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もやもや日記

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『果てしなき逃走』

2010年01月07日 | 読書日記ードイツ
ヨーゼフ・ロート作 平田達治訳(岩波文庫)



《あらすじ》
オーストリアの将校トゥンダは第一次大戦のさなかロシア軍に捕らえられ、赤軍の兵士として革命を戦うこととなる。10年ののち故郷に帰還したとき、もはやそこに彼の居場所はなかった……。ガリチアに生まれ、ウィーン、ベルリンを経てパリに客死した放浪のユダヤ人作家ロート(1894-1939)が、故郷喪失者のさすらいを描いた代表作。

《この一文》
“ それは一九二六年八月二十七日午後四時のことだった。どの店も満員だった。百貨店では婦人たちがひしめいていた。モードサロンではマネキン人形がくるくる回転し、喫茶店ではのらくら者たちがお喋りを楽しみ、工場では歯車がごうごうとうなりを上げ、セーヌの河岸では乞食たちが虱取りに勤しみ、ブーローニュの森では恋人同士が接吻し、公園では子供たちがメリーゴーランドに乗っていた。ちょうどこの時刻にわが友トゥンダは三十二歳で、元気溌剌とし、いろんな才能を持った、若くてたくましい男として、マドレーヌ寺院前の広場に、世界の首都の真ん中に立ち、これからどうしたらよいか途方に暮れていた。彼には職も、愛も、欲望も、希望も、名誉欲も、エゴイズムさえもなかった。
 彼ほど余計な人間はこの世にいなかった。 ”



とても残念なことに、この世には余計な人間というものがいるものです。たとえば、このトゥンダのような、そしてたとえばこの私のような。

年末に帰省する際、私は宿命の命ずるままに3冊の本を携えて帰りました。1冊はブルトンの『狂気の愛』、もう1冊はある小説、そして最後に『果てしなき逃走』を。3冊とも、私はまだ冒頭を読んだだけの状態で、帰省している間に読んでしまおうというつもりで。

宿命と書きましたが、私は宿命とか、巡り合わせというものを非常に重んじています。それは確かにあります。私には、それが分かる。それが分かる、ということだけが私に与えられた唯一の才能です。私には、たとえば、私が探している言葉がどこにしまわれているのかが、どうしてだか分かる。本の中だけではなくて、それは偶々出会った人の口から語られることもある。分かったからと言って、それで何かがどうなるというわけではないのだけれど、とにかくそれだけが私のただひとつの才能であることには違いありません。

私はしかし持っていった本を読めぬままに年を越すと、元日の夜になって、父が思わずたまらずこう言いました。

 “お前のように何者でもないものは、どこにもいないぞ”

と、そんな感じのことを。父は普段はそういうことを思っていても口にしない人ですが、この夜はどうしても堪えきれないというように、つい口にしてしまったようです。父は何者でもない私を、何者にもなろうとしない私を悲しみ、恐れているのかもしれません。この世では、人は必ず何かであらねばならないからです。そのことは、私にもよく分かっているのです。私は何か言い返そうと思いましたが、そんなことが出来るわけもありませんでした。というのも、私には、言葉がないから。私の中には、言葉がないから。私はそれを私の外に探さなくてはならない。それが私の宿命です。

父の言葉に打ちひしがれて、私は結局横浜へ帰ってくるまでこれを読むことができませんでした。しかし、この本は依然として私に向ってくるので、昨日とうとう読みました。すると、まさに私の体験してきた通りのことが延々と書かれてあるではないですか。私は、私のただひとつの能力が、今回もやはり正しく発揮されていることを知りました。もちろん、それで何がどうなるというわけではないのですけれども。答えが見つかるというわけではないのです。ただ、私はそこに、私の問題を、言葉にしてはっきりと見つけられるというだけのことなのです。


オーストリア帝国の陸軍中尉であったトゥンダは、戦争という世界の大きな悲しみによって美化され、死と背中合わせであることによって偉大になり、栄光に包まれた輝かしい将校であった。しかし、ロシア軍の捕虜となったことをきっかけに、彼の運命は急展開する。行方不明者となった彼は、10年間放浪し続け、そのあいだに名前も、名誉も、なにもかもなくしてしまう。故郷に戻っても、もはや彼に居場所はなかった。

輝かしい経歴があって、順調に進んでいればトゥンダには美しい婚約者とともにある、平穏な、豊かで幸福な生活を得られたのに、どうしてだかそうはならなかった。一度社会的に死んだ人間の、その元の社会へ戻ることの不可能を、淡々と描いています。トゥンダにはなにもない。彼は生きているけれども、死んでいる。死んでいるのに、生きなければならない。立ち尽くす。立ち尽くす。社会に生きるということは、ただ生きているだけでは足りないのだという。何者かであらねば。何者かであろうとしなければ。

