半透明記録

もやもや日記

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やまなみ

2009年08月10日 | もやもや日記


今日の富山もごらんの有様です。曇ってます。
それにしても、海と山しかない私の田舎。いいところです。いや、ほんと。

ゆうべは何を思い誤ったのか、寝る前に昔の写真とか手紙とか年賀状などを読み返し始めてしまって、あまりよく寝られませんでした。夜にこういう作業をしてはいけません。辛くなる。

大昔にやりとりした手紙の束の中に、まるで思い出せない女の子からの手紙が3通ありました。読んでみるとどうやらその子は市内の別の中学校に通う女の子で、私とは同い年、しかしどういう接点があって文通することになったのだかは、私にはまるで思い出せません。
彼女は手紙の中でしきりに恋人が欲しいと書いていて、私に対しても誰かそういう人がいるんじゃないの? と訊いていました。あとは勉強をがんばろうね、とか。それだけの、手紙。
だめだ、全然思い出せない。当時の私はこれに対して何と書いて返したのだろうなぁ。まったく思い出せないや。

そのほかにも、思い出せないかつての私を示している紙片がずらずらと積み重なっていて、私はそれらを懐かしむよりももっと、どうしようもなく心細くなってゆきました。これはいったい誰だろう。私なのか? まるで別人のようじゃないか。だって、何も思い出せやしない。

こんなものなんだ。こうやって多くを忘れていってしまう。これからもさらに多くを忘れていくだろう。そのことに、私は果たして耐えられるのだろうか。私の人生がこんなふうに、得たはずのものをいちいち置き忘れ、ほんの少ししか手元に残せず、今持っているわずかなものもこの先では投げ捨てるかもしれず、そういう人生は、人生とはいったい何だろうか。何ひとつ生み出さず生み出したくもない私が、一歩も進みたくなくて過去のある時点にしがみついている私が、ところがその過去を蓄積し、保存しておくことさえも満足にできないのだとしたら、そこにはいったいどんな価値が、どんな意味があるというのだろう。


てなことに、うんうんと唸って、まったく苦しい夜でした。しかし、なんだかんだで眠りについた私は、何か忘れてしまったけれど印象的な夢を見、起きてみれば昨夜の懊悩はまるで霧のように晴れて、いちいち置いていってもかまわないじゃないか、空いたスペースには今必要なものだけを詰めろ、持っていきたいものだけ持っていけばいいだろうが、という気持になっていたのです。失われていくことへの悲しみは依然として少しばかり残ってはいますけれども。

そういうわけで、今はもう何でもないような顔をしておりますが、もしも苦しんでいる最中にこの記事を書いていたら、きっととんでもないものになっていただろうなー。ああ、でも書いておくべきだったかもしれません。他人事のように言ってしまいますが、ほんとうにどうかしているんじゃないの? というくらいに苦しみました。それでも、私は私なりに一生懸命考えてはいたのですがね。


毎年帰ってくるたびに遠くなる、そういう感じを、田舎を持っている人なら誰か、過去にばかりとらわれてしまう誰かなら、分かってくださるでしょうか。失っていくばかりの道のりを想像することも、昼になら耐えられる。しかし夜には、なぜだか、それはとても難しいのです。