 で、手元に証明書があるうちに、と、速効で連邦政府の窓口まで走り、娘の社会保障番号を申請する。社会保障番号の申請には出生証明書の提示が必要だ。記載に間違いがあると言っても社会保障番号の申請窓口の人間が気にするような重篤な間違いではない。社会保障番号の取得には、申請から約4週間かかる。社会保障番号を一刻も早く取得したかったので、申請が受理されてから(間違いの修正のために)証明書を返送する。
(社会保障番号は、いわゆる国民総背番号のようなもので、アメリカではありとあらゆる場面で記載を求められる。本来は年金類の受け取りのための納税者番号だが、実際には考えられるありとあらゆる個人情報がこの番号と結びつけられている。娘のパスポートや健康保険の申請にも必要なため、一刻も早くほしかった)
 あとは社会保障番号が届いてからパスポートを申請すれば、娘誕生にまつわる各種手続きは一段落するはずである。
 妊娠から出産、その後の各種手続きを改めて思い返して総括してみると、助産婦を呼んでの自宅出産も一長一短だったなぁと思う。ギリギリになって助産婦を変更するトラブルに見舞われはしたものの、自宅での水中出産自体は非常に満足だった。痛い腹かかえて病院まで移動する必要も、出産後の疲れた体で家まで帰る必要もない。病院のように不自然なことは一切されない。しかし病院で出産していれば、出生届の提出も社会保障番号の申請も病院がやってくれるらしい。出産後3日以内に小児科を探して行くとか、超不便な場所にあるロサンゼルス郡のオフィスまで出生届を出しに行くとか、社会保障番号の申請に行くとか、そういった面倒(+苦労+疲労)はいっさい不要だ。もちろん出産自体が一番大事なイベントではあるのだが、出産後の各種手続きの大変さがやたらと記憶に残ってしまった。なにごとも、1回でスムーズに済まないアメリカだから、余計にそう感じるのだろう。
 今から再び妊娠出産をするとしたら、病院出産と助産婦を呼んでの自宅出産のどちらを選ぶか、かなり微妙かもしれない。予算が潤沢なら、フリースタイル出産などを受け入れてくれる自由度が高くて理解のある病院で産むのがベストかもなぁ〜

 なかなか書く時間が取れずに長引いてしまった出産ネタ。どうにか年内に終わらせられてほっと一息。いろいろ苦労はあったけど、可愛い娘が無事に生まれてくれて、2007年は素晴らしい年でした。2008年も、どうぞ良い年になりますように☆

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出産後・その1

2007-12-21 16:37:55 | Weblog
 娘が生まれて約1ヵ月、しみじみと感じるのは、首が据わらない乳飲み子がいると自分のことがほとんどできないということ。うちは夫も基本的に家にいて、食事は9割方作ってくれるし、子どもの世話も積極的にやってくれる。かなり助かっているのだが、いかんせん夫にはおっぱいがない(当たり前)。娘は本当におっぱいが大好きで(おっぱいが嫌いな赤ちゃんっているのか?!)起きている間はほとんどおっぱいに吸い付いている。腕の中で寝てしまった後も、置くと起きて泣きそうで、そのまま抱きっぱなしということもある。娘を抱くポジションによっては両手がふさがるし、どんなに頑張っても片手しか自由にならない。片手でパソコンを操作するのは、なんと不便なことか。片手で文章をタイプするのは、ストレス以外の何物でもない。せめて両手を使った時の半分の時間で片手タイプができればいいのだが、実際には10倍ぐらい(10倍以上?)の時間がかかるし、本当にイライラする。ここの更新はもちろん、メールの返事も滞りがちだ。
(ここの更新は日頃から頻繁ではないが、ネタがなかったり書く気が起きなくて更新しない普段と違い、今は書きたいことがあるのに書く時間がない状態)
 子どもが生まれるのと前後して、多くの友人知人から「赤ちゃんが寝ているすきに用事を片づけようとせず、赤ちゃんと一緒に昼寝してね」とアドバイスされた。Birth Centerからもらったパンフレットにも、そう書いてある。確かにそうしなければ自分が休めないことは分かるのだが、でも赤ちゃんが寝ている間だけが両手を自由に使える時間だ。一緒に昼寝をしていたら赤ちゃんの世話以外のことがなにもできなくなってしまう。この1ヵ月で昼寝できたのは、せいぜい2〜3回か・・・

