・試合時間の総てをを組み手争いに終始・双方が袖口を握って互いに何も出来ない試合・かからぬと判っている技を出して相手に指導を取らせようとする選手・直ぐ脱げる柔道着、直ぐにほどける帯
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オリンピックも後半戦に入りました。
水泳陣のメダル量産、1コースを泳がされた平泳ぎの鈴木聡美さんの銅メダル、200mの銀、男女メドレーの銀と銅。始めてまたは何十年ぶりのメダルの女子バトミントン、男子アーチェリー、団体のフェンシグ、卓球の女子団体など活躍の中で、柔道陣の不振が目立ちました。
正確に言えば金は女子一人、銀、銅は男女14級中6と言う、日本の国技の柔道ならでの不成績の批判です。
デイリースポーツは柔道ニッポンの落日で、監督の責任追求に加えて、
・日本の「柔道」と国際舞台の「JUDO」は似て非なる競技である。日本はしっかり組み、距離を置いて相対する“清く正しく美しい”正統派の柔道。外国勢はポイント稼ぎを優先して、形にこだわらない。背中をつかみ、横から道着を持ち、腕力に任せて揺さぶる。柔道には精神修行的な「道」があるが、JUDOは「DO」。勝つために「やる」だけなのだ。
・今大会で象徴的だったのは3階級を制したロシア勢。奥襟や背中をつかんで動きを封じ、腕力を生かした接近戦で快進撃。金メダルが有力視された60キロ級の平岡拓晃、73キロ級の中矢力は、いずれも決勝で力負けして金を逃した。
・欧州勢だけでなく、日本と体格ではそん色のない韓国勢が中量2階級を制覇。体格の違いは言い訳にならない。
・世界ランキング制度で一定の順位以上でなければ、五輪代表になれない。日本は海外転戦を急増させた結果、疲労とともに相手に研究された。
・全日本選手権で100キロ超級や全日本選抜体重別選手権90キロ級で優勝した加藤博剛はランク圏外のためでられず、90キロ級で加藤に負けた西山将士が五輪出場で銅メダルを獲得した。と技術的な面で批判をしています。
読売ではこれに加えて次のように批判しています。
・「一本」に固執し変則対策足りず。
・強化合宿でも「指導」狙いや、背中を掴む変則柔道を教えない。
・優位に組むには組み手争いに勝つことだが、腕力に勝る外国勢では日本の組み手を封じてきた。
・チームとしての一体感不足、披露の蓄積など五輪前の調整の失敗→監督の責任
[私の意見]
私も旧制工業学校時は柔道部に入っていました。
当時は練習、試合を問わず互いに自分の得意の組み手で自然体での柔道が普通でした。
弱くて臆病な私は組み手をしっかり握り腰を引いた姿勢に直ぐなり教師から叱られたものです。
今の激しい組み手争い、それも試合開始から終わるまで続くのを見ると当時は牧歌的にするぎる柔道でした。
然しそんな私でもまぐれとは恐ろしいもので上級生を体落しで宙に浮かせて投げたこともあります。弱い私が地味な技でど派手に投げたので皆がどっと湧きました。また逆に弱い上級生の私に油断していた黒帯の下級生をそれこそ絵に書いたような背負い投げで投げたこともあります。
それと言うのも弱い私が充分な組み手をさせて貰って居たからです。
下手をすれば弱い人でも大技が決まるスリル満点のスポーツそれが、柔道だったのです。
今度は強い人の例です。
最近のオリンピックの柔道を見ていて当時平成の姿三四郎と呼ばれた古賀稔彦(としひこ)さんです。
1990年、彼は当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と撃破し、決勝進出。決勝で当時最重量(95kg超)級の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、足車にしとめられ、惜しくも準優勝 (Wikipediaより)に終わりました。
柔良く剛を制す、正に柔道の目指す所です。
然しいかに技が切れるとは言え、体力に勝る重量級の選手が今のオリンビックで見るように腕力で強引に古賀さんの両手を決めていてはいかに古賀さんでも手がでる訳には行きません。
然し小川さんは違って居ました。
私もその試合を見ていましたが、解説者の言によれば彼は(今回のロシヤの選手のように)古賀さんを上らか押さえ付け、その体力を消耗した彼を足車を掛けたのです。
