おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

戯言(たわごと)

2009-10-20 15:14:05 | Weblog
 もう思いっきり戯言である。
 前回、自分の意志で人生を終わらせることができればいいのに、ということを書いた。でも、自殺ではなくて・・・。イメージとしては、年老いて運転することが危険であると自覚した人が、免許を返納するような感じだ。寝たきりになったり、あまりにも体が言うことをきかなくなって、もうこれ以上生きていても充実した楽しい生活は望めないと自覚した人が、平和に安らかに望んだタイミングで命を返上できればいいのにね・・・
 返上した分の命を、今にも消えそうな幼い命に補充できれば、もっといい。
 ああ、もう我ながら、ホントに戯言を言っている・・・

 自分自身は、実のところ、2003年から2004年頃、命を返上しても構わないモードだった。別に自殺しようとはみじんも思わなかったけどね。でも、やりたいことは全部やりつくしたような気がして、即死んでも心残りないと思った。死ぬことが怖いとも思わなかった。
 だから、命懸けじゃないとできない仕事をしようかなぁ、なんて、ちょっと考えた。きれいに命を返上できた上に、ちょっとした英雄になれる可能性まであるな、なんて・・・。親より先に死ぬほど最低最悪なことはないし、ましてや(孫が私1人しかいない)祖母まで健在だったので、思いとどまったけど・・・

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老いについて、死について・その4

2009-10-19 05:58:21 | Weblog
 9月の訪日以来、寿命とか、死とか、老いとかについて、気がつくと考えてしまっている毎日だ。

 どうやら祖母は、21日についに退院するらしい。もう2ヶ月前のように自分で歩いたり、自分で自分のことをしたりできるわけではないので、電動ベッドやポータブルトイレをレンタルしたり、ケアマネージャーやら相談員やら市役所の調査員やら、あちこち連絡を取ったり各種手続きをしたり、母はいろいろと大変である。忙しいところにしつこくあれこれ聞いても、と思うので、土曜日に久しぶりに母が送ってきたメールに書いてある範囲のことしか分からないが、他のことを何もする暇がないほど大変であろうことは容易に想像がつく。
 これでいざ祖母が帰ってきたら、おそらくもっと大変になるのだ・・・
 母だって残り時間は、長くない。自由に動き回れる体力がある残り時間は、本当に短いだろう。それなのに、祖母が帰ってきたら、おそらく介護に翻弄されて自分のことはなにもできなくなるのだ・・・。趣味だった各地でのウォーキングにも、日帰りですら行けなくなるだろう・・・
 先のことは誰にも分からないが、もしや在宅介護状態が長引くようであれば私が定期的に日本に手伝いに帰るから相談してくれと、返信メールに書いた。

 本当に、長生きってなんなんだろう? ある程度の長生きは、ある程度健康であればそれなりに幸せかもしれない。しかし、周囲や社会に財政的精神的肉体的負担をかけながら、本人すら望んでいないのに、生きている状態って、一体なんなんだろうか・・・
 その人の持つ「寿命」・・・? その人の運命?
 一方で、誰もが死んでほしくないと望んでいるのに、若くして(幼くして)亡くなる人もいる。なんでそういうことになるんだろうな・・・
 ある程度長く生きて、そろそろ体もガタがきて言うことを聞かなくなってきて、もういいかな・・・って思ったら、楽に安らかにきれいに、自分の意志で人生を終わらせることが、どうしてできないんだろうねぇ・・・。いや、決して自殺という意味ではない。人生というものが、そんな風に尊厳を持って自分の選択で終わらせることができるものであればいいのになぁ・・・と、現実には絶対に不可能なことを漠然と考えているのだ。
 ・・・まったくもって、何の解決にもなっていない。誰にもどうにもできない問題を、考えてもどうにもならないのに考えずにいることもできず。しかしながら、どうすることもできない。自分は、まったくもって、絶望的なほどに無力である・・・

