おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

3時15分の呪い

2018-09-29 06:56:30 | Weblog
 昔は、アメリカから日本に来た際は問題になるような時差ボケにはならず、逆に日本からアメリカに戻った際になかなか時差ボケが治らないことが多かった。しかし、なぜか近年は、すっかり逆である。以前は太陽と同じ方向に移動する時は時差ボケになりにくい、という話を誰かから聞いて「だからかぁ~」と納得していたのだが、全然違うじゃん!!!
 とういわけで、今回も時差ボケに苦しめられている。
 というか、どうしてこう毎朝、毎朝、3時15分に目が覚めるのか?! 今回、日本に来て以来、必ず夜中に目が覚めて、部屋に備え付けのデジタル時計を見ると決まって3時15分・・・! 寝た時間だって、水曜は10時、木曜11時、金曜は12時半と、まちまちなのに、目覚めると必ず3時15分! 3時15分の呪いかよ?!
 木曜日の朝は結局そのまま眠れず、木曜日午後の父の付き添いは、睡魔との戦いでもあった。金曜日の朝は布団の中でジタバタするうちになんとかもう一度眠ることに成功、6時過ぎまで寝られたけれど、今日土曜日の朝はなんとしても再び眠れず、結局5時頃に諦めて起き出した。
#眠いのに、眠れない!!! 滅茶苦茶眠いのに!!!
 お願いだから、ゆっくり眠りたい~~~!!!
 どうせ今日も、午後は睡魔との戦いになるんだろうな・・・

 時差ボケはホテルのせいではないけれど、このホテルにあと1週間も滞在するのかと思うと、かなり気が重い。まあ、直前予約だったので選択肢がほとんどなく、仕方なかったとはいえ、憂鬱である。
 お値段が安いので、狭いことや(禁煙室が空いていなくて)部屋がヤニ臭いのは我慢するにしても、今時、外出の度にキーをフロントに預けて帰ってくる度にフロントで受け取らなければならないシステムは、かなり鬱陶しい。勘弁してほしい。
 しかしまあ、和式の浴槽に浸かれるし、冷蔵庫と湯沸かし器もあるので最低限ほしいものはあるということで、我慢我慢・・・と思っていたのだが、父が早々に亡くなってしまったので、あえて父の病院の近くに滞在している必要はなくなった。今後いろいろな手続きがあるにしても、別に近くに泊まっていなくても用は足りる。そこでフロントで、滞在予定を短縮できないか聞いてみたのだが、インターネット予約サイトを通じて全額前払いで予約したから、ホテル側では変更できないという。それでは、と、予約サイトにログインしてみたものの、システム上は既に「宿泊済み」となってしまっているため変更不可能・・・
 もちろん残金をドブに捨てる気があれば、途中でどこへでも勝手に移動すればいいのだろうが、そこまでの根性もない。とほほ・・・である。
 同じホテルに泊まる予定だったとしても、11泊まとめて1つの予約にせず、3泊ぐらいずつ細切れの予約にすれば良かった。そうすれば後半の予約ブロックをキャンセルできたし、禁煙ルームが取れる期間もあったかもしれない。今後あまり役に立つこともなさそうな「知恵」ではあるが・・・
 それにしても、あと丸々1週間もここに滞在しなければならないのかと思うと、何度も書いてしつこいけれど、かなり気が重い。ホテル自体は我慢するとしても、ここは周辺環境があまりよろしくない。駅からホテルに向かう途中に風俗やらあやしげなパブやらがたくさんあるのだ。
 夜8時以降に駅からホテルに向かうと、いかにもな黒服(ポン引き?)や派手なおねーさんがいっぱい立っている間を抜けて行かなければならないのである・・・
 初日の夜は7時半頃に部屋に戻ったので何も感じなかったが、おとといも昨日も8時過ぎてしまったもんでホテルに戻る道中、非常に感じが悪かった。最初は、たまたま変なのがたむろしているのか、あるいはパーティーでもあるのか、などと思ったのだが、朝、駅に向かう途中で周辺をよく確認して納得。
#あぁ~あ、ゆぅ~~~~つ!