私のように弱くても古賀さんのように強い人は尚更楽しめる柔道。見ていて楽しい柔道。
その様な柔道を見ていて自分もやって見ようかと思う子どもたちや若い人達。
古賀ー小川の試合以後日本の柔道界は色々試行錯誤して来たようです。
そして今回のオリンピック。
5分間の試合時間のほとんど総てをを組み手争いに終始する試合。双方が袖口を握って互いに何も出来ない試合。その形のままで(掛け逃げと取られない範囲で)かからぬと判っている技を出して相手に指導を取らせようとする選手。柔道着が直ぐに脱げ、魔法のように直ぐにほどける帯をつけた韓国選手。
会場の人達もテレビの視聴者もうんざり。
このような柔道をみて自分でも始めたいと思う人が何人でるでしょうか。
そこで提案です。
・相手の両袖を一定時間持っていることは反則とする。
・一定時間組み手争いが続けば、試合を停止し自然体で互いの好きな組み手を取らせた上で(相撲のように両方に手で合図して)試合を再開する。再開後組み手を変えるのは自由とする。
・効果:試合時間短縮、観衆やテレビの視聴者はスリルある投げ技を体験できる。選手もやる気が出てくるし、柔道を始めたいと思う人達が増えてくる。
勿論技重視の日本の柔道界には有利になる。
レスリングを含めオリンピック競技の中で、相手の実力発揮を阻止できる「もの」は柔道の取着を除いてありません。
しかし柔道着なしには柔道は出来ません。
「柔道」が柔道から腕力重視の「剛道}に大きく転換するのなら別ですが、そうでないのなら、柔道着が対戦者の実力発揮に使われても、相手の実力発揮阻止に使われることのないように、柔道着そのものの見直しとともに、組み手争いの問題の究明も世界の柔道界のためにも欠かせないと思うのですが。
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オリンピックも後半戦に入りました。
水泳陣のメダル量産、1コースを泳がされた平泳ぎの鈴木聡美さんの銅メダル、200mの銀、男女メドレーの銀と銅。始めてまたは何十年ぶりのメダルの女子バトミントン、男子アーチェリー、団体のフェンシグ、卓球の女子団体など活躍の中で、柔道陣の不振が目立ちました。
正確に言えば金は女子一人、銀、銅は男女14級中6と言う、日本の国技の柔道ならでの不成績の批判です。
デイリースポーツは柔道ニッポンの落日で、監督の責任追求に加えて、
・日本の「柔道」と国際舞台の「JUDO」は似て非なる競技である。日本はしっかり組み、距離を置いて相対する“清く正しく美しい”正統派の柔道。外国勢はポイント稼ぎを優先して、形にこだわらない。背中をつかみ、横から道着を持ち、腕力に任せて揺さぶる。柔道には精神修行的な「道」があるが、JUDOは「DO」。勝つために「やる」だけなのだ。
・今大会で象徴的だったのは3階級を制したロシア勢。奥襟や背中をつかんで動きを封じ、腕力を生かした接近戦で快進撃。金メダルが有力視された60キロ級の平岡拓晃、73キロ級の中矢力は、いずれも決勝で力負けして金を逃した。
・欧州勢だけでなく、日本と体格ではそん色のない韓国勢が中量2階級を制覇。体格の違いは言い訳にならない。
・世界ランキング制度で一定の順位以上でなければ、五輪代表になれない。日本は海外転戦を急増させた結果、疲労とともに相手に研究された。
・全日本選手権で100キロ超級や全日本選抜体重別選手権90キロ級で優勝した加藤博剛はランク圏外のためでられず、90キロ級で加藤に負けた西山将士が五輪出場で銅メダルを獲得した。と技術的な面で批判をしています。
読売ではこれに加えて次のように批判しています。
・「一本」に固執し変則対策足りず。
・強化合宿でも「指導」狙いや、背中を掴む変則柔道を教えない。
・優位に組むには組み手争いに勝つことだが、腕力に勝る外国勢では日本の組み手を封じてきた。
・チームとしての一体感不足、披露の蓄積など五輪前の調整の失敗→監督の責任
[私の意見]
私も旧制工業学校時は柔道部に入っていました。
当時は練習、試合を問わず互いに自分の得意の組み手で自然体での柔道が普通でした。
弱くて臆病な私は組み手をしっかり握り腰を引いた姿勢に直ぐなり教師から叱られたものです。
今の激しい組み手争い、それも試合開始から終わるまで続くのを見ると当時は牧歌的にするぎる柔道でした。