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老いについて、死について・その3

2009-10-09 06:38:37 | Weblog
 祖母のことがあったので、先月の訪日中に会った人たちとも自然とそうした話をすることになった。驚いたことに、私が直接会話した大して多くない(10人もいない)人たちの中で、おばあちゃんが103歳でご存命という人が2人もいたのだ! これには心底、びっくりした。今は100歳超えてる人なんて、珍しくもなんともないんだ・・・
 しかし詳しい話を聞くと、なんとも暗い気分になる。うち1人は10年間寝たきりだという。その年で10年間寝たきりで、もちろん回復の見込みなんてあるわけないのに、死ねないのだ・・・。これって本当にいいことなのか?! どうしてこんなことが起こるのか、本当に皮肉である。
 もう1人は痴呆症状があり、5年間父親(おばあちゃんにとっては息子)が介護していたものの、その父親が心筋梗塞で倒れたため、特別養護老人ホームに入所したという。特養はもちろん(?)200人待ちだったのだが、100歳を超えている、介護する人間が重病になった、などの条件が重なり、200人を飛び越えての入所となったそうである。
 ちなみに、実はうちの祖母の姉も103歳だか104歳だかで存命だ。子どもの頃に何回か会った程度で顔すら覚えておらず、特別な思い入れもないのだが、数年前に施設に入ったと聞いた。今回あらためて状況を母に尋ねたところ、かなりボケてきているらしい。自分ではもう食事を摂れないので、首にチューブを刺して栄養を送っているのだそうだ。体だって昔から祖母より悪いところが多かった。間違いなく寝たきりだろう。
 首にチューブを刺してまで無理矢理生きさせるなんて、どうしてそんなことをするのか全く理解できない。月に20万もかかる私立の施設だそうで、母は「いい金づるだから生かしておくんじゃないの」などと言っていたが、本当に金目当て以外にそんなことをする理由が全く思いつかない。ただ寝たきりで延々と生かされていることが、本人にとって幸せなことだとはとても思えない。もし若い頃の本人に、現在の本人の姿を見せることが可能なら、間違いなく「そんなひどいことは一刻も早く止めて、静かに死なせてくれ」と言うだろう。3人に聞いたら3人とも、そう言うだろう。100人に聞いたって、100人ともが「早く死なせてくれ」と言うに違いない。
 同じ寝たきりでも、若い人の場合は話が違う。10年寝たきりでも、10年意識が戻らなくても、いつか意識が戻って回復するかもしれない。家族だってあきらめがつかない。どんな姿でもいいから1秒でも長く生きていてほしいと願う家族が少なくないことは、先の臓器移植法案(脳死判定)にまつわるニュースでも多く報道されていた。
 しかし90年100年も生きてきた人間の場合はまったく異なる。人間の体なんて100年もちゃんと機能するようにはできていないし、誰だっていつかは死ぬのだ。どうして人生の最後でそんな惨めな姿をさらして(多くの場合は家族に肉体的精神的金銭的負担をかけて)生きさせられなくてはならないのか?! 家族だって100歳の人に対して、どんな姿でもいいからとにかく1秒でも長く生きていてほしい、なんて思わないでしょ?!

 こうしたことは、もちろん最近初めて思ったわけではない。前々からそう思っていた。しかし、介護や寝たきりといった問題が今までは遠い世界の話だったので、あまりじっくり考えたことがなかったのだ。
 数日前、祖母が当面の危機(?)は脱したので退院するかもしれない、という、途方に暮れた母からのメールが来た。せめて今年の8月の状態にまで祖母が戻ってくれるのならまだしも、自分ではなにもできない、自力でトイレにも行けない状態で退院させられて、母にどうしろと言うのだ?! 決して長くない母の残りの貴重な人生を、すべて祖母の介護に捧げろというのか・・・? いや実際にそうして自分の人生を介護に捧げざるを得ない人は、すでに大勢いるのだ・・・。だから時々、「介護殺人」なるものも起きる。
 どうしたらいいのか、いや、どうにもできない問題だから困るのだ・・・。祖母自身だって、あんな痛い思いが続くより、早く静かに楽に死にたいのだ。つい先日まで自分のことはすべて自分でできていた人が、寝たきりになっておしめをされて、そんな惨めな姿になってまでいつまでも生きていたくないのだ。だからって自殺するわけにも、家族が殺してあげるわけにもいかない・・・
 長生きというものも、まったくもって善し悪しである。ただ闇雲に「長生きしたい」とほざく連中に、こうした現実を見せつけてやりたいものだ・・・
 ・・・っていうか、本当に祖母が自宅寝たきりになってしまったらどうしようという思いが、ここのところ常に心の底にひっかかっていて、どうにも落ち着かないのである。