社会は、その中でしかるべき役割を演じられない人間を必要としていない。当然だ。でなければ、世の中が崩れ落ちてしまう。たとえ自分の役割が本来の自分がそうであるのと違っていても、そうでありたい姿と異なっていても、役割は果たされなければならない。演じ続けられなければならない。それが出来なければ、社会で生きる資格がない。

ところが、とても残念なことに、この世には余計な人間というものがいるものです。たとえばトゥンダや、たとえばこの私のような。しかし、そうだとすると、どうして……

私もやはり途方に暮れてしまうのだけれど、私も一丁前にトゥンダと同じように腹を立てているので、とりあえずは彼を見習って、でまかせを売りさばいてでも生き延びてやろうと思う。


 “兄はぼくが職業もなく、金儲けもしていないので、道徳的にぼくには生きる資格がないと、多分そう言うだろう。ぼくは兄に食べさせてもらっているので、ぼく自身、内心うしろめたさを感じている。それはそれとして、ぼくは世の中に対して腹を立てており、その代価を支払ってくれない限り、この世で職業を持つことができないだろう。ぼくは世間一般のものの考え方には全く合わないのだ。
 (中略)
 ”そして今こそ金儲けをしなければならない時なのだ。この社会秩序の中では、ぼくが働くことなど重要ではない。しかしそれだけに、ぼくが収入を得ることは一層必要なのだ。収入のない人間は名前のない人間か、あるいは肉体のない影のようなものなのだ。自分が幽霊のように感じられてくる。これは右に記したことと少しも矛盾しない。ぼくは自分の無為のために良心の呵責を覚えるのではなく、他のすべての人たちの無為には十分報酬が支払われているのに、ぼくの無為は一文の収入にもならないからこそ、呵責を覚えているのだ。生きる権利は金によってしか得られない。 ”



生きる権利は金によってしか得られない。
私には、この世の美しいものへの憧れはあるけれど、他にはなにもない。実際のところ、金も、名誉も、信念も、職も、愛も、欲望も、希望も、名誉欲も、エゴイズムさえも、ない。何もない。
けれども、ただひとつの才能があって、それが私に告げるから、私は何故社会が余計者を生み出し続けるのか、何故それを余計だと思いながらも処分することもせず放置しておくのかに怒りを感じながらも、諦めて大人しくここから辞退する気はない。私は無為の中を生きてやる。何者でもないままでも生きてやろうと思う。私は立ち尽くし、途方に暮れてしまいそうになる。誰がどう見ても立ち止まっているようにしか、私自身にもそのようにしか思えないことがあるけれど、でも私はノロノロと、おし黙って、ただ言葉を探しているだけだ。私を形作ってくれる言葉を、私に魂を吹き込んでくれる言葉を探しているだけだ。何故そうするのか分からない。けれども、それが私のただひとつの才能であり、それが宿命だと告げるから。

私を生き延びさせるのは、憎悪と怒りだ。私はいつかこの世のすべての正しいことが、本当はそれほど正しくないということが分かって、水平で安定していると信じていた地面が突然に傾いて、誰もが泣き叫びながら滑り落ちていけばいいと思っている。その日を見るために、私もそこから滑り落ちながら、それを見物してやろうと思って生きている。
これが、私を支えているひとつの大きな柱であるということが、新年早々にはっきりと分かりました。私は半分死んでいますが、もう半分は到底死にそうにもありません。ここしばらくは、死のうと思ったことさえない。生き延びてやる。絶対に生き延びてやるぞ。



と、思わず暗黒の力に突き動かされてしまいましたが、私の精神的支柱は憎悪と怒りだけというわけではないようです。そのことは、また別の言葉が、私に教えてくれることでしょう。


あ、そう言えば、作中にエレンブルグが出てきました。新進作家として。そういう時代だったのですね。エレンブルグもユダヤ人でしたが、このヨーゼフ・ロートもユダヤ人でした。自らの体験を元に描いた『果てしなき逃走』の12年後、ロートは44歳で死んだそうです。さんざん彷徨った挙げ句に。絶望と怒りと、希望と夢の間を彷徨って。ひとりで。豊かで美しい才能があったのに。
けれども、この人は、その言葉を残してくれた。私はそのおかげで生きていけるというものなのです。私が生きていることなんて、なんにもならないとしても。それでも。