おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

何が夏時間だ・・・

2019-03-10 22:51:43 | Weblog
 アメリカは3月10日から夏時間が始まった。かつては夏時間の開始は4月の頭、終わりは10月末だったのだが、数年前から3月前半から11月半ばまでが夏時間ということになってしまった。まだ春分にもなっていないのに、何が夏時間だ!
 渡米直後は夏時間というシステム自体が物珍しく、面白がっている部分もあった。それに20代30代の若い肉体にとって年に2回、時間が1時間ずれようが「ヘ」でもない。普段から夜中の2時まで飲んだりと規則正しさとは無縁の生活をしているわけで、夏時間による時差ボケなんぞするはずもなくて、特に何も感じなかった。
 しかし年齢を重ねるにつれ、たかが1時間の変化でもよく眠れなくなったり、調子が狂ったりする時が出てきた。さらに子どもの寝かしつけに常々苦労している親にとって、子どもの睡眠障害につながる夏時間の切り替わり時は最低最悪地獄である。夏時間なんてシステムを考えたヤツを呪い殺してやりたくなる(とっくに死んでるとは思うが)。
 もちろん夏時間が健康に悪いことは21世紀にもなって世界中で認知されており、欧州でも夏時間反対という意見が圧倒的だそうだし、ここカリフォルニアでも昨年11月の選挙時に「時間の変更を止めるかどうか」の投票が行われ、「時間を変更しない」票が過半数を超えた。
 でもって、「やった、夏時間がなくなる!」と喜んだのもつかの間、どうやらカリフォルニア州は今後「夏時間に固定」するらしい・・・
#はぁ~~~???
 時間の変更を止めることには賛成したけど、誰も夏時間のままにしてほしいなんて全く思ってない! そもそも、東京(標準時設定地点より随分と東にある)の早い夜明けに慣れている自分にとって、アメリカ本土の西端にあるロサンゼルスは標準時(夏時間じゃない時)でも夜明けが遅いと感じる。今朝なんぞ、夏時間になりやがったせいで3月半ばなのに朝の7時でもまだ薄暗かった。
 この先ずっとこの時間のままだということは、今年の秋から冬にかけて、朝7時に起きても真っ暗、下手すると子どもを学校へ送る8時になってもまだ薄暗いということになりかねない。マジに不愉快! ただでさえ冬場は朝、布団から出るのが嫌なのに、なんで真っ暗な中、それも7時というごく普通の時間なのに真っ暗な中、起き出さなければならないのだ?! 考えただけで腹が立つし今からゲキ憂鬱になってくる。元々の冬嫌いが加速しそうだ。

 それにしても今年はどうしてこういつまでも寒いのか?! 今日も相変わらず寒くて手先足先が冷たくて、「何が夏時間だ?!」という怒りが倍増する。
 いつまでもいつまでも寒いから、代謝も抵抗力も免疫力も落ちて、血行も悪くなって、体調も最悪である。去年11月に日本で念入りに「骨洗いマッサージ」をしてもらって以来、しばし凝りとは無縁だったのに、ここ数日は持病?の肩や首、背中上部の凝りがバリバリに復活してきている。(せめて日本式の風呂があればなぁ。ジャグジー&サウナだけのために、近所のスポーツクラブの会員になろうかとさえ考えている)
 おまけにこの2週間ほどは、鼻水がだらだら止まらない。抗ヒスタミン剤もあまり効かない。鼻水自体はかめば済むのだが、問題はかみすぎたせいで鼻の周辺の皮膚がボロボロになってしまったこと。鼻の下や小鼻の脇、鼻自体の下部が常に薄いかさぶたで覆われたような状態になってしまい、ひりひりピリピリ痛かゆくてたまらない。外見的にもひどいので、外出時はマスクが手放せない(日常的に大勢がマスクをしている日本と違い、アメリカでマスクをしている人なんて滅多にいないから超目立つ)。
 安物のティッシュを使っているから悪いのかとも思ったが、ティッシュが直接触れるわけではない鼻の穴の内部の皮膚までボロボロになっているようで、鼻をかんだり口を動かして皮膚が引っ張られたりすると、水分を失って硬く突っ張った皮膚がピリッと避けていちいち痛いし血も出るし、鼻水だけじゃなくて死んだ白血球の黄色い液まで垂れてくる(汚い話ですいません・・・)。
 鼻の下部や周辺の皮膚にも裂け目が何本も走り、皮膚が引っ張られるとピリッと痛い上に裂け目が開いて血がにじむ。おまけに硬くなった皮膚だかかさぶただかが、古くなるとボロボロむけてきて汚らしいことこの上ない。
 しかも現在進行形の傷の痛みと、治りかけ部分のかゆみが混在していて、かゆいからついついかくと、また血が出るし、余計に痛くなる。ホントに最悪だぁ~~~
 今まで、鼻水が止まらないことは数限りなくあったけど、皮膚がここまでひどいことになったのは初めてである(忘れている可能性もあるが)。
 ネットで対策を調べ、とりあえず白ワセリンを塗ることで少しはマシになったのだが(一般的なクリームを塗ると、しみて超痛い)、完治にはほど遠い。そもそも鼻水が止まらない限り、皮膚トラブルも治りようがない。
 明日は免疫力を高めるためにヨーグルトでも買ってこようかと考えている・・・
 とほほ・・・

