ネグロス・キャンペーン(JCNC)の活動で、1986年からお世話になってきた「秋山眞兄さんを偲ぶ会」がZoomでありました。享年74歳でした。
【1997年。東京での会合のあと、お食事した時のもの】
【1996年。JCNC10周年のお祝いをフィリピン・ネグロスでしたとき、岡山からは3人が行きました。3人でお抹茶をサーブしたのですが、チラッとこちらを見られているのが、2020.8に亡くなられた故・秋山さんです。ご冥福をお祈りします】
Zoomなので、フィリピン・ネグロス島の友人たちから、そして、3.11の原発事故後、食と農でつながってこられた福島の方々から、温かなメッセージがありました。
秋山さんが、ネグロスでは飢餓から、福島では放射能汚染から。生きるための暮らしを作り出すために、誠実にともに歩んで来られたからです。
現在は、JCNCの実践をアジア地域に広げたAPLAの共同代表、オルター・トレード・ジャパン副社長。
活動は、山あり谷あり谷あり。その試行錯誤の最前線に常にいらっしゃったのが、秋山さんでした。お話される内容は私には難しく固かったのですが、動きと表情は、いつまでも青年のよう。
高校で数学の教員をしながら、ネグロスをはじめアチコチによく足を運ばれ、現場で皆さんとの話を楽しんでおられる方だったと思います。
思いがけない訃報を知ったのが、亡くなられた翌日の8.7でした。ネグロス・キャンペーン岡山代表の梅田環さんが4月に亡くなられたばかりでもありました。
秋山さんや梅田さんに大きな方向性を示されつつ、「どうぞご自由に」と、岡山の私たちは、ネグロスとつながることの楽しさを満喫しながら、それぞれにエンパワーをさせていただきました。
岡山にも何度か来られた秋山さん。この長い間には、日本でもネグロスでも、そこそこご一緒しているのですが、写真がない。ようやく見つけたのが、次の2枚です。キャプションは、それぞれに入れていますが、私がどこにいるのかわからないかもです。
生活のベースである食と農。どんなことがあっても、自分たち自身で、きちんと得ることができるような社会と暮らしを、これからも皆さんとつながって、つくっていきたいと思います。秋山さ ん、本当にありがとうございました。
【私の心の故郷、ネグロス島サンフリアン村の皆さんとの写真。みんな大きくなっているだろうなぁ。本当は、この3月に行く予定でしたが、とてもとてもでした。次はいつになるかなぁ】
【私の心の故郷、ネグロス島サンフリアン村の皆さんとの写真。みんな大きくなっているだろうなぁ。本当は、この3月に行く予定でしたが、とてもとてもでした。次はいつになるかなぁ】