今日5日は子どもの日で、10連休最後の前日である。上に写真は報道を撮ったものである。左側は東京へ向かう車のテールランプで、何キロもついて明るく渋滞している。右はパラパラと、東京からの車である。連休最終前日に東京へ戻る人たちで溢れているというのである。
これを見て思った。東京は遊ぶところではないのである。仕事をするには便利であるが、暮らすようなところでないと内心人々は思っているのである。
田舎に来た都会の人は、「空気がおいしいだの、水がおいしいだの、人情があるだの、自然がいっぱいだの」と褒めちぎる
が、言葉だけを残して都会に戻る。少子高齢化社会は均等に発生しない。田舎から始まる。
何より田舎に連休どころか休日もろくにない。特に酪農家はこの間ずっと毎日搾乳と餌やりをしている。毎日搾乳と餌やりをしている。私もこの間のほとんどの日仕事をしている。連休を6割の人が歓迎していない。様々なことが滞って、機能しない。不便な日々を多くの人は送っている。
10連休を謳歌しているのは正規雇用の安定職場の人達だけである。長期連休で職場をなくする人たちもいる。
2025年には、都会の人口が田舎の人口を上回るといわれている。人は古くから、「住めば都」といわれるように、都会に憧れる。都は煌びやかで人々を誘惑する。
都会が人々を引き付けるのは欲望を満たしてくれるからであるが、それらのすべては金銭による評価を効率的に行ってくれるからである。物流にしても情報にしてもお金にしても経済のすべてが、効率を求め都会に集中する。
そのために失ったものを田舎に求める姿が、上の渋滞である。田舎に核施設や廃棄物処理場や、軍事施設など嫌われものばかり押し付ける都会の姿勢こそが問われるべきなのである。