私の夫の『光吉ひとし』が、2017年3月21日(火)告示、26日(日)投票の鏡野町議会議員選挙に立候補を決意しました。名字が異なるのは、私が「鬼木」を通称使用しているからです。
写真は、夫の母親がお世話になっている施設ホールで、新年に一緒に撮ったものです。
夫は、横田えつこさんが議員になって以来20年余り、スタッフとして、横田さんと二人三脚で市政・県政に関わってきました。ご承知の通り、横田さんは私を市議会議員へと導いてくださった方です。私は多くのことを夫から教わりながら、議員活動を行っています。
鏡野町は夫が生まれ育った故郷です。私の2期目がスタートした2011年5月に夫の母親が倒れ、認知症で在宅の父親とあわせて介護をするために、それ以後、夫は鏡野町で過ごす時間が長くなりました。両親の介護はもちろんですが、農村ですので、両親が行っていた水路保全や草刈りなどにも参加をしていましたら、今回のお話をいただくことになりました。
私がFBにアップをよくするためか、夫が料理上手なことが広まっていますが、暮らし全般にわたって目が細やかに行き渡り、いい加減なことは行わない人です。夫の母親が倒れたとき、「娘がおればよかったと思ったけど、ひとしは娘以上にようやってくれる」と母が発した言葉を忘れることができません。また地方政治についてもよく勉強をしていますので、夫のことで恐縮ではありますが、これ以上にない候補者だと思います。
父親が亡くなったこともあり、私が3期目に向かう選挙の半年前あたりから、岡山での時間が長くはなっていましたが、夫が当選をすれば、夫は鏡野、私は岡山を拠点としての議員活動となります。夫の活動により、一人ひとりが安心して暮らすことができる地域が確実に広がるということ。また、トンボの目のように私自身がより複眼的視点で地方自治をとらえ政策にいかせるということ。お互いに切磋琢磨しながら、ネットワークを広げ、皆さんとともに前進をしていきたいと、私も気持ちを固めました。
私の周りの皆さんには、私のことを心配してくださる方がおられ、ありがたいことだと感謝しています。はじめて聞いたときには驚きましたが、夫が両親の介護で岡山を3年半離れていましたので、これからの生活のイメージはできますし、何より、これまでの議員活動で、私には大きな家族のような輪が幾重にも広がり、勝手ではありますが、そんな皆さん方とご一緒しているので不安はありません。
鏡野町は食料とエネルギーの自給率が100%という町です。議会報告会に参加したことがありますが、議会的にも岡山市が参考にできる仕組みがあると私は思います。2017年、大塚愛県議との活動にワクワクしていますが、夫が鏡野町議になったとき、どんな視野が開けるのか。こちらも楽しみにしています。
夫はいたって元気。朗らかで楽しい人です。そんな町政が育まれていくのではと期待をしていますが、長く鏡野町を離れていましたので、多くの方の応援が必要です。
皆さま方には、どうぞよろしくと、心からお願いいたします。連絡は私か事務所(086-244-7721)まで。
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光吉 準(ひとし)
1956年生まれ。芳野小、鏡野中、津山高校、岡山大学法文学部法学科卒。☆1995年より、岡山市議、県議などのスタッフをつとめる。