安倍首相の靖国参拝は、世界各国から非難を受けている。中国や韓国は当然としても、アメリカの反発は予想外だったであろう。EUも国連の事務局も懸念を表明した。盟友と言えるオーストラリア首相も遺憾の意を表明した。
しかし靖国問題を、こうした海外の反響から論じるのは、靖国問題あるいは日本が戦争へと歩みだした本質論から、大きく逸脱するものである。首相の靖国神社参拝は、憲法の規定する政教分離に反する。過去十数回裁判所に持ち込まれているが、門前払いはあるが合憲判決はない。
そして参拝後の安倍の説明にもその本質が見られる。真摯に説明すれば解ってもらえると繰り返すが、これはセクハラと同じである。触った方にその意識が無いからだとするのは、本末転倒である。受けた方の問題がことの本質である。侵略していないと”シンシ”に説明しても何の意味もない。
過去安倍は日中戦争の正当性を主張し南京事件をも否定いているし、慰安婦問題は存在すらなかったとしている。首相就任で覆い隠している安倍の言動を、近隣諸国は敏感に察知している。
安倍は戦争で国家に命を捧げ亡くなった人たちのお陰で、戦後の平和国家が存在すると説明しているるが、これは全く戦後歴史を知らない発言である。戦後の日本の平和は、平和憲法の存在を抜きにし考えられない。その憲法を仇のように潰しにかかる安倍の言動と行動は、右傾化軍事化と呼ばれるのである。
今回は中国は勝ち誇ったように冷静であり、楊潔チ国務委員は世界平和と侵略国家について論じている。中国自身がどうあるかを問わないことは問われるであろうが、原点を丁寧に首肯すれば反論の余地はない。外交的には安倍の大きな汚点となる。
それにしてもマスコミは、総じて安倍の行動に理解を示し、靖国参拝を外交問題にしてしまおうという意向が強い。日本全体が右傾化しているのである。