おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

無駄な金、払い過ぎ・・・

2018-01-27 23:02:43 | Weblog
 最近すっかり老人問題ブログと化しております・・・

 さて、父の任意後見人になっている司法書士と相談しながら、父の身辺を少しずつ整理している今日この頃である。いざ亡くなってから「あれも」「これも」では、本当に大変だからね。
 11月に司法書士と一緒に父と面会した際、携帯電話は使わないから解約しましょうということで司法書士が持って帰った。このドコモの携帯電話、2016年1月に父が入院した際、病室からの連絡用に契約したものだったと思うが、おそらく入院中も数えるほどしか使っていない。同年8月に現在のマンション型老人ホームに入って新たに固定電話を契約してからは、まったく使っていない。電話機本体も、充電すらされずに長い間放置されていた(紛失していないだけ良かった)。使わなくったって月々の基本料金は取られているというのに、まったく、もったいないことである・・・
 司法書士に、使っていないクレジットカードも手がすいた時に徐々に解約してくれなどと依頼しているうちに、唯一使っているクレジットカードの明細を見る機会ができ、ソフトバンクだのヤフーBBだのの引き落としが気になったので司法書士に聞いてみたら(父宛の郵便物も、いったん司法書士のところに転送されるようにしてある)、どうやら日本橋に住んでいた時に契約していたインターネット接続の料金や03で始まる電話番号利用料金を、ナント! 未だに払い続けていたことが判明・・・
 引っ越してから一年半も、毎月約7000円の不要な出費・・・。ドコモも合わせたら、使っていないサービスに毎月一万円以上、1年半も払い続けてきたわけだ。
 父が日本橋のマンションを引き払って現在の施設に入る時、母へのメールに「インターネット接続の解約も必要ですね」といった内容を書いた記憶はあるが、母にしたってそこまで面倒見きれない話だし、私も自分で動けるわけではないのであまりしつこくも言えなかった。案の定というかイヤな予感が当たってというか、やっぱり解約せずに放置されていたわけだ。
 電気やガス、水道は、不動産屋もチェックするし次の入居者が契約するしで、イヤでも解約されるのだろうが、固定電話は次の入居者がその番号を使うわけじゃないもんねぇ・・・。これも、かつてのNTT独占時代なら(電話の権利が10万もしたり、不要になった電話の権利が売買されていた時代があったんですよ!)引っ越したら電話も移転ということになり、古い番号がそのまま放置されるとか二重に課金され続けるということはあり得なかったのだろうが、今じゃいろいろな業者が電話事業に参入してるからねぇ・・・。まさかまさかの驚き桃の木。
 ってかさぁ、携帯電話は普段使っていなくても緊急時用に持っている人はいるだろうから仕方がないとして、インターネット接続とか固定電話とか、もう使われていないこと、どうして業者が分からないのかね?! もちろん、解約手続きをしなかった(できなかった)父が一番の原因なんだけど、なんとも気分が悪い話である。
 司法書士が(今さら)慌てて解約の電話をしてくれたようなのだが、光回線のモデムとかルーターとかの設備一式を元の箱に入れて返却しろ、紛失の場合は18000円払えと言われたそうな。んなもん、ぜってぇ~~~にねぇ~~~よ!!! マンション引き払う時にそのまま置いてきて、不動産屋が処分してるよ! 一年半もの間、提供してもいないサービスに課金を続けた上に、18000円払えかよ?!
 いやさぁ、父の引っ越しの際に何も面倒見なかった私が、あまりエラそうなことも言えないんだけど、阿漕な商売してるよねぇ・・・

