昨日は希望が丘から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1930年東京生まれの武満徹の作品。
武満徹の経歴については以前触れたこともあるので省略する。
「そして、それが風であることを知った」は1992年に作曲された作品。
フルート奏者オーレル・ニコレの日本での代理人
小尾旭の委嘱を受けて作曲されたようである。
曲は現代的でありながら、そこに美しさがあり、
ドビュッシーのように絵画的、映像的である。
どこかある風景の中に聴き手が迷いこみ、
周囲を見渡してここはどこだろうと思う感じで、
そこには風が吹き続け、その中で呆然となる風景を思わせる。
現代曲でありながら、どこまでも美しい、
そこが武満徹の音楽の素晴らしさかもしれない。
「海へ」はアルト・フルートとギターのための作品である。
第1楽章の「夜」は1981年にトロントで初演されている。
その時の演奏者は聴いたCDの演奏者であるエイトケンのフルート。
そしてギターはキューバの有名な作曲家レオ・ブローウェルである。
SEAという字をもとにEs-E-A(変ホ-ホ-イ)からなる音を
使うアイデアが面白く、フルートの技巧的な部分もなかなかである。
第2楽章「白鯨」も幻想的な美しい曲である。
尺八の奏法をフルートの演奏に活かしているところも面白いが、
ギターの演奏も存在感のある美しい旋律を奏でている。
第3楽章「鱈岬」はギターの独奏から始まる曲で、
フルートが入り、印象主義的な世界に入り、
ロマンティックな美しさも垣間見せる曲である。
昨日は卒業生と飲みながら、楽しい時間を過ごした。
みんなそれぞれの人生ではあるが、
その生き方を聞いて元気づけられるところがある。
作曲家の人生も色々あるなあと思わせるところがあるが、
どのような人生がいいのかには答えはない。
少なくともこれでいいというものはないが、
こうやって生きていくというものがあれば、
強く生きることができるのかもしれない。
途中聴いたのは、1930年東京生まれの武満徹の作品。
武満徹の経歴については以前触れたこともあるので省略する。
「そして、それが風であることを知った」は1992年に作曲された作品。
フルート奏者オーレル・ニコレの日本での代理人
小尾旭の委嘱を受けて作曲されたようである。
曲は現代的でありながら、そこに美しさがあり、
ドビュッシーのように絵画的、映像的である。
どこかある風景の中に聴き手が迷いこみ、
周囲を見渡してここはどこだろうと思う感じで、
そこには風が吹き続け、その中で呆然となる風景を思わせる。
現代曲でありながら、どこまでも美しい、
そこが武満徹の音楽の素晴らしさかもしれない。
「海へ」はアルト・フルートとギターのための作品である。
第1楽章の「夜」は1981年にトロントで初演されている。
その時の演奏者は聴いたCDの演奏者であるエイトケンのフルート。
そしてギターはキューバの有名な作曲家レオ・ブローウェルである。
SEAという字をもとにEs-E-A(変ホ-ホ-イ)からなる音を
使うアイデアが面白く、フルートの技巧的な部分もなかなかである。
第2楽章「白鯨」も幻想的な美しい曲である。
尺八の奏法をフルートの演奏に活かしているところも面白いが、
ギターの演奏も存在感のある美しい旋律を奏でている。
第3楽章「鱈岬」はギターの独奏から始まる曲で、
フルートが入り、印象主義的な世界に入り、
ロマンティックな美しさも垣間見せる曲である。
昨日は卒業生と飲みながら、楽しい時間を過ごした。
みんなそれぞれの人生ではあるが、
その生き方を聞いて元気づけられるところがある。
作曲家の人生も色々あるなあと思わせるところがあるが、
どのような人生がいいのかには答えはない。
少なくともこれでいいというものはないが、
こうやって生きていくというものがあれば、
強く生きることができるのかもしれない。