そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

イランから世界を見るその1

2014-10-01 | イラン

イランに行ってきました。シルクロードをはじめとして、中東に興味があり若いころから何度も周辺を訪ねていました。本ブログでも、かなり中東にPhoto 関することを書いているのはそうしたことからです。
ローハニ大統領になって一応の安定期に入っていると判断し、写真が趣味のツァーに加わって、イランを訪ねた。2001年にアメリカのブッシュ大統領が、悪の枢軸としてイラク、イラン、北朝鮮と名指ししたこともあり、多くの日本人はこれらの国と同列に並べ、テロ国家と考える現実がある。識別できないと言った方が正しいだろう。
しかし、イランはペルシャ人のほぼ単一民族国家で、古くはペルシャ、波斯とも呼ばれていた長い歴史を持つ。因みに、イランとはアーリア人の国という意味もある。国家の大きさは、長い歴史で繰り返される戦争によってかなり変動があり、小さくなったが場所としてはほとんど変わることがない。
人口はこの50年でほぼ倍増し75000万人であり、40才以下が5000万人と言われている。極めて若い国で、私が見た限りでは農業Photo_2 にかなり力入れていて、砂漠の国にしては思ったより灌漑も進んでいて、小麦やトウモロコシや数多くの野菜それに果実に畜産も盛んであるように見受けられた。
何よりも、砂漠に点在する町の周辺に、新たな住宅が建設されているのが目立った。
政治的スローガンはほとんど見受けられなかった。ただ、どこにでもイランイスラム革命の最高の指導者のホメイネ師と、現在の最高指導者のハメネイ師の肖像が並べられていた。
11歳の小学生の教科書を見せてもらったが、見開きページにはこの両師の写真があった。ただ以前の中国や現在の北朝鮮のように、絶対的指導者としてあがめられているわけではなかった。公の場所に掲げられている肖像画の手入れは悪く、剥がれていたりくすんでいたりするものも少なくなかった。
イラン人は自動車好きと、通訳が言うとおり、街に溢れていた。途上国に見られる、傷ついたりへこんだものは少なく、道路状況は急激な車の増加もついていっていない。ヨーロッパ車と韓国車が目立ったが、多くは国産車であった。日本車はほとんど見られず、バイクにホンダとカワサキが見られた程度である。
第二次世界大戦で、ドイツと日本を支援したイランは、その後も日本と石油開発などで友好関係にあったが、中国と韓国にとって代わられた感がある。ドイツが依然と友好関係にあることを思えば、日本のアメリカ追従外交はこの国では失敗している言える。
経済制裁はイランにとって面倒なことであろうが、功を奏していると言えない。隣国のロシアと中国それにインドがとって代わったに過ぎない。
最も驚いたのは、坊さんの国から王政に戻ることを多くの人が望んでいたことである。モスクの礼拝もかつての半分にもいかない現実を見て、納得した。パーレビーを待っているというのである。若い国には柔軟性がある。
女性は目を見張るような美人が多く、まつ毛が長く端正な顔立ちで、やたらとシャッターを切った。

左のフォトアルバムに<ペルシャであった女性たち>アップしました。


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2 コメント

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おかえりなさい。 (けん)
2014-10-03 13:14:14
おかえりなさい。

まったく知らない国ですので
興味をもって読ませていただきました。

ゆっくり現地の美人写真を見せていただきます。
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先生のお写真拝見いたしました。 (春於)
2014-10-04 23:15:39
先生のお写真拝見いたしました。
ペルシャは本当に美人が多いのですね。びっくりしました。
撮る人の目が反映されるから、先生は、美しい女性を見る目をお持ちなんだなぁ、とも感心いたしました。
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