 さらにさらに、まだある無駄な固定費。2015年まではインターネット使って株取引をバリバリ行い、株仲間向けにメルマガまで発行していた父であるが、2016年1月の入院を機にインターネットはまったく使わなくなってしまった。それでも引っ越しの際にパソコン一式は持ってきたもので(当初はインターネットを使う気があったのかもしれない)、現在の住居にもインターネット接続サービスが契約されている。これも11月に司法書士と一緒に面会した際、まったく使わないから解約してくれという話になった。
 で、これまた司法書士が調べてくれたところによると、OCNひかりというインターネットと固定電話の抱き合わせ契約になっていて、インターネットだけの解約はできないそうな・・・。おまけに解約したら違約金が11000円かかる。極めつけは、解約して電話だけ新たに契約すると、電話番号が変わってしまうのだそうだ。
 引っ越した直後はまだ余力があり、友人知人親戚に新しい住所と電話番号を知らせる転居通知を書いで出した父である。今から電話番号が変わってしまっては(電話なんて滅多にかかってこないにしても)不便きわまりないし、今の父には皆様に番号変更のお知らせを出す元気もない。
 というわけで、本来なら電話回線だけ、それも滅多に使うわけではないので一番安い契約で済むハズなのに、これからも毎月6000円以上も払い続けなければならないわけである・・・

 おそらく日本全国(日本以外も?)、似たようなケースで使ってもいないサービスにお金を払い続けている人って、ゴマンといるんだろうな。なんだかなぁ・・・

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死者への年賀状

2018-01-13 11:40:12 | Weblog
 珍しく立て続けの更新。
 すでに人手に渡ってしまった実家宛に届く郵便物は、私設私書箱へ転送してもらっている。その私設私書箱では、届いた郵便物の写真を撮って、パスワード保護された個人専用のウェブサイトに掲載してくれる。便利なサービスである。
 さて、その私設私書箱から郵便物到着のお知らせメールがきたので、自分専用のサイトにアクセスした。いくつかの郵便物に混ざって、年賀状が4通届いていた。
 片面の写真しか載っておらず、1通は裏に差出人名が書いていないので誰からか分からないが、残り3通はすべて、私が去年6月に母の死亡を知らせるハガキを出した相手からの年賀状である。
 死亡告知状を出しているにも関わらず、死んだ人間に年賀状を送ってくる。なんという非礼、信じられない無神経、理解不能である。まあ母の知り合いだから皆それなりに高齢だろうし、ボケてるのか?!
 まあ、そんな年賀状を送ってくる相手は、そもそもその程度の付き合いでしかなかったということだろう。親しい相手が亡くなったことを忘れるわけはない。不愉快だけど、仕方ないね・・・。

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お墓問題勃発

2018-01-12 23:12:59 | Weblog
 立て続けに父の話題になってしまうが、昨日の夜、寝る前のメールチェックをしたら、父の後見人になっている司法書士からまたメールが来ていた。新年にかこつけて(毎年1月に意思を確認しているということにして、聞きにくいことを聞こうという作戦)お墓の希望や最期に会いたい人などを父に聞いてもらった、その返事である。
 その中で、お墓の希望を読んで、私はぶっとびました・・・。昔からの確定事項というか既定路線というか、とにかく父は父の実家のお墓に入るものだと、母も私も勝手に思い込んでいたのだが、ナント! 実家(今誰が残っているのか不明)とはもう疎遠なので、自分も母と同じ墓に入る、と答えたそうな・・・。
 じょ・・・冗談も休み休み言ってほしい。
 一体全体、別居生活何十年だと思っているんじゃ・・・???(40年以上か?)
 ってか、性格的に放っておけないし、法律上は夫婦のままだから、母はいろいろと父の面倒を見て(寿命すり減らして)きたけど、母は父のことなんかみじんも好きじゃないし(たぶん)。
 大体さぁ、実家の墓に入るつもりがないんだったら、頭も体も元気なうちに自分で墓を探しておけよ!!!
 母なんぞ、10年以上も前からあちこちの永代供養墓を探して資料請求して見学して、じっくり考えて今のところに決めて、相当前からちゃんと権利を買ってあったのだ。それを今さら横から来て一緒に混ぜてなんて、虫が良すぎるだろ!
 というかそもそも、例え他に大勢の皆さんが一緒に眠っていらっしゃる共同墓地であるにしても、だよ! 父を母と同じ墓なんかに入れたりしたら、母が化けて出てくる、私ゃ呪い殺される、末代まで祟られる(??? なんのこっちゃ・・・)。
 いやいやいや、せっかく現世に未練のかけらもないらしく、私がいくら望んでも、発見されるまで数日間亡くなったまま倒れていたその場所に布団を敷いて寝ても、夢枕にすら立つことなくとっとと天上に逝ってしまった母の、安らかな眠りを妨げるようなことをしたら、マジに祟られるわ・・・。

