半透明記録

もやもや日記

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「にせ利札」

2009年08月17日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

トルストイ 中村白葉訳
(『トルストイ全集10後期作品集下』河出書房新社)




《あらすじ》
ミーチャは友達からの借金を返すために、いつもよりも多く小遣いを要求するも、彼の父はそれを許さなかった。そこでミーチャは友達のマーヒンに相談するのだが、不良少年のマーヒンは、ミーチャの持っている利札を贋造し、近所の写真屋でそれを使ってしまうことをすすめる。このにせ利札がきっかけとなり、人々は次々と破滅への道を辿ってしまうのだった。


《この一文》
“「あの男となら危険なことはありません。あれは聖人のような男です。だれにでもきいてごらんなさい」
 「ですが、それがどうして囚人なんかになったのです?」
 鉱長は微笑した。
 「人を六人殺したのですが、聖人ですよ。ぼくが保証します」 ”



このあいだ、『ラルジャン』という映画を観ました。それが、トルストイの「にせ利札」を原作としているというので、さっそくそちらを読んでみようという気になったのです。映画のほうは、何故? 何故! の連続だったのですが、原作を読んだ後でふり返ってみると、なるほどそうだったのかと納得出来るところも出てきました。まあ、トルストイくらい読んでおけよ、ということだったのですね。ふむ、ふむ。そういうことか。
ちなみに、映画『ラルジャン』では、この「にせ利札」の第一部を映像化しているようです。今なら、監督があの映画をあそこで終わらせた気持ちが、少しは分かる気もします。なんとなくですが…。迫力が、真に迫ったものがありますからね。


さて、「にせ利札」です。
この物語は、第一部と第二部に分かれていて、第一部では小さなごまかしから始まった悪意が終には多くの人々を破滅に追いやるさまを、第二部では転落しきり悪の限りを尽くした人物が改心することによって今度は善意の波が人々の間に広がっていくさまを描いています。かなり面白かったです。衝撃波がじわじわと押し寄せてきます。

震えるほどに恐ろしく展開する第一部に比べると、もしかしたら、第二部はいささか都合が良過ぎる展開と考えることもできるかもしれません。正直な話、私も少しそう思いました。しかし、それだけではないはず。それだけではないはず、と考えたくなる何かが、第二部にはあります。

まず第一部では、父に反発する少年の出来心、いたずら程度の気持ちで犯した利札贋造というごまかしが、次第にその悪意を大きく拡大しながら伝播し、最終的には人々が殺し殺されるような事態にまで発展していくさまを、細かく区切られた章で、手早く鮮やかに描いています。
ああ世の中とは実際はこんなものだな、誰もが自分のことしか考えず、十分に持ちながらもちっぽけな損失を容認できない金持ちが、それを取り返すために弱いものを騙し、虐げ放置し、弱者はそれに対して暴力以外の手段を見つけられず、持てる者への憎悪を募らせながら次第に暗闇へと自らを追いやってゆく。この第一部の持つ恐るべき説得力と現実感の前には、改心篇ともいうべき第二部の展開は、だいぶ温い。御都合主義。ファンタジー。そんなうまくいくわけがない。と言いたくなるところがあるのです。

しかし、もちろん、第二部はただ温いだけではないのでしょう。なんとなくそういう気持ちになったという訳の分からぬ理由で六人を惨殺したステパン。彼は最後に殺した老女が言った言葉が頭から離れず、苦しみ、ついには悔悟し改心します。別人となったステパンの魂の深くから発せられる言葉に、まず彼の周囲の囚人たちが変わっていき、さらに刑吏へ、予審判事へ、被害者の遺族へ、皇帝へと、自己の身勝手さを悔い、他人のことを考えようとする善の意志は静かにひそやかに広がっていきます。

