野田政権は、来年度の沖縄振興予算(案)として、2937億円を決めた。沖縄が要求していた、3000億円満額の回答で、昨年度比27%増である。このうち、野田が首相の裁量として盛られたのが、773億円である。
その内、沖縄が自由に使える一括交付金が、1575億円である。ほぼ半額が自由に使える。これは普天間への侘び金である。
これを受けて、要求額が通った大喜びの仲井間知事は、普天間移転に関する環境影響評価書(アセスメント)について、「行政手続なので、関連法にのとってやるしかない」と発言している。
良く解らない官僚用語であるが、「政府がアセスやっても文句は言いません」と、言う意味である。冷え切った沖縄との関係が前進したと、金をばら撒いた政府は評価した。
要するに、色んな不条理な経緯があっても、金をもらえると溜飲を下げるのである。県民への言い訳も立つ。まるで3文芝居である。
結果的に、抵抗すればするほど問題解決へのハードルが高くなり、いっぱいお金をもらえるのである。元々自民党時代に容認派であった仲井間は、普天間基地の移転を望んでいたかも怪しいものである。
日本の政治は、政治理念あるいは10年先の展望もないまま、現在を語るしか能力がなく自らをドジョウと言い放つ程度の、薄っぺらな存在になってしまっているのである。
その恣意が政治問題を何十年も膠着させている。
普天間基地の環境がどうしても我が国民に許しがたいものであるならば、政府は福島の第一原発のように「長期帰還困難区域」に指定すればよい。
この国の政治には、恣意の人でなく、意思の人が必要である。
さすれば、腹案ではなく、成案で決着できる。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする (ちゃぶ台をひっくり返す)力は持っている。
だから我々は、常に耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲しなくてはならない。
和をもって尊しとなす。過ちは、繰り返しませぬから。
これは単なる感傷ではなく、我々自らの叡智をもって裏付けなくてはならない。
日本人には意思 (will) がない。
意思は未来時制 (future tense) の内容である。
日本語には時制がない。
日本人には意思がない。
英米人の子供には意思がない。
この点で日本人のようなものである。
思春期を迎え、言語能力が発達すると、意思を表すことができるようになる。
英米流の高等教育 (大人の教育) が可能になる。これは、さらなる英語の教育である。
日本語脳の持ち主には、大人の教育の意味は理解できない。
日本人は英米流の大学教育を高く評価もしないし、効果も上がらない。
子どもには意思がない。
だから、子供には保護者 (chaperon) がついてきて、それを代行する。
日本政府にも、意思決定が難しい。
だから、アメリカ政府が意思決定を助けてくれる。
日本人の誰もが指摘する通り、我が国の政府は、アメリカ政府のポチである。
日本人は、自力でこの道を脱却できるか。
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