10月30日、神奈川県座間市内のアパートの一室から、クーラーボックス
等に入った9人分の頭部が見つかった。この部屋に住む白石容疑者が逮捕され
た。動機について「乱暴や金が目的だった」と供述していると報じられた。猟
奇殺人といえよう。
また、「人を殺してみたかった」という若い人の殺人事件が時々発生している。
これらは小中高の教育に問題があるのではなかろうかと思っている。ためしに小
学校5.6年の道徳のある教科書を見ると、「人を殺してはならない」という表
現は見当たらない。
たとえば、①「命をいとおしんで」の中に『自他の生命を尊重して』という言
葉が出てくるが、『他人を殺してはなりません』という表現は出てこない。②「こ
んなことはしません」の中に『人の物をとってはなりません』という言葉は出て
くるが、同じ五戒の一つである『人を殺してはなりません』という表現は出てこな
い。③「家族の幸せを求めて」の中に、『大切な家族のために、私は何ができるのだ
ろうか』という言葉が出てくるが、『人を殺せば、親・兄弟・親族に多大な迷惑を
かけることになる』、あるいは『お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆さんを大
切にしましょう』という表現は出てこない。だから一部の週刊に「親を捨てて、どこ
が悪い」、というタイトルで論じられているのは言語道断のことではなかろうか。
ましてや、『父母。祖父母を殺してはなりません』という言葉は出てこない。殺人者
が家族の中に一人出ただけで親・兄弟・親族などが悲惨な状況に突き落とされる現実
を直視すべきである。
このように、道徳の面で変調された部分が気にかかってしょうがない。正しい道
徳教育に直すべきではなかろうか。
ただし、ブッダの不殺生戒には、例外が説かれている。
『よく説くも聞かずんば王師(おうし)(国の軍隊)もて討伐す』、『敵に剋(か)ちて勝
を制す。つとめは人を安んずるにあり』と四十(しじゅう)華厳(けごん)に説かれている。
侵略者に対しての心がまえが、現実的に説かれている。ブッダは、教条主義一本槍では
なく、時として現実論も説いたのである。
ブッダは、殺人を認めれば、世の中が円滑にいかないから駄目だと説いたのである。
『殺すな、殺させるな』(法句経)という教えのどこが間違っているのであろうか。
正しい教育の是正が重要ではなかろうか。