 さて前回の続きの出産ネタ、産後編。
 出産後の自分は、産前にいろいろな人から聞いていた状態よりはるかに元気だった。貧血もなく、当日の夜は普通に食卓を囲んで前夜の残り物を食べたし、メールの送受信もした。お腹(子宮)も空気の抜けた風船のように急激にへこんでいき、翌日、往診(?)に来た助産婦は何事もなかったかのような私のお腹を見て「妊娠なんかしてなかったみたいだね」と感心していた。
 しかし徹夜出産から続く寝不足はきつかった。生後3日間、娘は夜間ほとんど寝てくれなかった。なにごとも初めてで要領も分からず、交代で寝るという頭も働かず、夫婦2人して一晩中おろおろ。娘と一緒に昼間寝ようにも、やらなければならないことが山積していて昼寝どころではない。
 アメリカは病院出産でも日帰りか1泊、帝王切開ですら1〜2泊、Birth Center出産も日帰りだ。自宅出産の私は移動する必要がない分、少しは楽なハズなのだが、病院でも助産院でも1週間入院できる(=1週間は授乳とおむつ交換以外、なにもしなくて済む)日本のシステムをかなり羨ましく感じた。
 助産婦からは、出産後2週間は外出禁止、家事も禁止、授乳とおむつ交換以外はひたすら寝て休むようにと言われた。Doulaも、出産後に無理をすると後々体にがたが来るので、とにかく休めと言う。しっかしアメリカのシステムは休めるようになんか、全然できてない!
 そもそも誕生から3日以内に赤ちゃんを小児科に診せに行かなければならないという時点で、上記の言いつけを守るのは不可能。しかも娘が生まれたのは感謝祭の週の月曜だ。感謝祭前後は日本のお盆前後のようなもので、あてにしていた小児科2軒に「26日(翌週月曜)以降しか診察できない」と断られる。出産翌日の火曜日、あわてて電話帳を引っ張り出し、その週のうちに診てくれる小児科を必死で探す。ちっとも昼寝なんてできやしない。
 水曜日に診てくれる小児科をようやく見つけ、少し遠いが他に選択肢もなく、出産2日後にして遠出ドライブ。この小児科は高い(というか、普通なんだろうけど)ので、できれば出生届に必要な新生児検診の1回だけで終わらせたかったのだが、黄疸が心配だから2日後にまた来るようにと言われ、脱力。親も子も、ここまで来るだけで、えらい疲れるんだっての! しかも金曜日の予約は早朝だし・・・
(この黄疸というのがまたくせ者で、アジア系の新生児は大抵が言われるらしい。友人の子も再検査を受けさせられたそうで、「いい加減、アメリカの医者もアジア系はそういうものだって学んでほしいよね!」と怒っていた。妊娠中は胎児が小さいだの、もっと食えだのと言われ、生まれたら今度は黄疸だと脅される。異国での妊娠出産は実に大変でストレスに満ちたものであることを思い知ったよ・・・)
 仕方なく金曜日に再びこの小児科を訪問したところ、新生児全員が受ける先天性異常の検査と黄疸の検査を、隣の総合病院でまとめて受けるように言われる。どうせ受けなきゃいけないもんなら、水曜日に言ってほしかった。水曜日の初診の診療費120ドルは仕方ないとしても、金曜日はただ血液検査の指示を出しただけなのに83ドルも取りやがって・・・
 隣の総合病院が、これまた最悪。巨大な施設で、受付から会計、検査を受ける場所まで、全部が全部、非常に離れた建物の別の階にありやがる。出産直後+何日も続く寝不足+早起きして遠出=ヘロヘロなところ、さらにさんざん歩かされ、時には立ったまま待たされ、たかが血液検査に1時間半もかかって疲れ果てる。
 しかも! 約1時間後にこの病院から電話があり、「採血した量が少な過ぎて検査ができないから、もう1回採血しに来て」などとぬかしやがった! 採血の時、手際が悪いなぁ、とは思っていたが、本当にふざけるな!って感じ。近隣で昼など食べていて、まだ病院の近くにいたから良かったが、前述のように病院から家まではかなり遠い。すでに家に帰った後でそんな電話があったら完全にキレてた・・・
 2回目の採血の人は手際が良かったからまだ助かったが、家に帰り着いた頃には寝不足+疲労で思考能力ゼロ状態。そこへもってきて、今度は小児科医から電話。血液検査の結果が速効で小児科医に回ったらしく、ビリルビン値(黄疸の指標)が少し高いから、土曜の朝、もう一度血液検査を受けろなどと言いやがる!
 またあんな遠くまで、しかも翌日の「朝」に行くなんて、冗談じゃない! 寝不足状態で朝早くから新生児を連れて出かける大変さは、考えただけでも心の底からイヤになる。殺す気か?!
 なんとか断ろうとしたが、なにしろ小児科医には出生届に必要な書類を書いてもらわねばならない。その書類が人質(?)になっているから拒否しきれない。さんざんごねた挙げ句、どんなに早くても昼より前には行けない、と言うと、実にあっさり「じゃ、昼でいい」とぬかしやがる。だったら最初からそう言ってくれ・・・
 そんなわけで仕方なく土曜日に再び、遠路はるばる総合病院へ。週末のせいか、会計の場所が前日とは異なり、一層遠くの建物まで歩かされたものの、検査自体はすんなり終了。しっかし、先天性異常の検査は全新生児が受けるよう決められているらしいが、別に受けなくても構わない黄疸の検査を2回も受けさせられたお陰で、約150ドルの余分な出費である。
 こうして家族が増えて最初の1週間は、とてつもない睡眠不足と疲労を蓄積しつつ、慌ただしく忙しく過ぎていった。できるだけ寝ていなければと分かっていても、やることは山積、外出も必須。よほど具合が悪ければイヤでも休むのだろうが、下手に元気な分、無理をしてしまって良くないなぁ〜と、しみじみ。