他人のために何が出来るか。他人のことを思うとは一体どういうことなのか。
そのことについて、書かれた分量よりももっと多くのことが、第二部では提示されていると思いました。
第一部で革命思想を持った若く美しい女性が登場しますが、彼女は多くの人の幸福と平等を願ってはいるものの、結局は個人的な事情のために、しかも暴力という形をとって事態を解決しようとし、果たせず、破滅します。そのやり方では駄目なのです。
彼女と対比されるのは、第二部では予審判事となった元不良少年マーヒンの婚約者である金持ちのお嬢さんでしょうか。彼女はまず愛するマーヒンに安らぎを与えたいと考えるのですが、そのうちに財産の全てを放棄して人々のために尽くしたいと思うようになり、実際にそのように行動しようとします。彼女は具体的な行動よりもむしろ、ただその熱意だけでもって十分に、知らず知らずのうちに彼女に関わる人々の心を、それも決定的に変えてしまい、彼女によって変えられた社会的影響力のある人々がまたそれを周囲へ広めていくのです。

また、作品中でもっとも変貌を遂げるのが、徒刑囚ステパンです。彼は六人を虐殺した過去を持ちながら、やがては聖人と慕われるような善意の人として生まれ変わります。極端から極端へと歩いた人でした。この人については、本当はもっと深く考えるべきところであるかもしれませんが、うまくまとまりません。ただ、私は先日読んだフロベールの『ジュリアン聖人伝』を思い出しました。罪を購うことが出来るのかどうかは分からないですけれども、悪意がどこから発生するのかをはっきりと捉えられないように、善意もまた湧き出してきたら、それがどこから湧き出したものであろうとも、尊さには変わりがないのかなと、救いが自らの力によってもたらされるものならいい、それによって周囲の人々に良い影響を与えるものであるならいいな、と考えた次第です。


ともかく、慈悲、ということがこの物語のテーマなのでしょう。慈悲が、思いやる心が足りないばかりに互いに滅ぼし合う人々を救うには、やはり慈悲で世界を満たしていく小さな努力を積み重ねるしかないのでは。そんな物語だったのではないかと私は読みました。
また、富という力を得た者は、知識という力を得た者は、その力の強さに酔ってさらに力を増大しようというのではなく、もっと全体のことや弱い者のことを考えるべきであり、それがいずれは自らのささやかな、しかし何も恥じ入ることのない純粋な喜びをもたらしてくれるだろうこと。また力のない弱い者は、ただその境遇を嘆いたり恨んだりするのではなく、自分たちの力で立つことを、自分たちの力で不足を補うことを、暴力でもって奪ってくるのではなく自分たちで獲得して補う態度を覚えるべきだろうことを、トルストイは描きたかったのではなかろうかという気もします。

善意の波が世の中を満たしていく。それは馬鹿げた夢物語で、到底実現するはずもない甘い理想主義かもしれないですけれども、それでも書かずにはいられなかったところに、ここでどうにか人間への希望を見いだそうとしないではいられなかったところに、そして読者をしてそれぞれに何かを考えねばならない気持ちにさせるところに、トルストイという人の強さがあったのではないかと、私は思うのですが、いかがでしょう。まあ、なんにせよ、私はまだこの人の作品をもっと読まなくてはならない段階なので、これから印象は変わるかもしれませんが。


あ、最後に、私がものすごく驚いたことには、この物語はミーチャ少年の父への当てつけとしてのささやかな利札偽造事件から始まるのですが、結末では今度は波は善意を帯びてミーチャ青年の元へ静かに優しく戻り、彼と父との間に横たわっていた軋轢をさっぱりと取り除く形で終わっているのです。そのささやかさに私は、たまげた。また、始まりと終わりがこれほどまでにささやかであるが故に、物語は一層の恐ろしさをもって私の前に立ち上がります。すげーよ、トルストイ! このお話の最大の見所はここかもしれないとさえ思える、人と人が複雑に関わり合った社会というものを、巧妙で精巧な縮図として描くことに成功しているトルストイという巨大な才能に、今更ながら感服しきりの私なのでありました。




爪が割れた

2009年08月16日 | もやもや日記



あんまりくだらないことばかりを書き散らすべきではないと思うのですが、右足の親指の爪が割れました。
(以下、ややグロ注意)


昨日のことです。少し伸びてきたかな、切ろうかなと思い、よくよく爪先を見てみると、右足の親指の爪の中心に横に大きく白い亀裂が走っていました。どこかで傷を付けたのかしらと、さらによくよく見てみると、爪の上半分がふかふかと少し浮いています。