然しそんな私でもまぐれとは恐ろしいもので上級生を体落しで宙に浮かせて投げたこともあります。弱い私が地味な技でど派手に投げたので皆がどっと湧きました。また逆に弱い上級生の私に油断していた黒帯の下級生をそれこそ絵に書いたような背負い投げで投げたこともあります。
それと言うのも弱い私が充分な組み手をさせて貰って居たからです。
下手をすれば弱い人でも大技が決まるスリル満点のスポーツそれが、柔道だったのです。
今度は強い人の例です。
最近のオリンピックの柔道を見ていて当時平成の姿三四郎と呼ばれた古賀稔彦(としひこ)さんです。
1990年、彼は当時75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本柔道選手権大会で重量級の選手を次々と撃破し、決勝進出。決勝で当時最重量(95kg超)級の世界チャンピオンだった小川直也と対戦、足車にしとめられ、惜しくも準優勝 (Wikipediaより)に終わりました。
柔良く剛を制す、正に柔道の目指す所です。
然しいかに技が切れるとは言え、体力に勝る重量級の選手が今のオリンビックで見るように腕力で強引に古賀さんの両手を決めていてはいかに古賀さんでも手がでる訳には行きません。
然し小川さんは違って居ました。
私もその試合を見ていましたが、解説者の言によれば彼は(今回のロシヤの選手のように)古賀さんを上らか押さえ付け、その体力を消耗した彼を足車を掛けたのです。
私のように弱くても古賀さんのように強い人は尚更楽しめる柔道。見ていて楽しい柔道。
その様な柔道を見ていて自分もやって見ようかと思う子どもたちや若い人達。
古賀ー小川の試合以後日本の柔道界は色々試行錯誤して来たようです。
そして今回のオリンピック。
5分間の試合時間のほとんど総てをを組み手争いに終始する試合。双方が袖口を握って互いに何も出来ない試合。その形のままで(掛け逃げと取られない範囲で)かからぬと判っている技を出して相手に指導を取らせようとする選手。柔道着が直ぐに脱げ、魔法のように直ぐにほどける帯をつけた韓国選手。
会場の人達もテレビの視聴者もうんざり。
このような柔道をみて自分でも始めたいと思う人が何人でるでしょうか。
そこで提案です。
・相手の両袖を一定時間持っていることは反則とする。
・一定時間組み手争いが続けば、試合を停止し自然体で互いの好きな組み手を取らせた上で(相撲のように両方に手で合図して)試合を再開する。再開後組み手を変えるのは自由とする。
・効果:試合時間短縮、観衆やテレビの視聴者はスリルある投げ技を体験できる。選手もやる気が出てくるし、柔道を始めたいと思う人達が増えてくる。
勿論技重視の日本の柔道界には有利になる。
レスリングを含めオリンピック競技の中で、相手の実力発揮を阻止できる「もの」は柔道の取着を除いてありません。
しかし柔道着なしには柔道は出来ません。
「柔道」が柔道から腕力重視の「剛道}に大きく転換するのなら別ですが、そうでないのなら、柔道着が対戦者の実力発揮に使われても、相手の実力発揮阻止に使われることのないように、柔道着そのものの見直しとともに、組み手争いの問題の究明も世界の柔道界のためにも欠かせないと思うのですが。
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マスコミは柔道のグローバル化とか言って柔道の破壊を進めています。
解説者も中国女子のトウブンや韓国人選手らの胴着は規制ぎりぎりだそうです。
オリンピックなんかで日本の柔道家が無駄に消耗してほしくないです。
柔道、柔術、武道の精神文化の伝承、存続、発展が何より大事だと思っています。
http://www.youtube.com/watch?v=OA7-Eu2z728
2011.7.24(日)週刊鉄学「言葉が足りないとサルになる」2/3
http://www.youtube.com/watch?v=Mq9f4N293r8
2011.7.24(日)週刊鉄学「言葉が足りないとサルになる」3/3
http://www.youtube.com/watch?v=FdOK-IvEJyg
武術・武道なんて試合を目的にした瞬間に消えてなくなるものですから、仕方ないのかもしれません。
なにしろ、三船十段の技、あれは本物です。(あまり根拠はないのですが、確信してます^^)