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父を看取る・・・

2018-09-28 23:16:01 | Weblog
 昨日、白目をむいたままで荒い呼吸ながらも、とりあえず眠りに落ちた・・・というか、意識がなくなった父をおいて、ヘロヘロとホテルに戻ったものの、もちろん心の片隅には一晩中ずっとついていたほうが良かったのではないか?という思いが渦を巻いていた。
 しかしまあ、状態に変化があれば病院から電話があるだろうと、自分に言い聞かせる。私が無理をして疲れ果ててくたばっちまっては、元も子もない。それに、とにかく時差ボケで眠かった・・・
 今日は朝一のシャトルバスに乗っていったん父の部屋に行き、前日ある程度片付けた品物のうち、引き取る物の一部を鞄に詰めて、いったんホテルに戻る。一度にたくさんは運べない・・・ってか、そもそもアメリカにたくさんは持って帰れないが、それでも最低2回は運び出す必要がある。その1回目である。
 その後、病院に直行したのだが、11時近くなってしまった。父の様子を見ると、昨日より深く眠っている(んだか、意識を失っている)様子で、もう手足もほとんど動かない。昨日まではいやがって外していた酸素マスクも、装着されたままになっている。病院スタッフによると、前夜からずっと眠ったままであったようだ。
 もう長くないことは誰の目にも明かだ。とりあえず今日は面会時間が終了する8時まで滞在するつもりで暇つぶしの道具(本やパソコン)も持ってきたし、腰を落ち着ける。父はずっと眠ったまま、昨日よりは随分と静かで楽そうな呼吸を規則正しく続けている。看護師さんが時々血圧を測ったり、鎮静剤の点滴の交換に来ても、ほとんど無反応。
 なんとなく異変を感じて、読んでいた本を鞄にしまったのが午後2時50分。それまで規則正しかった呼吸の間隔が、かなり空くようになってきた。血圧を測りに来た看護師さんが異変を感じ、他の人を呼びに行き、何人かが様子を見に来た後、別の部屋に移動する。しかし私が見たところでは、その時点ですでに90%は亡くなっていた。
 別室では、テレビドラマや映画でよく見るような心電図グラフ(?)が表示されるモニタを装着されるも、その時点でほとんど呼吸も脈もなかったと思う。
 しかも、その瞬間に、普段からお世話になっていた病院スタッフ(入院している大病院ではなく、老人ホームに併設の小さな診療所の医師で、普段は父はそこで透析を受けていた)から電話・・・! 死にかけてる時に、看取りの大事な瞬間に、電話かけてくんじゃね~よ!!! さんざんお世話になったスタッフで感謝してもしきれないぐらいだが、この電話だけは、おそらく一生ムカつく・・・
 その最悪なタイミングの電話を受けている最中に、先に書いたモニタが、これまた映画やテレビのように赤く点滅してピーピー鳴り出し、グラフの表示が平らに一直線になった・・・
 この時、その病室には私と父のみ。別室でモニタしているとはいえ、なかなか現れない看護師や医師に微妙に不安を感じつつも、もしかするとゆっくり看取るための思いやりか・・・とも思ったり・・・。あるいは、完全に不可逆的に亡くなるのを待っていたのか。これがまだ生きられる可能性がある若い患者だったら、この時点で心臓マッサージなり電気刺激なりをするだろうから、その必要がない患者の場合はしばらく間を置くものなのかもしれない。勝手な予想だけど。
 そうこうするうち、ようやく医師と看護師がやってきて、瞳孔を確認して死亡を宣言。たぶん、死亡診断書に書かれた時刻は、実際に亡くなった時刻より15分ほど遅い。まあ、どうでもいいが・・・
 父の死が悲しいというより、私の周りに近年立て続けに起こる喪失や変化を思い、平家物語の冒頭ではないが、世の無常や(大げさだけど)盛者必衰をしみじみと感じて少し涙が流れた・・・
 看取ったと言えば看取ったが、これで良かったのか、よく分からない。もし母を看取ることができたのだったら、ベッド脇でずっと手を握っていただろう。迷わず一晩中、付き添っただろう。
 もちろん、父の最期の願いはちゃんとかなえた。私がいたからこそ、父がいやがっていた首のカテーテルを抜き手の拘束も解き、意識がある間は酸素マスクも外せた。意識がなくなるまで側にいた。おそらく苦しみながら父が最期に見たものは、私の顔だっただろう。しかし意識がなくなった後とはいえ、ずっと付き添ったわけではない。意識が戻らないまま亡くなったとはいえ、臨終に際して手を握ったわけでも声をかけたわけでもなく、横で眺めていただけだ。おまけに、最後の最後の本当に最期は電話を受けていた。
 よく分からないし、多分誰にも分からない。正解はない。
 後悔しないためにはるばる太平洋を越えて飛んでは来たものの、せめて自分だけでも満足できる、とりあえず自分だけでも納得できるような看取りは、結局できなかった。

