半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

『インセプション』

2011年03月11日 | 映像

キャスト:レオナルド・ディカプリオ/渡辺謙/ジョゼフ・ゴードン=レヴィット/マリオン・コティヤール/エレン・ペイジ/トム・ハーディ/キリアン・マーフィー/トム・ベレンジャー/ディリーブ・ラオ/マイケル・ケイン

監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン




《あらすじ》
コブは、人が一番無防備になる状態、つまり眠っている時に夢を通して潜在意識に侵入し、他人のアイディアを盗み出すという犯罪分野におけるトップ・スペシャリスト。そんな彼に、「インセプション」と呼ばれる最高難度のミッションが与えられ、コブをリーダーとする最強の犯罪チームは、命を賭けた、究極のミッションに挑む――。


《この一言》
“ 夢に、実際の記憶を混ぜるな! 夢か現実か分からなくなる ”






うおおおおお、面白かった…!!!


と、観終えるとすでに真夜中となっておりましたが、私は思わず叫んだのでありました。物語が終わり、エンドロールが始まるあの瞬間に、いや実を言うと劇中からずっと、これほど心ごと体ごと震えたのはいつ以来だろう。すごいものを観たという感激が、一晩経った今も私を覆い尽くしています。私はまだあの世界からすっかり抜け出せていない。

この映画には優れたところがたくさんあって、どの点についても夢中になれる完成度がありました。たとえば息つく暇もない急展開のスピード感、徹底的にスタイリッシュな映像美、やや複雑な構造を持ちつつも物語の軸は貫き通してある素晴らしいストーリー、それから配役の良さ、他にもまだたくさんあると思う。多くを与えてくれる映画でした。まったくもって痺れたぜ。

しかし、落ち着いて振り返ってみると、いくらか奇妙な点はある。たとえば、サイトーさん(渡辺謙)。彼の背後には巨大な権力が控えているらしく、電話一本で国の法律をねじ曲げることすら可能、また、ひとつの航空会社を買い取ってしまうくらいのことも朝飯前。そんなサイトーさんの属する組織が、あるライバル企業の崩壊を目論むところからこの物語は始まるわけですが、そんなに強大な権力を持つ彼らなら、ライバル企業の御曹司の心くらいは夢に侵入せずとも覆せそうじゃない?(しかもその坊ちゃんはみるからに単純そうな男だし)と思ったりしました。それについては何か説明があったかな。よく覚えてないけど、他に選択肢はなかったのだろうか? 偏屈そうな父親の方の夢に潜り込むというほうがまだ納得がいった気がする。だけどそれだとミッションコンプリートが難しいんだろうな。そうか、だから坊ちゃんが標的になったのか。そうだったのかもしれんな。うんうん。

ついでに、坊ちゃんを夢に落とすため彼に催眠剤を投入する必要があってサイトーさんは航空会社を買い取り、その買い取った飛行機の中で一服盛るのですが、サイトーさんたちのライバルたる巨大組織の御曹司が、たった一機の専用機(これが修理中?という設定だったような)しか持っていないなんてことがあるだろうか。予備が何台もあるだろうよ、普通。おまけにいくらファーストクラス席だからって、ボディーガードも付けずに民間機にひとりで乗り込んだりするんだろうか。ここはちょっと不思議だった。もちろん、そんなことは観ている間にはちっとも思いませんでしたけどね。この映画には、そんな些細な疑問点をぶっ飛ばす大いなる魅力が溢れているのです。

とは言うものの、実はまだ気になるところがあった(私は本当に嫌な観客だ)。もうひとつ気になったのは、コブ(レオ様)の人物造形。この人、トラウマ抱え過ぎでしょ。そんな状態でこんなお仕事をしてちゃいけません! ほらみろ、失敗ばかりしてるじゃないの! てか、どうしてこの人がリーダーなの? このコブさんの役割って何だったのかしら…アーサーはどうしてミス連発のコブに性懲りもなく付いてくの? 今回の超絶難度のミッション「インセプション(植え付け)」だって、こう言ってしまってはなんだが…あの……ユスフさん(ディリーブ・ラオ。ひとりで危険の中をかなり頑張っていた!)とイームスさん(トム・ハーディ。この人が居なかったら、ミッションは悲惨なことになっていたと思われる。大胆かつ緻密、有能すぎて余裕でマジ惚れするレベル)、それにアーサー(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット。頑張っていたがちょっと間抜けな感じしてよろしかったです)、それからあの設計係の女の子:アリアドネ(エレン・ペイジ。おせっかいだけど優秀で単純で可愛い)だけで事足りたのでは?? 要するに、レオ様いらなくね??(←ああ言っちまった!)とか思ったりしてしまいました。まあ、もちろんそれではお話が盛り上がらないわけですが。やっぱりトラウマを抱えたヒーローは必要ですよね。うんうん。それに、このどうも役に立ったのか立たなかったのか、足を引っ張っただけのようにも思えるリーダー:コブさんの抱えていた深いトラウマこそが、私がこの映画から受けるもっとも印象的な部分なのです。痛みすら覚える。




