今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

「国家と宗教」(読売新聞)に反論する

2011-01-17 08:38:38 | 宗教
 1月17日読売新聞(朝刊)に「国家と宗教」(パスク・ヤポニカ)なる一文が
掲載された。宗教評論家なる人物が書いたものである。日本の歴史上の平和な時代
だとする平安と江戸時代を見習い、世界に発信すべきだ、と説いている。しかし、
その中で事実誤認を含む見逃すことのできない事項がある。順を追って書くと、「
イギリスは長期にわたる植民地支配と、異民族との熾烈な抗争を経験しているが、
日本はそうではなかった」、「平安時代には、死刑は法的に存在したけれども実行
に移されることはなかった」、「神仏共存のシステム・・・を世界に向けて発信し
ていく段階にきているのではないだろうか」という三点に問題がある。
 第一点の、「イギリスは長期にわたる植民地支配と、異民族との熾烈な抗争を経
験しているが、日本はそうではなかった」というのは明確な事実誤認である。日本
も中国や朝鮮半島を始めとする東アジアの諸国を植民地化して凶悪な暴力主義で制
圧してきたのは周知の事実である。
 第二点の、「「平安時代には、死刑は法的に存在したけれども実行に移されるこ
とはなかった」というのも事実誤認である。「神亀二年(725)12月、聖武天
皇は一時的に死刑廃止の詔を下された。次いで嵯峨天皇は弘仁九年(818)の宣
旨をもって律を改正し、死刑を廃止した。以来348年間わが国から死刑という刑
罰は消えた」(『地球成仏』165頁参照)。このように、死刑という制度そのも
のが消えたのである。平和志向の善政が平和をもたらし、絢爛たる平安文化をもた
らせた要因の一つといえよう。一方、江戸時代も平和だったと云っても、厳罰主義
による平和の維持という点を見逃すことはできない。基本的には殺伐とした不条理
な点があったのも事実である。平安時代の平和な世界とは異質なものである。
 第三点の、「神仏共存のシステムと象徴天皇の統治システムを世界に向けて発信
していく段階にきているのではないだろうか」という点も問題多き提言である。「
神仏共存」と「象徴天皇の統治システム」を同一に論ずるのは適当ではない。場合
によっては天皇の存在そのものを危ぶましむるものであり、賛成できない。「神
仏共存」と一口にいっても太平洋戦争に走らせたのは国家神道という間違った統治
システムにも重大な一因がある。その問題点はいまだに未解決である。簡単に神仏
共存と割り切れない問題点の最重要課題は靖国問題がある。仏教界の多くは国家の
犠牲者となった戦没者の慰霊施設そのものを否定しているのではない。神道といっ
た一つの宗教による間違った合祀方法を改め、諸外国からも納得される施設を新設
すべきだと主張しているのである。その好例としてアメリカのア-リントン墓地が
ある。見習うべきである。先の大戦の推進力の一つとなった靖国神社と国家神道の
戦争責任は解明されないままである。野僧の経験上から云うと、ハワイからの帰途
の飛行機で4・5人の中国人と飛行機後部の喫煙場所で会ったことがある。その際、
中国人の一人は野僧に聞いてきた。「日本の神社をどう思うか」、と聞かれた。「
私は仏教徒なので、神社は好きでない」と答えると、嬉しそうに中国人達は笑顔に
なった。やはり戦争と神道の関係を深く中国の人達は思っているのだな、と直感的
に思い知らされたものである。もしも「神仏共存」と「象徴天皇の統治システム」
を同時に世界に発信すれば、中国や韓国などの反発を招くのは確実である。軽々に
発言するのは大いなる過ちを招きかねない。また、「神仏共存」を主張するのは宗
教間、宗派間の軋轢をなく、平和に向かうことを意図しているものと思われる。そ
れは一理あるが、それ以上に危険性をはらんでいることも認識すべきだと思われる。