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最期の迎え方

2018-09-27 22:47:42 | Weblog
 26日夕方に日本に到着し、とり急ぎ、ホテルに荷物を置いて父が入院している病院に行った。私を見てすぐに分かったあたり、頭はしっかりしている様子。しかし、体はほとんど動かず、会話もあまりできず、面会30分ほどで父が眠いと言い出したので、とりあえず初日は早々に退散した。
 寝不足で眠いのに、時差ボケで3時過ぎに目が覚め、午前中は比較的のんびり過ごした翌27日。父が入院している病院の担当医師が午後に話をしたい、とのことで、午後2時頃に、再び病院を訪ねた。
 父の様子を改めて見ると、昨日は布団がかかっていて気付かなかったが、両手にミトンがはめられており(ミトン型鍋つかみのような手袋をはめられて、それがベッドの柵につながっており、手をあまり動かせなくなっている)、私の顔を見るなり、それを外してくれと言う。昨日も、そのせいでほとんど動かなかったのかと、愕然とする。
 10分ほどで担当医と面談となり、延命はいっさいしない、すべての施術は苦痛を和らげるために行う、ということを、結構強硬にお願いして了承してもらう。
 いやまあ、首に刺した透析&点滴用のカテーテルを、無意識に抜いてしまうから両手を拘束したという病院の立場は分かるよ。下手なことすると、ここぞとばかりに訴訟に持ちこもうとするような非常識な連中が多いからね。
 しかし、私だったら両手を拘束されるような、そんな最期は絶対にイヤだ。何をやったってどうせ長くないのに、回復することなんてあり得ないのに、今さら透析や点滴なんかして、どうなる?! もうすべて止めちゃって!!と、父がミトンをはめられる原因になった首のカテーテルを抜いてもらい、もちろんミトンも外してもらう。
 例え相手が誰であろうと、そんな風な最期は絶対に迎えてほしくないから。
 点滴も透析も輸血も、もうしない。でも、苦痛を和らげるための鎮静剤を投与するには、やっぱりカテーテルを差さねばならない・・・ということで、今度は腕にカテーテルを刺し、鎮静剤を投与してもらう。
 説明だと、そのまま眠ったままになってしまうかも、とか、呼吸も止まってしまうかも、などという話だったのに、鎮静剤の投与を始めても一向に父の様子が楽にならないどころか、(たまたま、そういうタイミングだったのかもしれないが)逆に苦しそうになってすらいる・・・。父が鎮静剤で眠ったら私も今日は失礼して、買い物でもしてホテルに戻ろうと思っていたのに、まったく眠る気配がないどころか、前よりも苦しそうにうんうんうなってジタバタしている。
 なんで、そうなるの・・・???
 私、超寝不足、それも数日間連続で。お疲れだし、どんどんどんどん睡魔が襲いかかってきて、ベッド脇で父を見守りつつも、わずかな隙に自分のほうが眠りに落ちそうになる・・・
 苦しんでいる相手を何もできずに見守りつつ、自分はとてつもない睡魔と戦う・・・。これって、なかなか苦行である・・・
 天の助けか、鎮静剤投与開始から約2時間後に担当医師が様子を見に来てくれたので、状態を話して鎮静剤の点滴量を倍にしてもらう。
 しかし、それでも相変わらず苦しそうにジタバタしている父・・・
 なんかもう、強力な睡眠薬でも何でも注射とかしてくれ!!! 安楽死とか、できんのか?!と、絶叫したい気分・・・
 鎮静剤を倍にしてから約1時間後、ようやく父が眠った様子。と言っても、眼は半開きで白目をむき、呼吸も苦しそうなままである。ただ、その呼吸が規則正しくなり、視線も動かなくなったので、眠ったと判断。5時間半後に、ようやく解放されたのでありました・・・
 それにしても、人間の最期について、いろいろと考えさせられる。前回6月に会った際の父は、つらそうではあったけれども、とりあえず「普通の人間」ではあった。しかし今回の父は、以前から徐々になっていたのかもしれないが、がたがたに歯並びがゆがんでいる。それが、ここ数日、透析をまともにやっていないせいで体内の水分を抜くことができず、医師曰く「肺が半分、水没している状態(比喩的表現なのか、実際にそうなのかは不明)」なので呼吸が苦しく、口を常に大きく開けているためによく見えてしまう。さらに、口内は血まみれで、その血がゆがんだ歯と歯の間や歯茎との境目に乾いて黒くこびりついている。かなり衝撃的な姿である。ずっと口を開いているから、おそらく口内はかぴかぴに乾いているのだろう。一見、乾いた血で口内は真っ黒である。
 もちろん水分が抜けていないのだから、手足、とくに手はパンパンにむくんでいるし、全体に紫に変色している。
 傲慢で自信過剰でエラそうなことばかり言っていた男の末路・・・
 こんなんなるぐらいなら、下手に長生きするより、もっと早くぽっくり死んでたほうが、よっぽど良かったんじゃないの・・・???