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ラッシー永眠

2019-03-04 22:13:07 | Weblog
 モルモットのラッシーが死んでしまった。命あるものは必ず死ぬし、普通は小さい動物ほど寿命が短い。仕方がないのだが、悲しい。


(我が家にやってきた直後のラッシー)

 我が家にもらわれてきてから3年弱。正確な年齢は分からないけれど、半年ほど前から少し元気がなかったから、高齢だったのかもしれない・・・


(我が家にやってきた直後のラッシー)

 来たばかりの頃はやんちゃな暴れん坊で、よく大騒ぎしていた。


(25センチぐらい高さがあるイグルーにも、軽々と乗っていた)


(プールでも、よく一緒に遊んだ。濡れてワイルドな男前になったラッシー)


(みんなでギシギシ。手前がラッシー。子どもの左手が触れているのが、去年、預けている時に死んでしまったモジャ。右手が触れているのが、最後のルームメイトになったツネティ@生後4週間)


(手前向かって右がラッシー、左がツネティ、その奥がモジャ)


(ツネティ1歳のお誕生日祝い、でも肝心のツネティ@左から2番目が隠れてしまってます・・・。ラッシーはすぐ動くので帽子を被っていません)


(ハロウィンのカボチャの隣でくつろぐラッシー)


(かわいくて泣けてくる・・・)


(亡くなる前日、元気なく目を閉じるラッシーの側に寄りそうツネティ)


(目を閉じている時間がだんだん長くなっていった・・・)

 まだ夕べ亡くなったばかりなので、写真を見てると泣けてくる。せめもの救いは、最後の数分間、穏やかに背中をなでてあげていられたこと。でもラッシーはあまり人なつっこいほうじゃなかったから、実は迷惑だったかな・・・
 そして思い出すのは、去年の夏、家族で日本に行っている間、預けていた施設で死んでしまったモジャ。あんなに人なつっこくて、他のモルをなでていると「私もなでて」と寄ってくるような可愛い子だったのに、呼べば来るお利口さんモルだったのに、ひっそりと死なせてしまった。せめてモジャも、最後は膝に抱いてなでてあげながら見送ってあげたかった・・・
(モジャを預けた施設への文句は、後から後からわいてくる。当初は動転して悲しくて何も考えられなかったが、冷静になって考えると、そもそも死んだことを知らせるメールからして超不親切。原因不明で死んでいた、死体の処分を獣医に任せるか、火葬にするか、と書いてあり、訳も分からず施設で焼いてくれるのかと思い火葬にしてくれと返信した。同じメールに、せめて最後の写真を送ってくれとも書いたのに、以降いっさい返信なしで、アメリカに戻って引き取りに行くまでどの子が死んだのかすら分からずにやきもきさせられた。おまけに、火葬というのはペットの火葬業者に依頼するという意味で、100ドル以上もかかるという説明も一切なしの事後承諾。随分後になって、遺灰を取りに来てと連絡があり、意味を理解するまでに相当時間がかかったが、さすがに行かないわけにも行かず。行ったら行ったで不意に涙が止まらなくなって号泣、その場でいきなり100何ドルとか言われても抗議をするような状況でもなく、文字通り泣きながら払って『実に立派な』遺灰の入った箱と、足形を取った祈念碑?を受け取って帰ってきた。しかし、よくよく聞けば、私が他のモルを引き取りに行った時点でまだ火葬業者はモジャを引き取りに来ておらず、モジャの遺体は冷蔵か冷凍でその施設にあったようで、だったらそのまま遺体を渡してくれたら良かったじゃん!!!と、百万回ぐらい叫びたい・・・。預かり費用自体もかなりお高く、1匹1日あたり14ドルも取っておきながら、モジャが死んだ後の分の返金もなし。二度とそこへは預けたくないので、次の夏休み、どこへモルを預けたものかと悩み中)
 ラッシーの話なのに、モジャの話が長くなってしまいました。とにかく、ラッシーは最後をしっかり看取った。本人が嬉しかったかどうかは、分からないけれど。
 実のところ、どうするのが理想的な看取りなのかなんて、いつだって、永遠に分からない。父が亡くなった時だって、わざわざアメリカから看取りに行ってるんだから、最後は手でも握って、(人間が死ぬとき、聴覚は最後まで残っているそうだから)「お疲れ様でした。どうぞゆっくり休んでください」とでも言えば良かったのかもしれないが、そんな気の利いたことは何もできなかった。
 それにしても、去年の夏からラッシーのルームメイトになっていたツネティは、また一人になってしまった。実はモジャが亡くなった時も、一緒のケージにいたのはツネティだった。(モジャ&ツネティ、ラッシー&他の2匹という組み合わせで預けていた)
 でもだからって、他の2匹とツネティを一緒にしたら、今度はしょっちゅう喧嘩して大騒ぎになって、うるさくてしょうがないだろうなぁ・・・

 ラッシー、一緒にいた間、とても楽しかったよ、どうもありがとう。できればもっと長く一緒にいたかったのに、本当に残念で悲しい。何もしてあげられなくて、ごめんね。どうぞやすらかに眠ってください。

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