鈴木信太郎訳
『リイルアダン短篇集(上)』辰野隆選 所収
(岩波文庫)
《あらすじ》
貧しい門番夫婦の二人の娘、ビヤンフィラアトルの姉妹は、世間の偏見によれば穢らわしく困難な「夜の稼ぎ」に、真面目に慎ましく従事していた。心根が優しく、聡明で、堅実な姉妹であったが、あるとき妹のオランプが過ちをおかしてしまう。彼女は恋をしてしまったのだ…。
《この一文》
“されば、行為は形而下である限り無差別である。各人の意識のみ、ひとり、行為を善と為し或は悪と為すのである。この広大無辺の不統一の奥底に臥はる神秘的な点は、人間が、差別とか関心とかを勝手に拵へて、その国の風習が自分にこの行動或はあの行動と為させるに従つて、斯々(しかじか)の行動を寧ろ斯々の行動よりも自ら禁ずる、『人間』の閉ぢ籠められてゐるこの天賦の必然性にある。畢竟、全『人類』は、如何なる『法』が失はれたかはしらないが、その『法』を既に忘れてしまつて、しかもそれを手探りに思ひ起さうと努めてゐるのである、と言へるかもしれない。”
リラダンの短編はいつだって物悲しいなあ。灰色と、菫色の世界。美しいけれども悲しい。しかし、悲しいけれどもやはり美しいのであった。
この「ビヤンフィラアトルの姉妹」という物語の、結末をどう解釈したらよいのか私にはまだよく分からないのですが、お話のはじめの方の、この一文には強く心を惹き付けられるようです。
畢竟、全『人類』は、如何なる『法』が失はれたかはしらないが、その『法』を既に忘れてしまつて、しかもそれを手探りに思ひ起さうと努めてゐるのである、と言へるかもしれない。
うむ。
忘れてしまった何かを思い出したくて、手探りを続けているような気がします。以前からずっと、今も、これからも。思い出すためなのか、作り上げるためなのか、どちらなのか分からないけど、その「何か」のために私たちは前に進むのかもしれませんね。躓いたり、転げたり、そのたびに価値が転倒するのを恐れたりしながらも。
灰色と菫色の、静かで美しい世界。悲しいほどに美しい世界に、私を染み込ませたい。