 ああ、もう眠くてこれ以上、書き続けられないので、もう寝ます。おやすみなさい!!!

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時はきた

2018-09-24 22:23:38 | Weblog
 先週、父の担当医から「覚悟はしておいてね」というメールが届いて以来、「蛇の生殺し」状態が続いていた。メールをチェックするたびにドキドキし、毎朝、携帯に留守電が入っているのではないかと緊張する。かといって、あらかじめやっておけることは何もない。何をやっても読んでも、なんだか上の空。これ、長く続いたらかなりきついぞ~と思っていたのだが、意外に早く、その時はやってきた。
 日曜日の夜11時、マナーモードの携帯の振動音に、心臓がドキドキする。少し震えながら携帯を手に取り、鼓動が激しくなるのを感じながら耳に当てる。
 ・・・こんな時間に電話があるなんて他に何かあるはずもなく、予想通り、日本から。父の担当医によると、月曜日(日本時間では、すでに月曜日)の透析は血圧の低下により通常の1/3程度で中断せざるを得なかったそうで、今後はそれすら難しくなるかもしれず。意識がいつまではっきりしているかも分からないと言う。
 さすがに日曜深夜に連絡を受けて月曜日の飛行機で行くのは(不可能ではないが)きつ過ぎるので、慌てて火曜日の飛行機を予約する。ホテルは、あまりにギリギリなもんで、病院の近くに限ると選択肢がほとんどなく、随分と狭そうな評判もそれほど良くないホテルで妥協。あとは、あとは・・・あれこれいろいろ考えているとなかなか眠れない・・・
 というわけで、明日の今頃は、成田に向けて高度を下げている飛行機の中で、妙に緊張しながら一刻も早く行かねば・・・と身構えている予定である。
 まあ、どうしてもアメリカにいなければならない10月8日と9日の前には戻ってこられそうだし、「蛇の生殺し」状態も数日で済んだし、とりあえず私はラッキーである、私は運が強い。

 がんばって看取ってこよう。例えそのために、母に対する罪悪感が生まれたとしても、看取らなかったら看取らなかったで別の罪悪感が生じることは火を見るより明らかだ。これ以上、自分の人生に後悔を増やさないために、今できることをやるしかない。