……こ、これは;

どうやら、どこかへぶつけたか何かしたはずみに、爪が真ん中でめっきりと折れ曲がってしまったようです。まったく痛みがないので気がつかなかったのですが、上半分が剥がれてしまっています。いつから割れていたのでしょうか。意外と簡単に割れてしまうものなんですねー。

さて、割れた部分はまだ脱落はしていないものの、何となくくっついているだけという風情で、たいそう心もとないです。指の先端が、いつむきだしになってもおかしくない状態だと思うと、なんだかいやに落ち着かない気持ちがします。うわー……。

家具の角でぶつけたりしてとどめをさしてしまうのではないだろうか。あるいは裸足でサンダルなんかを履いて表に出たら、なんかそのへんに足を引っかけて、ギャーッ……なんてことがあったりして~☆ とK氏が嬉しそうに言うので、ジュースと電球はK氏に買いにいってもらうことにしました。ふん、暑い中を行ってきたまえ。私は大事をとらないといけないから、家でじっとしてるよ……(/o\)



というわけで、日頃当たり前のように私の指先を守ってくれている爪のありがたさについて、しみじみと考え直した今週末でした。


でもさー、剥がれた爪って、伸びれば元のようにちゃんと親指の肉の部分と(←生々しくてスミマセン;)くっつくのでしょうかね? このままだと深爪どころの騒ぎじゃない感じなのですけれど。ともかく、それが心配です。が、同時にこれから一体どうなるのかに興味もあるので、しばらく経過を観察したいと思います。





ドラクエ8、始めました

2009年08月15日 | もやもや日記




帰省した際、ゲーマーな姉に「どんなゲームが面白かった?」と聞いてみました。

『ポポロクロイス』が名作だという点では、可愛いゲーム・キャラクターが好きな我々の意見は一致したのですが、マリオとFFしかやらない《にわかゲーマー》の私と違って、姉は昔から幅広いジャンルに手を出す熱心なゲーマーなので、色々と語ってくれました。

姉によると、PS2で結構前に出ていた『MOON』というゲームが傑作だった、『レイトン教授』も最高に面白い、あと当然今は『ドラクエ9』をプレイ中だということでした。

ドラクエと言うと私はドラクエ3をプレイし、しかも恐らく復活の呪文を書き損ねて途中で放り出してそのまま、というのが不確かながら記憶にある唯一のドラクエ体験です。3じゃなかったかな。初代かな。
一方ファイナル・ファンタジーについては、私は3に感激して以来、4~7は環境的に出来なかったのですが、8~12(11除く)はだいたいやりました。特に9は傑作だと思う。先日、思うところあって、今さらながら名高い7をやりはじめたところだったのですが……

そんなFF派の私がドラクエシリーズをほとんどやったことがないと言うと、「RPG好きでドラクエをやらないでどうするの!?」と、姉は8を貸してくれました。姉はドラクエ派でした。


というわけで、大阪へ帰ってきてからさっそく、ドラクエ8をプレイしてみました。これは2004年発売のゲームですが、少しも古い感じはしませんね。鳥山キャラが3D化しているのは違和感があるんじゃないかと心配しましたが、全然そんなことはないです。すごく良く出来ています。スライムは可愛いし。また、かなり広大なマップ上をうろうろするのは、とても楽しいです。

しかし、これは本当にすごく面白いのですが、ただひとつだけ気になることがあります。

主人公がたとえば民家に入って、そこの人に話を聞いたりした後、彼はその家に備え付けてあるタンスや樽、壷、布袋などを勝手に開けて中身を取ったりできるのですが、昔のゲームと違って描写がリアルなだけに、すぐそこに家の人がいるその目の前での略奪行為には抵抗を感じてしまいます。やっぱやらない方がいいのかな~。悩む……。弱気な私などはなかなか踏ん切りがつかなくて、今のところは民家やお店などでの略奪はあんまりしないようにしています。でもなぁ、時々いいものがあったりするんだよなー、きっと。

