おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

夏休み目前

2022-05-24 10:22:12 | Weblog

ケージは広いのに狭いところでギシギシしているモル(本文とは関係ありません)

 子どもの学校が6月2日で終わる。夏休み目前である。
 うちの子は、8月から高校生になる。アメリカは、キンダー(年長相当)から12年生までの13年間が義務教育だ。区切り方は地区によって異なり、うちの学校区ではキンダーから6年生が小学生、7、8年生が中学生、9から12年生が高校生だ。ちなみに隣の学校区では小学校は5年生まで、6~8年生が中学生だ。どちらも高校は4年間。ぶっちゃけ、つい最近までアメリカの高校が4年間だと知らなかった。自分に子どもができなかったら、一生、知らなかったと思う。高校時代、うちの高校から交換留学でアメリカの高校に行った生徒もいたりしたが、その時もまさかアメリカの高校が4年間かもしれないなどと、考えもしなかった(まあ、どうでもいい話だが)。
 なにはともあれ、うちの子は間もなく卒業。うちの子が通っている学校はキンダーから8年生までが一緒に学んでいるので、9年間(間1年半、コロナで自宅学習だったけど)通った学校を、いよいよ卒業するわけである。
 親としては、学校への送り迎えのうち、「迎え」が間もなくお役御免になる(高校は、朝は遅刻しては困るので送って行くとしても、帰りは自分でバスに乗って帰ってきてもらう予定)。これはかなり嬉しい。下校時の学校前の混雑渋滞、壮絶な停める場所取り、ありとあらゆる方向から人や車が出てくる無法地帯と、ようやくおさらばできる。バンザイ!
 というわけで、夏休み。相変わらず日本は鎖国してるし(申し訳程度の団体客を受け入れたって、「開国」とはほど遠い)、もうどうでもいいモードだったのだが、つい数日前になって子どもがイギリスに行きたいなどと言い出して大わらわである。もっと早く言えよ!!! 時間的猶予もないし、日本在住時に五大陸を旅した私もイギリスには行ったことがないし、いろいろと調べているところだが面倒くさくて往生している。果たして無事に行けるかな? まあ、無理そうだったら別の場所で我慢してもらおう・・・。

 話変わって去年あたりから、朝パソコンを立ち上げるとまず、猪木さんのYouTubeチャンネルに新しい動画があるかチェックするのが習慣になっている。一時期はかなり心配な状況だったのが、今月に入って比較的お元気そうな動画が次々にアップされていた。
 しかし、昨日アップされた動画を見て、いろいろな思いがわき上がる・・・。介護車の中の様子とか、あまり見たくなかった。すべてを見せるのが猪木さんのすごさなのだけれど、時の流れは残酷である。

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5年

2022-05-13 10:46:15 | Weblog

お風呂上がりのモル(本文とは関係ありません)

 母が、東京の実家で孤独死してから丸5年が過ぎた。今でも何だか現実味がない。亡くなったこと自体を嘆いているわけではない。人間1回しか死なないのに、どうしてあんな風に死なせてしまったのか。私自身が死ぬまで一生消えないトラウマだ。
 しばらく前に、父親を孤独死させてしまったことについて書いているサイトを共感しながら読んでいたら、「孤独死の何が悪い?」というようなコメントを書きこんでいる連中が結構いて、非常に不愉快だった。
 こういうことをわざわざ書く連中って、妻子を交通事故で殺された男性に「被害者ヅラするな」とか「金目当てだろ」などと誹謗中傷する連中と同じ匂いがする。他人の気持ちを思いやることができないクズどもである。(てめぇがそう思うのなら自分のサイトにでも勝手に書いてりゃいいわけで、わざわざ嘆いている相手に向かって、わざわざ苦しんでいる相手の目につくように、わざわざ悲しんでいる相手をさらに傷つけるような形で書く必要はまったくない)
「孤独死の何が悪い?」などと書いている連中は、きょうだいなり両親なり、誰か親しい家族に孤独死してもらってみたらいい。そして何日も発見されず、遺体に虫が湧き、ドロドロに溶けて、体液が床下までしみ出して、とんでもない異臭を放つ現場にでも立ち会ったらいい。修復不能になった畳や床、臭いの染みついた遺品、事故物件と化した不動産を前に、一度途方に暮れてみたらいい。
 もちろん、嫌な思いをさせられるのは家族親族に限らない。孤独死は「不審死」だから、必ず警察が立ち会うし、多くの場合は司法解剖にも回される。仕事とはいえ、警察だっていい迷惑だ。警察の現場検証だって、司法解剖だって、税金が使われる。家が家族の持ち物なら修復費用は自分持ちだが、賃貸だったりしたら家主もいい迷惑である。集合住宅だったりしたら、他の部屋の住人にとってもとんでもない迷惑だ。
「孤独死の何が悪い?」などと書いている連中には、逆に孤独死の何がいいのか、教えてもらいたいもんだ。
 そりゃ、死んだらすぐに誰かが発見してくれるのなら、まだマシだろうよ(それにしたって、警察は入るし、司法解剖だってされる確率が高い。どちらも医師の立ち会いの下で亡くなった場合には必要ないことだ)。しかし、孤独死してもなかなか発見されないのが現実だろ。現実を見ろ、現実を。
 母の場合、比較的早く発見されたし、真夏でもなかったので、おそらく死後1週間近く経ってからようやく対面した遺体は、驚くほど痩せてはいたものの、目立った痛みはなかった(発見されるまでに数日、それからアメリカの私に連絡がつくまでに時差もあって丸1日、どんなに急いでも翌日の飛行機になるからまた2日、結局、対面できるまでに1週間近くかかってしまう)。もちろん発見された後は冷蔵保存されていただろうが。そんな「マシ」な場合ですら、家の中はなかなか大変な状況だったのである。
 最後に母に会ったのは、2013年末から14年お正月にかけて、子どもの冬休みに家族で日本に行った時。そして亡くなった2週間後には、3年半ぶりに子どもを連れて日本に行くことになっていた。母は、3年半ぶりに孫に会える直前だった。母が生前、最後に送ったメールは私の娘宛、「あとちょっとで会えるね。待ちきれないね」といった内容。
 亡くなる数日前から具合が悪かった様子だし、現場の状況からして倒れて即亡くなったというわけでもなさそうなのに、どうして自分で救急車を呼んでくれなかったのか。永遠に解けない謎。
 私も、見守りサービスでも利用していれば、せめて娘と母と毎日1回は必ずメールのやりとりをする約束にでもしていれば、などなど、今さら考えても何の意味もない、先に立たない後悔は尽きない。
 百歩譲って(?)孤独死は仕方なかったとしても、せめて2週間待ってほしかった。3年半ぶりに孫に会って、楽しく過ごした後で亡くなったのなら、少しは気が楽だったのに。

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