 それにしても、「らいおんハート」の歌詞じゃないが、子どもができたら世界で2番目に愛する存在になるだろう、もちろん1番はダンナと、妊娠中はそう思っていた。夫婦はお互いを1番愛し、その次に子どもを愛することが、家族全員にとって最高の状態である。両親の仲が悪いほど子どもにとって不幸なことはない。自分を誰よりも愛している親なんて、うっとうしくてしょうがない。それより両親の仲がいいほうが、子どもにとってどれだけ有り難いことか。
 しかし生まれてきた我が子を見たら、とてもじゃないが「あなたは2番目」なんて言えなくなった。大きくなって生意気になってきたらまた違うのだろうが、私たちなしではほんのわずかの間も生きられない小さな命が、今は愛おしくて愛おしくて仕方がない。
 実のところ、「我が子が可愛くて愛おしくて仕方がない」という本能がなかったら、あんな手のかかる生き物、誰も面倒見ないかも・・・
(続く)←出産ネタは次回で終わると思います、多分

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誕生

2007-12-10 08:37:45 | Weblog
 日本でも同様らしいが、アメリカでも出産準備の1つに「出産の時の様子をイメージしてみる」というイメージトレーニング(?)がある。しかし過去に経験がないもの、イメージのしようがない。陣痛がどんなものかですら想像できない。経験者に聞いても「なんとも言えない痛み」という答えしか返ってこない。陣痛に気づかなくて寝てる間に産まれちゃったらどうしよう?と言うと、皆「それは絶対にあり得ない」と言うので、相当痛いことに間違いはなさそうだ。しかし依然として「自分が出産するイメージ」なんて、とんと湧いてこない。
 昔、定期検診かなにかの折りに産婦人科の医者から「するっと産んじゃうタイプかもしれないですね〜♪」と言われたことがある。そんなこともあり、私の出産イメージは「なんの苦労もなく実にあっさり速攻でするっと生まれてくる」という、実に楽天的なものに落ち着いてしまった。助産婦やDoulaに「何か不安や心配はあるか」と聞かれる度に、「なぁ〜〜〜んにも」と答える能天気ぶり。

 さて、前回の続きである。11月19日朝7時半頃だったか、助産婦チームも到着し、もういつ産んでもOKな状態になった。私の予想(というか、勝手な希望)では、ここから30分とか1時間で実にあっさりと産み終わっているハズだったのだが・・・これがまたなかなか、そうは問屋が卸さない・・・
 陣痛の痛みは、少し前にフジテレビの西山アナが「尋常じゃない痛み」とコメントしていたのをスポーツ紙のサイトで読んでいたが、まさにその通り。腰が砕けるような、とでも言えばいいか。こんなに痛いということからして予想外。自分は痛みに強い自信があったし、無痛分娩を選ぶヤツらのことを「なんて軟弱な」と思っていた。しかしこれだけ痛い時に「無痛分娩もありますけど、どうします〜?」と聞かれたら、つい「お願いします」と言ってしまう気持ちも分かる。(無痛分娩に関しては、副作用の話をかなり聞くので、例え選べたとしても選ばなかったと思うけど)
 陣痛が始まったのが深夜1時過ぎだったから、もちろん徹夜明け。陣痛の合間には強烈な睡魔に襲われ、何度も意識が遠のいてビニールプールに沈みかける。時々、「まだかよぉ〜?!」「予定と違うぞ!」などと思いながら時計に目をやる。
 もちろん、すべてのものには終わりがある。どんなに大変な時も、いずれは終わる。ようやく我が子が水の中に出てきた時には、パパは感動でウルウル、ママはやっと重労働から解放された安堵で感動どころじゃない、という、実にありがちなパターン。そして一呼吸おいてから、まず性別を確認。ダンナはどうしても女の子がほしくて、妊娠前から女の子の名前だけ決めていた。妊娠中もお腹に向かい、ずっと女の子の名前で呼びかけてきた。希望通り女の子だったことが分かり、ほっとひと安心。というか、男だったら名前を考えるところから始めなければならず、大変だったかも。
 次に我が子の顔をしみじみと確認。まだ全身がふやけて白っぽく、唇だけがやたらと赤い。はれぼったいまぶたに、ダンナも私も超くっきり二重まぶたなのに、どうしてこの子は一重なんだろう???などと、誕生直後に考えることかい?!というようなことを疲れた頭で漠然と考える(後に、まぶたのはれぼったさは徐々にひき、あるかないか分からなかったまつ毛も生後2週間ぐらいではっきり分かるようになり、少しずつ二重っぽくなってきた)。しかし助産婦が赤ちゃんを私の体の上に置き、初めて我が子を自分の手で抱いた瞬間、小さな命はびっくりするほど力強くおっぱいに吸い付いた。見ていた出産のプロたちが驚くほど、産まれた直後だというのにいきなり上手に吸い付いたのである。生命力が強そうな子だなぁ〜と思うと同時に、急に愛おしさが止めどなく湧いてきた。どんなことがあってもこの子を守らなくては!という母性が芽生えた瞬間であった。
(続く)