ともかくも、久しぶりにゲームにハマってしまっています。続きが気になるので、それではこのへんでドラクエ8の世界に戻ることにしましょうか。みなさま、ごきげんよう♪




そうか、お盆なのか

2009年08月14日 | もやもや日記


どうも町中が静かだと思ったら、お盆休みなんですね。私はこの夏は早めに帰省してしまったので、うっかりしていましたが、きっと多くの職場は今はお休みなんだなぁ。
墓参りをしてこなかったことを少し後悔している昼下がり。

それにしても、日本の夏というのは、生と死のことを何だかあらためて考えさせるような気配を漂わせていますね。連綿と受け継がれるものと、世代が変わるごとに失われていくもののことを考えてしまいます。

そう思うにつけ、このあいだ観た映画『サマーウォーズ』は、あれは夏の物語でしかあり得なかったんだな、とつくづく実感した次第であります。そろそろ上映開始から半月になるから、ちゃんとした感想を書いておこうかしら。私は映画を観に行ってからずっと反芻していて、その間に思いついたことをK氏に話そうとしたら、「なにいきなり語ってるの?」とか言われたので、途中で止めてしまいました。うむ。暑いしね。要点のまとまらない私の話など聞きたくないだろうな。それなら書くことにしよう。


本日の大阪はお天気です。しかもカラリと晴れています。わ~い。




『ひとりにしないで』

2009年08月13日 | 読書日記ー漫画

相模なつき
(マーガレットコミックス 集英社)



《あらすじ》
水姫は水泳部の練習中にプールサイドで出会った年下の唯彦くんに想いを寄せているのだが、彼は水姫の親友 菜花ちゃんのことが好きで――表題作「ひとりにしないで」。
硝子は同じ学校に通うピアノの上手な男の子の夢を見るようになる。夢のなかで彼と仲良くなった硝子は、彼を好きになっていくのだが、実際の彼とはうまく話すこともできなくて――「僕の夢を見てくれ」と続編「バレンタイン・シュガー」、「波音」の4篇を収める。

《この一文》
“ 全然うまく言えなかった
 ただ ばかみたいに
 紅茶の色ばかり見ていた

 好きなのはあの曲じゃなくて
 あなたのピアノなんだって

 言いたかったのに
 夢でなら
 言えるのに……
   ――「僕の夢を見てくれ」 ”



ようやく取り戻した、大好きな短篇集。


相模なつきさんの漫画の魅力は何かと申しますと、まず、モノローグの美しさということがあるでしょう。この人のモノローグは、本当にもう、ただただ美しいのです。静かなんだけれど強い、心に響く美しい言葉が連なっています。泣きたくなる。

また、柔らかく優しい細い線で描かれた透明感のある絵柄も素敵です。
実にうまい描写。ざわざわと心が揺れ動くさまを、登場人物たちを取り巻く世界とうまく同調させています。胸の苦しさに月を見上げたり、お別れのときに雨粒がぽたっと垂れたり、夏の日の海岸沿いを歩いての帰り道、しばらく休もうと柵の上に屈んだ肩の上を長い髪がゆらゆらとなびいたり、珍しい表現方法ではないと思うのですが、この人がやると何か違って見えます。

現実の恋愛を扱っていながらも、いつもどこか幻想的なところがあって、それもまた素晴らしい。

私は特に「僕の夢を見てくれ」という作品が好きなのですが、これは本当に傑作。昔から好きでしたが、今読み返してもやはり好きです。15年以上前に描かれた作品ですが、これは決して古くならない物語です。
「わたしは夢でしか生きられない女の子なのかもしれません」というモノローグから始まり、夢で出会った男の子を好きになるという。なんというロマンチックなお話でしょうか。二人は夢のなかで仲良くなり、彼女はそれで楽しいのですが、最後は夢を見るのを止めてしまいます。夢の楽しさと喜びを現実へと移し替えるために。勇気を持って、その美しい夢を実現するために。

すがすがしく美しい物語です。これはこの短篇集のなかでは、唯一はっきりとハッピーエンドを迎える作品ですね。他の作品の結末はわりとどっちつかずなのです。だがそこがこの人のいいところなのですけれども。


