NHKの「日本人メジャーリーガー・イチロー」と「プロ
フェッショナル・イチロー」を見た。大変興味深く、面白か
った。さすがにNHKだと感心した。
イチローと他の野球選手の一番の違いは、一言でいえば自
制心の強さだと常々思っていた。イチローが何を食べ、どん
な日常生活をしているのかも知りたかった。なぜなら、怪我
もせず、病気もせず、過酷な日程の一年間を完全燃焼させ、
記録を延ばすイチローの実生活を知りたかったからである。
以外だったのは、この7年間、朝食兼昼食を奥さんの作っ
たカレーライスを食べ続けたということである。私の作る料
理はカレーライスだけである。2時間半はたっぷりかかる。
カレー好きの私にとって、イチローと共通項ができたみたい
で嬉しかった。
また、昨年、イチローが不振で悩んでいた時に、奥さんの
アドバイスでクリアーしたのも夫婦円満生活の証拠であろう。
さらに愛犬の一弓との生活も心に潤いをもたらしているこ
とが分かった。
「弱い自分をかくしたかった」というイチローの言葉は、
正直で、普通の人間であることを感じさせる。しかし、前人
未踏の記録を更新するイチローは、凡人とは言い難い。やは
り傑出した野球選手であることに間違いはない。第一、7年
連続200本安打を打つこと自体、毎年進化を続けている証
拠である。対戦相手もイチローを毎年毎年研究してくる。そ
れらの相手投手に打ち勝っているのである。野球技術だけで
なく、体力維持、精神的な鍛錬なくしてなしえないことであ
ろう。そのためには相当な努力が必要なはずである。今年も
200本安打をして、名実共に世界一になることを祈ってい
る。
また、オールスタ-ゲームで史上初のランニングホームラ
ンを打ち、MVPを獲得したのも痛快だった。これも偶然で
はない。不断の努力と研鑽のもたらした結果であろう。偶然
など何の世界でもあり得ない。偶然を呼び込む必然の結果で
あることを知るべきである。
これから、どれだけ活躍するのか計り知れない。しかしフ
アンの期待の言動をイチローは気にしてプレッシャーとする
必要はない。マイペースで進めばいいことである。フアンと
は気まぐれな一面がある。好調の時はフアンだが、不調の時
は他の選手に移るのは本当のフアンとは言い難い。また、フ
アンとは過度の期待をするものである。
ところで、「完全な人間はいない」、とブッダは云ってい
る。イチローとて同じである。イチローが完全な野球選手に
なるには、究極的には10割打者にならなければならない。
しかし、そんなことは不可能である。あり得ない話であるが、
もしも10割打てたとしても、フアンはそれで満足しないだ
ろう。あと何年イチローは10割打てるのか、と期待するだ
ろう。したがって誰であっても完全な野球選手にはなれない
し、完全な選手になることを目標にする必要はない。
したがって究極的な目標は、完全な野球選手にどこまで近
ずけるか、ということであろう。
また、ブッダは「求不得苦」(ぐふとっく)と説いている。
求めても完全に得られることは無いから苦である、という意
味である。誰であろうと求めたものを完全に得られることは
絶対に無い、ということである。
野球の実践哲学者としてのイチローに期待するのは、その
限界に向かってどこまで進むことができるのか、ということ
である。イチローの進化は今年も続くだろう。
今年も期待して見守りたい。がんばれイチロー。
フェッショナル・イチロー」を見た。大変興味深く、面白か
った。さすがにNHKだと感心した。
イチローと他の野球選手の一番の違いは、一言でいえば自
制心の強さだと常々思っていた。イチローが何を食べ、どん
な日常生活をしているのかも知りたかった。なぜなら、怪我
もせず、病気もせず、過酷な日程の一年間を完全燃焼させ、
記録を延ばすイチローの実生活を知りたかったからである。
以外だったのは、この7年間、朝食兼昼食を奥さんの作っ
たカレーライスを食べ続けたということである。私の作る料
理はカレーライスだけである。2時間半はたっぷりかかる。
カレー好きの私にとって、イチローと共通項ができたみたい
で嬉しかった。
また、昨年、イチローが不振で悩んでいた時に、奥さんの
アドバイスでクリアーしたのも夫婦円満生活の証拠であろう。
さらに愛犬の一弓との生活も心に潤いをもたらしているこ
とが分かった。
「弱い自分をかくしたかった」というイチローの言葉は、
正直で、普通の人間であることを感じさせる。しかし、前人
未踏の記録を更新するイチローは、凡人とは言い難い。やは
り傑出した野球選手であることに間違いはない。第一、7年
連続200本安打を打つこと自体、毎年進化を続けている証
拠である。対戦相手もイチローを毎年毎年研究してくる。そ
れらの相手投手に打ち勝っているのである。野球技術だけで
なく、体力維持、精神的な鍛錬なくしてなしえないことであ
ろう。そのためには相当な努力が必要なはずである。今年も
200本安打をして、名実共に世界一になることを祈ってい
る。
また、オールスタ-ゲームで史上初のランニングホームラ
ンを打ち、MVPを獲得したのも痛快だった。これも偶然で
はない。不断の努力と研鑽のもたらした結果であろう。偶然
など何の世界でもあり得ない。偶然を呼び込む必然の結果で
あることを知るべきである。
これから、どれだけ活躍するのか計り知れない。しかしフ
アンの期待の言動をイチローは気にしてプレッシャーとする
必要はない。マイペースで進めばいいことである。フアンと
は気まぐれな一面がある。好調の時はフアンだが、不調の時
は他の選手に移るのは本当のフアンとは言い難い。また、フ
アンとは過度の期待をするものである。
ところで、「完全な人間はいない」、とブッダは云ってい
る。イチローとて同じである。イチローが完全な野球選手に
なるには、究極的には10割打者にならなければならない。
しかし、そんなことは不可能である。あり得ない話であるが、
もしも10割打てたとしても、フアンはそれで満足しないだ
ろう。あと何年イチローは10割打てるのか、と期待するだ
ろう。したがって誰であっても完全な野球選手にはなれない
し、完全な選手になることを目標にする必要はない。
したがって究極的な目標は、完全な野球選手にどこまで近
ずけるか、ということであろう。
また、ブッダは「求不得苦」(ぐふとっく)と説いている。
求めても完全に得られることは無いから苦である、という意
味である。誰であろうと求めたものを完全に得られることは
絶対に無い、ということである。
野球の実践哲学者としてのイチローに期待するのは、その
限界に向かってどこまで進むことができるのか、ということ
である。イチローの進化は今年も続くだろう。
今年も期待して見守りたい。がんばれイチロー。