 というわけで、父が実家のお墓に入らないつもりなのに驚いたこと、母は相当前に購入した共同墓地に入っているのでもう空きがないこと(あるかもしれないけど、ないということにしておく)などを司法書士に返信した。それに対する司法書士からの返信によると、母が亡くなった時にはすっかり記憶力が衰えていた父は(それでも母が亡くなったことを忘れないだけ助かる)、母がどういったお墓に入ったかもよく理解しておらず、何やら私が母のために新たにお墓を買った、ぐらいに思っているらしい。(父が歩行困難で痛々しいので、火葬時は父も立ち会ったけれど、納骨時には父を呼ばなかった)
 実のところ、母が自分用の墓を購入したことは、まだ父の頭がしっかりしていた相当前に父にも伝えてあるハズなのだが、まあそんなことはきれいさっぱり忘れてしまったのだろう・・・。
 母が入っているのが共同墓地ということであれば、次の機会にまた改めて父に訪ねてみると、司法書士は言ってくれているのだが、いずれにしても「父の墓探し」という新たなミッションがここに来て発生してしまったわけである。脱力・・・。
「一緒の墓に入る」というのは勘違いからきた発言だと分かり、少し安心したものの、それにしても何で元気なうちに自分の入るとこを探しておかないかねぇ・・・??? 困ったもんだ・・・。

 うちなんて、親戚づきあいもほとんどなく、母方の祖父母と両親のみの実に小さい家族だというのに、祖父は祖父が亡くなった時に横須賀から先祖代々の墓を引き上げて新たに買った所沢の墓地(諸事情により、今は母の弟夫婦が渋々管理中。私自身は10年以上も前に母から止められて以来、参っていない)、祖母は杏林大学病院に献体したのでてっきり三鷹の共同墓地になるかと思いきやぐっと引っ込んで不便な八王子のお寺の共同墓地(まだ一度も参っていません)、母は多磨霊園近くのこじんまりした共同墓地、ここに新たに父の墓地が加わるわけである。もうみんなしてあっちこっちに散らばって、訳分からん・・・。
 私は積極的無宗教だし、「千の風になって」じゃないけど遺骨が置かれている場所に特に意味があるとも思わない。私自身の骨は散骨してほしいし、お墓参りなんかしなくても心の中で亡くなった人のことを考えていればそれでいいと思うが、それにしても遺骨を放っておくわけにはいかないからやっぱり「父の墓探しミッション」はやり遂げなければならないのである。

 まあ、いいこともあるさ。だって父が亡くなった時、ほぼ面識ゼロに等しい(会ったことがあったとしても、私が本当に幼少の頃)父のきょうだいや父方の親戚に頭下げてお墓に入れてもらう、という、これまた実にやっかいなミッションはなくなったわけである。父の実家(出雲)のお墓なんかに入っちゃったら、それこそお墓参りなんか納骨時を最後に二度と行かないだろうし、私が父のお墓を決められるというのはきっとラッキーなことに違いない。そういうことにしておこう。
 父は昔、毎週末のように登山に行っていた時期もあったから、いっそ日本アルプスを臨む共同墓地とか探そうかねぇ・・・?(そんなの、あるのか?!)