というわけで、かなり久しぶりに読み返してみて気がついたのですが、私はこの人の影響を深く深く受けているようです。私がこのあいだ描いた夢の漫画「夢のなかで」は、あらためて比較してみると、モロに「僕の夢を見てくれ」の影響下にありました。雨とか音楽とか言葉で伝えられないもどかしさとか、そもそも夢のなかでだけ会える恋人たちとか、重なるイメージが多過ぎますぜ……! しかし、この人のようにはうまく描けませんでしたね。当然ながら。もしも私にこの人のような力があったなら、あの美しさを、もっと伝えることができたでしょうか。残念だわ。

と、私の漫画の出来はさておき、つまり私が漫画に描きたかった、実際に私が夢に見たあの美しい世界は、たとえばこの人の漫画の世界を下敷きにしていたんだなーということが分かりました。他の要素ももちろんありますが、そう、私は美しいものが好きなのです。美しいものをもっと集めるんだ。夢のために。ただ美しい夢を見るために。


月明かりの夜のような、遠くから聴こえるピアノのような、静かに寄せて返す波音のような、ひっそりと美しく、どこか悲しげな物語ばかりです。だけど、美しい、美しい。まるで誰かの夢のなかのようで――。





あ、あづー…

2009年08月12日 | もやもや日記




あ、あつい!
本日の最高気温、たぶん34度くらい。で、予定最低気温、27度。
……はあっ!? とか言いたくなりますね。

うむ。大阪は相変わらずの猛暑っぷりであります。
涼しかった富山をあとにし、熱気溢れる大阪へと無事舞い戻りました。もう少し向こうにいればよかったかなー。ま、いいか。


さてと、しばらくまともな更新が出来なかったので、明日からは張り切ってまたがんばろうと思います!




どうしてこうなった…!

2009年08月11日 | もやもや日記


みなさま、こんばんは。
ntmymです。まだ富山です。


*『HELLSING』平野耕太…1,2,3,6巻
*『あのこにもらった音楽』勝田文…第2巻
*『ことのは』麻生みこと…全1巻
*『ひとりにしないで』相模なつき…全1巻
*『のだめカンタービレ』二ノ宮知子…第22巻

 以上、この数日で購入したもの 計 8冊



………え?
…………8冊? マンガ?
どうして、今?
持って帰らないといけないのに、荷物が増えるのに? なぜ?

いろいろと不可解なところはありますが、つい魔がさしてマンガばかり8冊も買ってしまいました。いや、全部面白くて、好きなものばかりだから、それはいいんですけどね。

特に、相模なつきさんの『ひとりにしないで』という短篇集は、私が大昔からものすごく好きだった作品集で、もちろん大昔にもちゃんと所有していたのに、いつの間にかなくしてしまって、ずっと探していたものでした。あとはこの人の『野葡萄浪漫(ロマンス)』も探しているのですが、それは今回も見つけられず。どっかにないかなー。この人のマンガは、とても繊細かつファンタスティック、ロマンティックですごくすごく素敵なのです。ああっ、取り戻したい!

『のだめ』の最新刊は、うっかりして発売日に買うのを逃してしまいました。私としたことが! 最新22巻ですが、なんか…もうすぐ終わっちゃうの……? ま、まさか! ははは…

『HELLSING』はとびとびに4冊だけ。は、はやく集めたい。こないだ完結しましたからね。これでこころおきなく集められるというもの。とびとびだけど、やっぱむちゃくちゃ面白いぜ! くらくらするような面白さです。

『ことのは』も、すっごくときめく短篇集。麻生みことさんというのは、とても才能あふれる作家さんだと前々から思っているのですが、この短篇集はとくに素晴らしい。悶絶必至。

『あのこにもらった音楽』は、私が最近大好きな勝田文さんの初期連載漫画の最終巻。やったー、これで全2冊が揃ったぜ。わ~い♪ しかし、相変わらず和むなぁ。ちょっとくらいダメ人間でも生きていたっていいんだ! と思わせてくれます。ちょっとくらいなら……