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死ぬということ

2018-09-20 22:45:30 | Weblog
 人間、誰でもいつかは死ぬ。その前に、年も取る。すべて不可逆で、どうしようもない。
 父がお世話になっている有料老人ホームに付属の診療所から、父が入院したとの連絡があった。入院自体はこれまでも時々していたが、今回はかなり危なそうな感じである。平たく言えば、「覚悟はしておいてね」という連絡である。
 父は実に20年以上も人工透析を受けている。そんな人がいるのかどうか、ギネスに最も長期間人工透析を受けた人、なんて項目があるのなら、どのぐらい長期間人工透析を続けることができるのか知りたいところだが、まあ一般的には透析開始から10年前後で亡くなると言われている。20年も続けるなんてこと、想定されていないから、シャントと呼ばれる透析時に針を刺す血管だってダメになってくるに決まっている。なのでこれまでも何度か、シャントの閉塞などで入院してきた。
 シャントが閉塞しても、入院して首から透析したりでしのいできたようだが、前回、日本に行った際に貧血もひどいという話を担当医からされた。その後、「骨髄異形成症候群」なる病名の連絡も受けたが、要は輸血などでだましだまし、しのぐしかない状態である。
 そして今回は、輸血しながらの透析中に血圧が非常に下がってきた。この状態が続くようだと、透析自体を続けられない。透析を停止して生命を維持できるのは、せいぜい1週間である・・・という連絡だ。
 透析はもうやりません、という連絡を受け取って翌日の飛行機で日本に向かえば、2~3日後には面会できる。まあ、死に目に会える確率が高いということだ。
 死に目に会えないよりは会えたほうがいいに決まってはいるのだが、これがまた、いろいろと複雑な心境である。
 幼い頃は本当に「おばあちゃん子」だったのに、2016年は祖母の死に目に会えなかった。この時は祖母本人が死期を悟って母を呼び、母が看取ってくれたからまだいい。
 2017年には、さんざん世話になった母に、死後数日経ってから発見されるというひどい死に方をさせてしまった。私がようやく面会できたのなんて、亡くなってから一体何日経った後だったことか・・・。しかも、わずか3週間後には、子ども連れて会いに行くところだったのに・・・。
 でもって、昔からあまり世話になった気もしないし、特に好きでもなかったし、そもそも小学校高学年ぐらいから一緒に住んですらいなかった父は、超優良有料老人ホームで至れり尽くせりの看護を受けた挙げ句に入院させてもらい、一人娘(私)がちゃんと看取ってあげる。・・・なんか人生って本当に不公平にできてるよね。
 天上で母が怒っていそうで、なんだか怖いです・・・。
 さらに言えば、母と仲が悪かった母の弟夫婦とも、母の死をきっかけに約四半世紀ぶりに再会して交流が復活し、日本に行く度に子連れで一緒に観光したりしていることに対しては、天上の母が激高していそうな気がして激しい罪悪感まで覚えてしまう。
 実のところ、母もかなり極端な性格の人だったから、再会して交流してみれば、嫌っていたのは母のほうからだけで、弟のほうは特に悪意もなかったのかもしれないなぁ~などと思ってみたり。そして、そんな風に思ってしまったこと自体が母の逆鱗に触れそうで恐ろしかったりして・・・(亡くなった後まで、こんなに気を遣ってるんです。そういう母子関係だったんです、ハイ)。
 もちろん今となっては、父に対して特に悪い感情もないというか、あんなに傲慢で肉体も頭脳も自信満々だった男がすっかり縮んじゃってひたすら黙して残りの人生をやり過ごしている様子がただただ気の毒なのだ。昔は、父が死んだって涙一つ流さないし、看取りにも行かないと思っていたのにね(そもそも、母より父が先に亡くなることが大前提だったし)。
 そして今の状態である。担当医からの連絡によると、会話はしっかりしていて入院の際も自分で同意したそうである。10年ほど前に会った時には、透析に関して細かく調べて飲食していいもの悪い物は完璧に把握しているから、10年以上透析していてもこんなに元気なのだと自慢していた。透析を停止したらどうなるかも、もちろん自分でよく分かるわけだ。
 透析をしなくなった、じゃ自分は1週間以内に死ぬんだ・・・って、分かっちゃうんだ。それって、家族じゃなくても、一般的に考えて結構きつい話だよね。
 ・・・などなど、とりとめのないことを延々と考えたり、現実問題として自分は何日間日本に滞在する予定で航空券を買えばいいのか?!とか、子どもの学校や習い事の心配したり、各種手続きのことを考えたり、10月8日と9日はどうしてもアメリカにいなければならない用事があるんだけど被ったらどうしよう?!とか、あれやこれやで心ここにあらず。本を読んでもテレビを見ても、今ひとつ頭に入らない今日この頃なのである・・・。

