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「現代のベートーベン」というブランド

2014-02-11 19:00:20 | ニュース
クラシックにしては空前のCD売り上げを記録した耳の聞こえない作曲家センセー、
「現代のベートーベン」に実は曲を書いたゴーストライターが別にいたということで、
大変な騒ぎになっておりますね。

コレ、最初はナニが問題なのかわからなかったのですけど。


ゴーストライターって呼び方が適切はわかりませんが、
単純に「現代のベートーベン」佐村河内センセー(面倒くさいので以下「ゴーチ」と呼ぶ)が
プロデューサー的立場となり、作曲担当者に曲を仕上げるように依頼するという関係は、
別におかしいものではないですよね。

依頼者からは報酬が支払われ、そうした協力関係をお互いが理解し納得しているのであれば、
よくあるビジネスの関係であって、依頼する側も制作者と呼ばれることもあるでしょう。

ですので、うん、曲は一緒に作ったんだよ、書いたのは彼だけどね、
ということであるなら全く問題ないと思ったのですが。


かつて80年代に口パクがバレた、グラミー賞も受賞してしまったミリ・ヴァニリは、
パフォーマーであるのに実際は別の人が歌っていて、音楽界を追放されたことがありまして。
その後には歌っていた当人たちがリアル・ミニ・ヴァニリとしてデビューするという、
なかなか商魂逞しい展開にもなりましたが、そういう偽装とは違いますしね。


だいたい出版物においても、ほとんどのタレント本というのは
ゴーストライターが関わっている筈で、ゴーストなんて言うから印象悪いですが、
とある企画のもとに役割分担されて、その一人にライターがいるのは普通と思います。

なのにコレが大スキャンダル、あるいは詐欺や犯罪かのように報道されているのは、
まさに詐欺にあたるようなことがあったということなんでしょうか。


ゴーチ自身がまるで一人で独力で作った書いたと、いうことを故意に装っていたとしたら、
ま、それはウソにはなるのでしょうが。

一方でゴーチから依頼を受けた作曲担当者にしても、学校の講師ということで、
アルバイト的な副業をすることが認められない立場にいたとするなら、
名前を出したくない気持ちがあったかもしれませんからね。

そういった意味では、作曲担当者が故意に名前を隠して、
曲はゴーチ一人で仕上げたとのウソに加担したとも言えるのでしょう。
彼が抱いた良心の呵責とは、そういうものだったのでしょうか。


そしてまた、そのウソというのが、広島出身で被爆2世で、
聴力を失った「現代のベートーベン」ゴーチが障害を克服して、
人々に絶賛される大作を作ったと、いう壮大なドラマでもあるようなのです。

こうして、被爆とか障害とか、いかにも美談になりそうな要素が絡み合い、
ゴーチ・ブランドとなって、大衆にありがたがられたと。

ところがゴーチは本当は耳が聞こえる、なんてハナシもあるようでして、
このブランディングが勝手に大衆の間で一人歩きしたものというよりは、
意図されたものだとしたら、それはやっぱり偽装なのでしょうけれども。


ただちょっと難しいなと思うのは、
聴覚を失った作曲家というのがセルフ・プロデュースされたキャラクターだとすれば、
それをウソと呼ぶのかどうかは非常に曖昧なのではないかと。

架空のキャラクターを装うというのは、特に芸能分野ではよくあることではないかと。

聖飢魔Ⅱは悪魔だったりダフト・パンクはロボットだったり、
ゴリラズはアニメだったり、ま、これは設定というだけですが、

ヤンキースの一員となった田中投手の妻・里田まい他がオバカキャラを演じたりとか、
そういうキャラクタープロデュースはよくあるわけで。

この程度の演出ならシャレで割り切ることのできるものではありますが、
ゴーチは障害者を装うという相当に悪質であって演出の域を逸脱した行為で、
比較にならないかもしれませんけど、なんかちょっと引っかかるなあと。

ゴーチを批判するとしたら、これらのプロデュース自体が否定されるのかなと。
プロデュースの程度はどこまでが許されるのだろうという。

ゴーチは障害者偽装かもしれませんが、作曲家と呼ぶかはともかく、
楽曲の制作には関与していた実態はあるようですし。


なんかそういう、虚像やドラマを愉しむという、その性格によってはありがたがるという、
ある意味では騙されたいという大衆の心理が、この事件の土壌にあるのかもしれません。

この音楽偽装・障害者偽装も食材偽装に消費者が騙されたのと似ているなあと。

被爆2世で聴力を失ったにも関わらずそれを克服し成功した「現代のベートーベン」、
そのドラマがブランド化をより促し、大衆もドラマとブランドを好んで買う。


そして今はCDを購入した人々も「騙された」「酷い」とかいうのですが、
楽曲が良いのであれば、それはそれで認めてあげられるものですよね。

少なくとも、ゴーチの着想と指示をもとに制作されているワケですから、
彼と作曲担当者との関係がなければその楽曲自体が生まれることはなかったのですからね。
(ゴーチの指示書は妻が書いた?とかいう疑惑もあるようですが)

もはや楽曲でさえも認められないのならやっぱり、ドラマとブランドを買ったのだなと。
たぶん、エシカルな購買行動をしてるかのような満足感も得られるのではないでしょうか。


さて、ゴーチが音楽偽装・障害者偽装していたとして、
なんかまたマスコミがまた大げさな正義感を振りかざしているように見えますが。

その前にはマスコミがゴーチを「現代のベートーベン」として持ち上げて、
楽曲のことも絶賛していたらしいですね。

でもそれがこんなバッシング報道になってるのは、
偽装を見抜けず誤報させられたことでマスコミが逆上してるだけに見えるのですけども。