てなわけで、最近増えに増えているマンガを、またさらに増やしてしまったワタクシ。どうするんでしょうか。どうしてこうなったのでしょうか!? ま、あとで考えよう。


ゆうべは、友達のMKちゃんと夜遅くまでしゃべっていて(MKちゃん、平日なのにゴメン! でも相変わらず爆笑させられましたよ。ありがとう☆)、レストランを出たら、東の山の端から月がにょっと出ておりまして、さらに真上を見上げると、星々がぴかぴか、ぴかぴかと瞬いていたのです。甥っ子が言うには、もうすぐ流星群が見られるんだそうです。そうだね、ここでならきっと見られるね。晴れるといいね。

なんだか、放っておくと、いつまでもずっとここに居てしまいそうな気配なのではありますが、明日、大阪へ帰ります。夏休みも終わり。(←君は毎日が夏休みだろ、とか言わないように……)








やまなみ

2009年08月10日 | もやもや日記


今日の富山もごらんの有様です。曇ってます。
それにしても、海と山しかない私の田舎。いいところです。いや、ほんと。

ゆうべは何を思い誤ったのか、寝る前に昔の写真とか手紙とか年賀状などを読み返し始めてしまって、あまりよく寝られませんでした。夜にこういう作業をしてはいけません。辛くなる。

大昔にやりとりした手紙の束の中に、まるで思い出せない女の子からの手紙が3通ありました。読んでみるとどうやらその子は市内の別の中学校に通う女の子で、私とは同い年、しかしどういう接点があって文通することになったのだかは、私にはまるで思い出せません。
彼女は手紙の中でしきりに恋人が欲しいと書いていて、私に対しても誰かそういう人がいるんじゃないの? と訊いていました。あとは勉強をがんばろうね、とか。それだけの、手紙。
だめだ、全然思い出せない。当時の私はこれに対して何と書いて返したのだろうなぁ。まったく思い出せないや。

そのほかにも、思い出せないかつての私を示している紙片がずらずらと積み重なっていて、私はそれらを懐かしむよりももっと、どうしようもなく心細くなってゆきました。これはいったい誰だろう。私なのか? まるで別人のようじゃないか。だって、何も思い出せやしない。

こんなものなんだ。こうやって多くを忘れていってしまう。これからもさらに多くを忘れていくだろう。そのことに、私は果たして耐えられるのだろうか。私の人生がこんなふうに、得たはずのものをいちいち置き忘れ、ほんの少ししか手元に残せず、今持っているわずかなものもこの先では投げ捨てるかもしれず、そういう人生は、人生とはいったい何だろうか。何ひとつ生み出さず生み出したくもない私が、一歩も進みたくなくて過去のある時点にしがみついている私が、ところがその過去を蓄積し、保存しておくことさえも満足にできないのだとしたら、そこにはいったいどんな価値が、どんな意味があるというのだろう。


てなことに、うんうんと唸って、まったく苦しい夜でした。しかし、なんだかんだで眠りについた私は、何か忘れてしまったけれど印象的な夢を見、起きてみれば昨夜の懊悩はまるで霧のように晴れて、いちいち置いていってもかまわないじゃないか、空いたスペースには今必要なものだけを詰めろ、持っていきたいものだけ持っていけばいいだろうが、という気持になっていたのです。失われていくことへの悲しみは依然として少しばかり残ってはいますけれども。

そういうわけで、今はもう何でもないような顔をしておりますが、もしも苦しんでいる最中にこの記事を書いていたら、きっととんでもないものになっていただろうなー。ああ、でも書いておくべきだったかもしれません。他人事のように言ってしまいますが、ほんとうにどうかしているんじゃないの? というくらいに苦しみました。それでも、私は私なりに一生懸命考えてはいたのですがね。


毎年帰ってくるたびに遠くなる、そういう感じを、田舎を持っている人なら誰か、過去にばかりとらわれてしまう誰かなら、分かってくださるでしょうか。失っていくばかりの道のりを想像することも、昼になら耐えられる。しかし夜には、なぜだか、それはとても難しいのです。






海と犬

2009年08月09日 | もやもや日記




今日は久しぶりに郷里の友達と会ってきました。
盆と正月に帰省する目的の大部分は、友達に会うことですね。ありがたい、ありがたい。
ひとしきり楽しくおしゃべりし、おいしいものを食べて、のんびりお茶を飲む段階まできてから、ふと気がついたのですが、私は誰か友達とこうやって会って話すのは、実に5月末以来のことでした。それで、その旨を今日会ってくれたつぼるちゃんに伝えると、普通に引いてました; そりゃ引くよねー。私も驚いたよ。あんまり隠者のような生活をしていてはいけないな、と反省。ネット上ではいろんな人とやりとりしているから、あまり実感はなかったのですが、たまには友達と実際に会って会話しないとね。

というわけで、今日はすごく楽しかったです。つぼるちゃん、いつもありがとう!