どこからが夢で、どこまでが現実なのか。


これはいつの世の人々にとっても重要な問題のひとつであるでしょうが、私にも重要な問題です。私もそれがとても気になっている。

階層化された夢。
ひとつ階層を降りるごとに意識の深いところへ、脳の働きはいっそう高速化し、深ければ深いほどにその階層での経過時間は長く感じられるようになる。と、設定してあります。何階層にもなった夢の世界をもっと深くまで。どこまで深く潜っていくのか。
また、その夢の世界では、構造物なども好きにデザインできるのです。派手に折れ曲がる都市。永遠に登り続ける閉じたパラドックスの階段。スペクタクルですね。

そして、そうした夢の世界で行われる「インセプション」と呼ばれる【発想の植え付け】が、この物語の主軸になっているわけですが、映画では二つの「インセプション」が扱われていました。


***ここから先はネタバレになりますので、ご注意ください。***


一つ目の「インセプション」は、御曹司ロバートの深層心理に潜入し、彼の父親が築いた一大帝国を、父親の死後に引き継ぐだろうロバート自ら崩壊しようとするアイディアを【植え付ける】作戦。ロバートの心理が起こす防衛反応によって銃撃戦が繰り広げられたり、夢の中で「これは夢だ」とわざと気づかせてみたり、深い夢を見ていても、上の階層で起こっている「現実」が下の階層まで影響力を及ぼし得たりもする。ロバートの心の最深部で【植え付け】を行えば、ロバートが夢から目ざめた時、そのアイディアを自分で思いついたとしか認識できないというのが面白いところ。

もう一つの「インセプション」は、チームのリーダー:コブが、かつて彼の妻に対して行った【植え付け】。彼と妻のモラは、とても深く愛し合う一種の理想的なカップルだった。ある時ふたりは一緒に眠りの中へ入り込む。同じ夢の、深く、深くまで降りていったかれらはそこで長い年月を信じられないほどの幸福の中で過ごす。しかし、もう現実に戻らねばならないと考えるコブと、それに反対する妻モラ。妻を夢の世界から抜け出させるために、コブは妻を自らそのようにしむけるような「インセプション」を施したのだった。【植え付け】は成功したかに見えたが、現実に戻った妻は(何十年という歳月をともに過ごした記憶を持ちながら、目ざめた彼らの魂はふたたび若い肉体に戻った)、その「現実」さえも「抜け出すべき夢の世界」だと誤認していた。そしてモラはその夢から抜け出すために、目覚めを意味する「死」に飛び込むのであった。

悲しい物語です。私はとても悲しい。けれども同時に羨ましくもある。コブとモラのように、ふたりで長い長い時を一緒に、なにもかも自分たちの思い通りになる世界で過ごせたら、それはどんなにか幸福なことでしょう。彼らは夢の中で幸福だったんだ。50年もふたりだけでいて、幸せだったんだ。

おそらくコブの失敗は、「これは現実じゃない」という否定的な感情を【植え付け】てしまったことでしょうね。私はこのあいだも思ったのだけれど、夢と、現実と、その両方を満たすべきなのです。両方を同様に幸福にしてやるのです。そうすれば、どちらかに一方に逃げ込んだり、どちらか一方をただの幻だとがっかりしなくて済むはずだ。どちらが夢で、どこまでが現実だとしても、それは別に構わないだろう? その両方を楽しみさえすれば、その両方を愛しさえすれば。そして同時に、同じ夢を見てくれる誰かを、心から愛し信じることができれば。

それが出来なかったというところに悲しみがあるのかもしれない。私もきっとモラのようになるだろうな。夢に留まることを選ぶような気がする。夢の中の幸福な半世紀を手放して、果して現実の世界に耐えられるのだろうか。夢の世界を知りながら、長い年月が経たという感触がたしかにあるのに、目ざめた先の現実を現実として受け入れられるだろうか。あれほどの幸福が、すべて夢でしかなかった、ただの幻だった、そんなことを信じられるだろうか。
【植え付け】がなくても、モラはいずれはやはり死んでしまったのかもしれないな。悲しい物語だ。コブにしてみても、モラを愛して、彼女との幸福な長い年月を過ごした後で、両方の世界で彼女を失ってしまって、自分だけでどうやって生きていったらいいのだろう。そんな孤独の中でどうやって生きていったらいいのだろうね。夢の中にだけでも、モラを留めておきたいという気持ちは、彼の罪悪感を除いても、私には理解できるような気がする。孤独には耐えられない。そこが夢でも現実でも。




チームのメンバーはそれぞれ「トーテム」という自分だけのアイテムを持っていて、それの感触で今いるのが夢なのか現実なのかを判断します。コブさんのトーテムは「コマ」。コマが回りつづければ、そこはまだ夢の中。

コマを回してみる。
くるくるくるくるくるくるくるくるくる――。

回りつづけている、これは夢だ!

という新しい遊びがK氏と私の間で流行りそうな予感。でもコマがない。持ってない。もしも私にもコマがあって、それが回りつづけていても、あるいは回りつづけなくても、私はどちらでも構わない。私は君の夢を見ている、君が私の夢を見ているのか、あるいは誰かが私や君の夢を。楽しければそれでいい。どこからが夢でどこまでが現実でもいい。ここが誰かの夢の中なら、どうか、すべての階層を幸福で満たしてください。