昨日は、二俣川から西谷まで歩きました。
途中聴いたのは、1922年アゼルバイジャン生まれのフィレクト・アミロフの曲。
ギャンシャ(ソ連時代はキロヴァバードとよんだ)に生まれ、
父は有名なアゼルバイジャンの楽器タールの奏者で歌手でもあった。
幼い頃にはその地方の伝統的な民族音楽を学んだようである。
音楽校の生徒として、タールと撥弦楽器の演奏技術を習った。
CDの英文の解説では、1939年にはギャンシャからバクーに移り、
バクー音楽院で作曲と民族音楽の基礎を学んだらしい。
1947年にはアゼルバイジャンのフィルハーモニアの音楽監督となり、
1956年にはバクーの歌劇・バレエの劇場の監督となったようだ。
「バヤーティ・シラーズの花園」は1968年に作曲された。
交響的ムガームと書いてあるが、このムガームとは、
アゼルバイジャンの民族音楽の一種である。
民族音楽と西洋音楽が見事に融合した曲で、
金管楽器が活躍し、なかなか聴いていておもしろい。
この作品は、中世ペルシアのシラーズ出身の詩人、
ハーフェズ、サーディの詩からインスピレーションを感じ、
作曲したようなので、音楽は瞑想的な部分もある。
世界を見渡すと、いろいろな国・地域に、
まだまだ個性的な作曲家がいるもんだ。
途中聴いたのは、1922年アゼルバイジャン生まれのフィレクト・アミロフの曲。
ギャンシャ(ソ連時代はキロヴァバードとよんだ)に生まれ、
父は有名なアゼルバイジャンの楽器タールの奏者で歌手でもあった。
幼い頃にはその地方の伝統的な民族音楽を学んだようである。
音楽校の生徒として、タールと撥弦楽器の演奏技術を習った。
CDの英文の解説では、1939年にはギャンシャからバクーに移り、
バクー音楽院で作曲と民族音楽の基礎を学んだらしい。
1947年にはアゼルバイジャンのフィルハーモニアの音楽監督となり、
1956年にはバクーの歌劇・バレエの劇場の監督となったようだ。
「バヤーティ・シラーズの花園」は1968年に作曲された。
交響的ムガームと書いてあるが、このムガームとは、
アゼルバイジャンの民族音楽の一種である。
民族音楽と西洋音楽が見事に融合した曲で、
金管楽器が活躍し、なかなか聴いていておもしろい。
この作品は、中世ペルシアのシラーズ出身の詩人、
ハーフェズ、サーディの詩からインスピレーションを感じ、
作曲したようなので、音楽は瞑想的な部分もある。
世界を見渡すと、いろいろな国・地域に、
まだまだ個性的な作曲家がいるもんだ。