ところで、今朝はちょっと暇だったので、このブログの過去記事を読み返していたのですが(←なんという自己愛)、ひとつの記事に対する力の入れ具合というのは、どうも2006年が最大で、その後は緩やかに(? もしくは急激に)落ちてきているな、と実感。いえ、実は前々から気がついていたのですが、見て見ぬふりをしてきたのです。

このあたりももう少し反省して、「文章をうまく書く練習」という当初の目的を思い出したいところです。向上心を忘れすぎていました。それから、もっと深く物事を考えたり感じたりしなくては。暑いとか、だるいとか、そんなことを言ってる場合じゃないですね。生きている証を示すんだ!



画像は、昨日散歩のおともをさせてもらった、犬のピーちゃんと夏の日本海。昨日は隣町だかでお祭りがあって花火が上がったらしく、ちょうど散歩へ連れて行った夕方には花火大会開催を知らせる空の花火がどーんと鳴ったのですが、雷だと思ったのか、ピーちゃんは飛び上がって驚いて、完全に腰が引けてしまい、その方向へはひっぱっても動こうとしませんでした。やれやれ、とんだチキンだぜ。

今日はまた雨。なかなかすっきり晴れないなぁ。






帰省中!

2009年08月08日 | もやもや日記



昨日の晩、郷里の富山へ帰ってきました。涼しい…。うっかりしてましたが、このくらいの時期には、こちらの朝夕は結構涼しいのでした。灼熱の大阪で蒸されすぎて忘れてたよ。

それにしても、暇です。朝から家族はみな、仕事だなんだと言って出掛けてしまい、私はひとりでぼんやりしています(朝8時現在)。散歩でも行ってこようかなー。でも田舎で徒歩でうろうろしていると、すごく目立つんですよね。誰もが自動車で移動する文化なので。ついでに私は自動車の免許を持っていないのですが、はっきりいって成人のくせに免許も持ってないなんていうのは、ここではダメ人間扱いです(まあ私はそれでなくてもろくでなしなのですけど…いかん、朝からネガティブ)。

まあ、いいや。
そう言えば、昨日両親から聞いた話では、どうやらうちの近所にトキがいるらしいです。トキです、朱鷺。
あと久しぶりに海も見たいな。そう言えば、うちには誰もいないと思ってたけど、犬がいた。ピーちゃん。テリア犬? おじさん顔。犬連れだったらきっと徒歩でも怪しくないな。絶えず濡れた鼻を押し付けてくるこのひとには、私はいささか困惑しているのではありますが……。

静かで涼しいから集中して本も読めそう。『カタロニア讃歌』を持ってきてあるし。もう何度も冒頭の10ページくらいを繰り返しているけど、そろそろ頭に入りそうかな。


ちなみに、昨日は滋賀まで両親が車で迎えに来てくれました。近江八幡で待ち合わせ。
高速料金が1000円だからと言ってわざわざ関西まで来てくれました。私は一瞬、3年くらい前の【米原JCTの悲劇】が脳裏に蘇って断ろうと思った(注:通交券を無くして土砂降りのなかを大騒ぎ。結局チケットは見つからず、事務所で手続き、年に3人くらいは無くす人がいますよと職員の方から言われる…という喜劇的なことがあった;)のですが、そう言えば両親はこのあいだプリウスを買って、ETCが付いてるはずだから大丈夫だな(というかETCが付いていないと1000円にならないのでしたっけ?)と思い直し、お願いしました。
しかし、高速1000円にプリウス……流行の最先端を行ってますね、うちの親って;


というわけで、天気が悪いせいもありますが、富山は涼しいです。