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老いについて、死について・その2

2009-10-07 15:40:01 | Weblog
 幸いなことに我が家はこれまで、介護問題とは無縁だった。父方の祖母は父が幼児の頃に亡くなっているし、父方の祖父も私が2~3歳の頃に亡くなった。
 母方の祖父母とは、おそらく私が3歳の頃に同居を始めた。長らく一緒に暮らした祖父は、私が高校生の頃、74歳で亡くなった。亡くなる前夜は家族と一緒に夕食を取り、普通に就寝。翌朝、リビングルームに置かれていた祖父お気に入りのマッサージチェアに座った状態で眠るように亡くなっていた。これぞ大往生。誰もがうらやむ、まさに理想的な死に方だった。
 祖父は若い頃、大酒飲みで、酔っぱらって選挙の看板を壊して横須賀の海軍を首になった。仕事を紹介してもらっても、すぐに喧嘩して辞めてしまう、甲斐性なし。年取ってからは一段と頑固者の偏屈ジジイ(でも、もちろん、たった一人の孫である私には概して優しかった)。生きている間は家族にさんざん苦労をかけたが、亡くなるときは実にきれいに逝ってしまった。本当に見事であった。
 以来四半世紀余、祖母は元気いっぱいに「独身生活」を楽しんできた。そして最後は、やはり祖父のようにきれいに逝ってしまうのだろうと、私は勝手に思い込んできた。
 ところが最近、雲行きが怪しくなってきた。友達と楽しく遊んでいてくれるうちは良かったが、前回書いたように祖母よりずっと若い友人たちが、どんどん先に亡くなったりボケてしまう。遊び相手がいなくなり、張り合いがなくなれば、頭の働きも徐々に鈍ってくる。体だって、100年近くも使っていれば、あちこちにガタが出てくる。寂しいし、つまらないし、体は思うように動かないし、あちこち痛いし、耳は遠くなるし、だからと言って自殺するわけにもいかないし、本当に長生きも大変である。

 なにがなんでも「長生き=幸せ」だと信じて疑わない、「とにかく長生きしたい」と言っているヤツを何人も知っているが、私は全力で反対する。そりゃ若い頃の状態のままで、せめて中年ぐらいの状態のままで100年も150年も生きられるのなら、長生きは幸せかもしれないよ。だけど人間の体はそんな風にはできていないんである。どんなにうまく使っていったって、どんなに健康に自信がある人だって、体のすべてが満足な状態で機能するのはせいぜい70代までだろう。

 祖母のこれまでの人生は、特に、衣食住の心配もなく、好きなことを自由気ままにやって生きてきた晩年は、幸せだったと思う。そのまま、幸せな状態のままで、いつの日かあっさりと、静かに旅立ってくれるのだろうと、私は勝手に思い込んでいたのである。何の根拠もない、実に身勝手な話だが、そう信じていた・・・
(続く)

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老いについて、死について・その1

2009-10-05 15:42:42 | Weblog
 9月は3週間ほど日本に一時帰国していた。タイミング良くと言ってしまっていいのかどうか分からないが、私たち(私と娘)が実家に戻った翌日に、祖母が入院した。日本滞在中の後半は、夕方になると娘を連れて病院にお見舞いに行く毎日だった。