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ワンワンワンの日(特に意味なし)

2018-01-11 22:58:30 | Weblog
 例年通り紅白歌合戦を見ながら飲んだくれているうちに年を越し、今年もすでに11日が過ぎてしまった。ちなみに、タイトルに特に意味はない(子どもと一緒に見た先週の妖怪ウォッチからの連想)。
 2017年は、なんと4回も日本往復。もちろん仕事で世界中をもっと飛び回っている人はたくさんいるだろうが、私の中では年間日米往復回数の記録である。そして今年も、子どもの春休みにまた日本行きだ(たぶん夏休みにもまた行く)。実のところ、相続関係の事務的な用事があって行かねばならないので私一人で行ってもいいのだが、実家ならいざ知らず、一人でホテル暮らしというのはどうにも空しくてつまらないので、次は子どもを連れて行くことにした次第。子連れは子連れなりに行動が制限されるし面倒ではあるのだが、物は試し。初の、子どもと2人でホテル暮らしである。
 さて、日本に行ったからには、父にも面会する。去年は、3年半ぶりに孫の顔を見せる直前に母が亡くなってしまい、どうして春休みに無理をしてでも日本に行かなかったのかと、しても何も変わらない後悔を死ぬまでする羽目に陥った。そんなわけで、例えが適切かどうかは微妙だが「羮に懲りて膾を吹く」状態、父に過剰サービス(?)である。特にここんとこ5月は鬼門だから、その前に一度、父に孫の顔を見せないとね。2度あることは3度あるで、2016年5月祖母逝去、2017年5月母逝去、2018年5月父逝去なんてことになったら洒落にならないから。
 さんざん世話になった母には4年前を最後に孫の顔を見せられなかったというのに、大して世話にもなってないし好きでもない父には「過剰サービス」で、もし母が知ったらムッとしそうだし、自分でもなんだかジレンマなのだが仕方ない。他にどうしようもない。これ以上、後悔を増やさないための「自衛手段」である。
 その大して好きでもない父にしても、若い頃は随分と横柄で傲慢で自信過剰で、頭脳も肉体も人並み外れていたというのに今じゃ見る影もなく、昨日のことも思い出せない。(よせばいいのに何度も背骨の手術を受けた自業自得ではあるし、そのせいで母が疲弊して死期を早めたようなものなのだけれど)常に背中が痛くてどこにも出かけたくない。ただただ終の棲家で小さくなって残りの日々をやり過ごしている姿が哀れで気の毒で、あんまり邪険にもできない。
 ところで先日、父の後見人になっている司法書士が、父宛に届いた親族関係の年賀状をスキャンしてメールしてくれた(父は喪中ハガキとか、出してないんだろうね)。母方も成人してからも面識のある親戚は母の弟夫婦ぐらいしかないのだが、父方にいたってはこれまで父のきょうだいの安否すら知らなかったところ、年賀状を見て驚いた。ナント! 父(今年82才)の姉2人とも存命だった・・・! ちなみに父の妹も存命。
#それって実は、すっげー長命の家族じゃねぇの・・・???
 父の母は、父が子どもの頃に亡くなっている。父の父は、私が幼児の頃に亡くなっている。そんなことから、何となく私も母も父も、「母方=長命」「父方=短命」という思い込みがあったのだが、全然違うじゃん・・・。
 父が人工透析患者になった時には、やっぱ父は短命の家系なんだなんて思ったのに、奇跡のように20年以上も透析続けて問題なく生きてるし・・・。
 母が亡くなった際は、母の母が106才近くまで生きたことを引き合いに出して「(母は)私(=父)が死んでからも何十年も生きるんだろうと思ってたのに」と驚いていた父。父自身も「母方=長命」「父方=短命」という思い込みに支配されていたようだが、現実を見れば自分のきょうだいもこの年なのにまだ全員揃ってんじゃん・・・。確かに父の親の世代は短命だったようだけど、父の代はきょうだい揃ってすでに十分長命だよ。寝たきりとか植物状態とかの人は誰もいないようだし、少なくとも短命な家系では決してない。
#いやぁ~、思いっきり今さらだけど、驚いた・・・。
 母は・・・、いろいろ背負い込む性格的な問題だったり、運の悪さだったりで周りに寿命吸い取られて、親族の中で母だけが妙に早く逝ってしまったんだねぇ・・・。

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