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水漏ればっか・・・

2018-09-18 22:58:44 | Weblog
 最近、水漏ればっかりである・・・
 5月下旬だったか、ガレージに設置されている温水タンクから水漏れ。大家さんに言って新しいタンクに替えてもらったにも関わらず、今度は新しいタンクの「水圧リリースバルブ」とかいう部分に接続されているパイプから水漏れ。こちらも大家さんに言って、夏休みの日本行き直前にバルブを交換してもらったのだが、その後も漏れている・・・。温水タンクを交換した直後に起きたような、3時間で200mlというようなひどい漏れ方ではなく、パイプの下のコンクリート床が常に濡れているという程度なので、もう面倒で放置してある。しかし、ガレージに入る度、パイプ下のコンクリートが濡れて変色しているのが目に入り、実に不快である。
(そもそも温水タンクなんていう前近代的百害あって一利無しなエネルギー&水浪費システム自体、止めてほしいのだが、自分ちじゃないのでしょうがない。いつか万が一、家を買うようなことがあったら、まず真っ先に温水システムをタンクを使わない方式に替えてやる・・・)
 お次は温水洗浄便座。こちらも5月に、それまで使っていた物が激しい水漏れを起こすようになった。買ってから5~6年か、寿命と言っていいのかどうか分からないが、保証が効くわけでもないので仕方なく新しいものを購入した。
 ところが! 買ってから4ヶ月しか経っていないのに、温水が出てくるノズルの横あたりから常時ポタポタと水漏れ。温水タンクといい、温水洗浄便座といい、交換した直後だっていうのに一体全体なんなのさ!!!
 こちらはメーカーに問い合わせ、何度かメールでやりとりをした後で返送用ラベルを送ってもらい、修理のためにメーカーに返送した。保証期間内なので修理代自体は無料のハズだが、もしかすると返送料は請求されるかもしれない。それでもちゃんと直って返ってくればいいのだが、結構不安・・・
 2週間ほど前には、偶然、台所の流し下の扉を開いたら、水浸しになっていることを発見。こちらは(アメリカの台所の流しでは、ほぼ標準装備の)生ゴミ粉砕器からの水漏れ・・・。またまた大家さんに連絡して業者に来てもらい、生ゴミ粉砕器を交換した。
 そして、ガレージに置いてある洗濯機から洗い終わった洗濯物を取り出しながら、ふと下を見れば、洗濯機の下から水漏れ・・・

#もう!!! 一体全体、なんなわけ?!

 もちろん水難といっても、西日本を襲った「平成30年7月豪雨」とか台風21号とか、アメリカでも先日東海岸を襲撃したハリケーン「フローレンス」の被害とかとは、比べるべくもない微々たるレベルの被害である。自分ちだけで比較しても、2年前の豪雨による室内浸水に比べたら全然マシである。
 それにしても、一体全体どうしてこう続くのか?! しかも新品の温水器や温水洗浄便座まで、どうして水漏れするのか?!
 自分は、特に風水や占いなどを気にするタイプではない。それでも一般的に水回りのトラブルは運気に直結してくるというぐらいの知識というか、ジンクスというか、経験則というか、そういうのはあるような気がするし、なんだかすごぉ~~~くヤな感じである・・・

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残暑はどこへ・・・?

2018-09-03 21:50:29 | Weblog


 こちら、9月最初の3連休(9月は第一月曜日が祝日)が無事に終了した。というか、この9月最初の連休は毎年、残暑が滅茶苦茶厳しいハズなのに、今年はなぜか妙に涼しいまま終了してしまった。(あまりに暑いので)ここ3ヶ月ほど休んでいた、休日の子どもとの散歩を連休中に再開したぐらいである。
 そう。前回まで、さんざん「暑い」「暑い」と書いてきた今夏の南カリフォルニアなのだが、子どもの新学期が始まった8月13日頃から急に気温が下がり、以来ずっと平年並みか平年以下の気温が続いているのである。
 いつもの年なら8月後半からの残暑「こそ」が強烈だから、7月からこんなに暑くて残暑が来たら一体全体どうなってしまうのか?!と、戦々恐々だったのに・・・
 もちろん、有り難いと言えば有り難いのだが、なんだか拍子抜けというか、あの猛暑は一体全体何だったのか??? 強烈な「残暑」にも耐えられるようにポータブルエアコン買ったのに、結局1週間程度しか使っていないじゃないか!!! せっかく(?)大枚はたいてポータブルエアコンを買ったというのに、エアコン代をドブに捨てたようなスゴく損した気分である・・・

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