 うちの祖母は現在満99歳、来年の6月で100歳になる。年齢のわりに頭も体も至って元気で、8月までは自分の身の回りのことは自分でやり、自分で料理を作り、毎日買い物に行き、庭いじりもし、月に一度は俳句の会に参加していた。数年前まで、20以上も若いお友達何人かと毎月のように温泉旅行もしていたのだが、祖母よりずっと若い彼女らのほうが先に亡くなったりボケてしまい、最近は遊び相手がいなくなって寂しい思いをしていたようだ。それでも今年の春には、比較的仲の良い姪(母のいとこ)と一緒に、久しぶりに念願の温泉旅行に行ったという。「要介護度」という指標でいうと、5段階あるうちの「1」だったそうで、「99歳で1ですか?!」といつも驚かれたそうだ。
 それが、9月の頭に椅子に座り損ねて尻餅をついたことをきっかけに、一気に老いの坂を転げ落ちてしまった。ある程度の年齢になると、それまでいたって元気そうだった人がちょっとしたきっかけで一気に老け込んでしまう。まさにそれである。
 約1年ぶりに祖母の顔を見た時は、正直言って本当に驚いた。その場から逃げたくなったほどだ。去年まで、誰も実年齢を想像できないぐらい若々しく、元気だった祖母が、すっかり老け込んでよぼよぼのおばあさんになってしまっていた・・・

 転んで以来、腰や背中が痛い痛いと言い出した祖母。それがいつまで経っても良くならない。外科的な要因なら時間とともに良くなるだろうに、良くなるどころか痛みがひどくなり、ついには自力でトイレにも行けなくなってしまった。食欲もなくなり、排泄も思うようにできない。気力が萎えると、頭も一気に混濁してくるようで、急にぼけたようなことを言うようになってしまった。
 個人経営の内科や、鍼灸院にも通ってはいたのだが、あまり改善しない。何か転んだ以外の原因があるのではないかということで大きな総合病院に入院させてもらうことにした。
 私はたまたま9月は日本にいただけで、普段はもう若くない母が祖母の面倒を見ている(まぁ、8月までは話し相手になってあげる程度で、肉体的な世話はほとんど不要だったのだが)。入院してしまえば、毎日お見舞い行かなくてはならないにしても、トイレの世話も食事の世話も不要になり、留守中に何かあったら、という心配もしなくて済む。母にとっては、祖母が病院にいてくれたほうがよほど有り難い。

 そんなわけで、毎日、祖母のお見舞いに行き、その時々で状態に大きな波があることに気づいた。ある時など、目もうつろで見るからに弱々しく、何度も同じことを繰り返して聞く。「いつまでこんなところにいなければならないんだろう、早く死にたい」などと言う。食事もほとんど食べない。もう今夜にも死んでしまうのではないかと思えて、その日の夜は涙が止まらなくなって、なかなか寝付けなかった。私が小さい頃、母は仕事が忙しかったので祖母が私の面倒を見ていてくれた。よく「おばあちゃん子」だと言われた。そんな幼い日の思い出が走馬燈のようによみがえってきた。(いや、今さら、元気になってもっと長生きしてください、なんて思っているわけでは、もちろんない。本人も家族も、ぶっちゃけ、今亡くなっても何の心残りもない。人間誰でもいつかは死ぬのだから。祖母はもう十分頑張ってきたんだから、せめて最後ぐらい痛くないように、楽で、幸せでいてほしいって、それだけなんである)
 かと思うと、翌日には非常にしっかりして、母が差し入れた新聞を読んでいたりする。話の内容もいたって普通で、ぼけている様子もない。母に言わせると、そういう時は元気な反面、わがままや軽口も出るそうだが・・・
 そんなこんなで、元々基礎体力がある人だから、意外にまだまだ持つのかなぁ・・・などと思いながら、帰国を延期したところで何がどう変わるという状態でもなかったので予定通りアメリカに戻ってきた。
(続く)

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