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誕生前夜

2007-12-02 10:11:47 | Weblog
「誕生前夜」って、別にラウドネスじゃありません(←ごく一部の人にしか分からんこと書いて、すいません)。かつての自分を含め、興味のない人にとっては全くもってつまらない出産ネタですが、あと数回はおつき合い、もしくは読み飛ばしてくださいマセ。
 11月に入った頃から「(赤ちゃんが)早く出てきてくれないかな〜」と、そればっかり。そろそろ自分の体調管理もつらくなってきたし、あまり大きくならないうちに生まれてほしい。お腹に向かって「早く出ておいで〜」と呼びかける毎日。
 一応の予定日が11月15日だったので、12日の週に入ると「いつ生まれるか」「今日かも。明日かも」と、いっそう落ち着かない。
 生まれちゃったら当分は泳ぎにも行けないだろうと思い、結局この週は12日(月)から15日(木)まで毎日スポーツクラブで泳いでしまった。しかし15日も何事もなく終わってしまい、ちょっとがっかり。
 翌16日はLA AUTO SHOW(東京モーターショーみたいなもん?)の一般公開日。今年は行けないかと思っていたが、まだ生まれていないのだから行くしかない。歩き回ることで、陣痛促進になるかもしれない。というわけで、16日はLAコンベンションセンターへ。会場内ではエスカレーターを避けてわざわざ階段を使ったり、あえて遠回りをして別会場に移動したり、たくさん歩く努力をした。しかしこの日も陣痛は来ぬまま終了。かなりがっかり。
 翌17日は、いつもは車で行く距離のドラッグストアまで、あえて歩いて買い物に。普段は通らない道を通ったり、車で走っていると気づかない発見があったり、それなりに楽しいお散歩だったものの、それでも陣痛は来ない。イライラとあせりがつのる・・・
 18日も長距離を歩こうかと思ったが、すでに胎児がかなり下がってきているようで、足の付け根が痛くて大して歩けず。子宮口を柔らかくするという月見草オイルも、17日の午後から4時間ごとに飲んでいるが、やっぱり陣痛が来ない・・・
#お願いだから早く出てきて〜、とお腹に向かって懇願
 その夜、いつものように12時頃にベッドに入ったものの、なんとなく変な感じがして12時半頃に1人で起き出す。深夜1時頃から明らかに自覚できる腹痛。こ・・・これはもしかして、待ちに待った陣痛か?!
 1人でしばらく様子を見るが、痛みはどんどん強くなるし、痛みと痛みの間隔は短くなってる気がする。陣痛開始から本格的な陣痛までは、初産で通常半日ぐらいかかるっていうし、明け方までダンナを起こさずに1人で待とうかと思ったが、クローゼットから出産に必要なものを出したりゴソゴソやっていたら、ダンナも目を覚ます。
 陣痛は昼間始まることのほうが少ないらしい。夜中でも気にせず我慢せず電話して、と言われてはいるものの、やはり夜中の2時3時に他人に電話はしずらいものである。しばらく我慢して、確か4時半頃にDoula&助産婦に電話。
※Doula:説明が難しいのだが、出産にまつわる諸々の面倒を見てくれる人、とでも言えばいいか。
 6時頃、Doulaがやってくる。早くも陣痛は本格的になりつつある。すでに膨らませてあった水中出産用のビニールプールにお湯をはり、この日のために買ったウエットベストを着て中に入る。通常よりお産の進行が早そうなので、Doulaが助産婦に「早く来い」と電話。恐らく7時半頃か、助産婦&アシスタントが到着する。
(続く)

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