普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

クリスマスで思うこと・戦後の教育・仏教の衰退

2010-12-24 16:07:05 | 外交・安全保障

[人を救う筈の宗教が戦争の一因?]
・今日はクリスマスです。
 キリスト教信者でない人達も商業界の戦略に乗せられてクリスマスを祝い、贈り物をしたり食事をしたりします。
 私はキリスト教信者ではありませんが、この機会に家族、友人、恋人たちが絆を確かめあい温め合うのは良いことだと思います。
 そして直ぐ来る大晦日にはお寺の百八つの鐘を聞いて一年を反省し、それが済むと神社へ初詣にでかけるなど、日本人は年末から年始にかけてキリスト教、仏教、神道の行事を何の抵抗感もなくて過ごします。
 私がボランティアで外国人技術者の技術援助の活動に参加しているとき、中東の人達が日本人は節操がないと批判を良く聞かされました。

・私の属する英字新聞輪読会の女性が中東紛争の記事を読み終わった後、「宗教は危ないね」と言いました。
 詰まりイスラム教信者同志の争い、中東でのイスラム教過激派と米国軍の戦闘や、その米軍を支持しているキリスト教原理主義者のことを言っているのです。
 イスラム教もキリスト教も基本的には同じ神を信仰する一神教です。
 私は一神教のためと思いますが、問題は真理は一つとして他の宗教を認めず、十字軍のころから現代まで、それを政争から戦争の具に使おうとしいてることです。
 無神論者に近い私の考えは、どの宗教やそれを始めた人達が如何に優れていても所詮は一人の人間で、その時の環境の元で考えたことで、彼らの言う真理は本当の真理ではないかもしれないし、それに基づく教え、例えばキリスト教に基づく天動説のように、正しいことではないこともあると言うことです。
 その点で日本人は宗教に節操が無くても、キリスト教、仏教、神道の良い所を認め合うのは、人が主張する真理よりもっと真理に近いものがあるかも知れないと言う、非常に科学的な考えに基づいているような気がします。 (私はその考え方から排他的な宗教団体を余り信用していません。)
 一神教のキリスト教信者の中には、俺達の考えが全て正しいのだと、自分達の意見を押しつけて来ます。
 その典型と言うか漫画的なのはシーシェパードの反捕鯨の活動です。
 その理由は鯨が賢いからだそうです。
 逆に言えば賢くない牛や豚は馬鹿だから食べてもよいことになります。そんな馬鹿な!!!
  それよりも「戴きます」で象徴される日本人の「生きるために動物、植物の命を戴く考え方」の方が遥かに合理的、科学的だと思います。
 その考え方に基づく「勿体ない」精神は環境悪化が進む地球では、最も近代的な考えかも知れません。
  反社会的で無い限りどんな宗教も受け入れる日本人は基本的に平和的な国民だとおもいます。 
 日本人、特に宗教界の人達はもっと自信を持って、日本人の考え方を世界に広めるべきだと思うのですが。 
  その一方で日本の宗教界はキリスト教の教えに基づく、社会活動の参加や、余裕のある人の寄付、など他の宗教の良い所をどしどし取り入れるべきだと思います。 
(この考え方はイスラム教も同じです。)
  その点で日本人の多くが信仰していた仏教に就いて書いて見たいと思います。

[仏教の衰退が日本人の与えた影響]
  戦後、占領軍は戦争推進の具にされたとして神道の活動を禁止し、民主主義の考えを導入し、その中で特に国民の自由、権利などの考え方を植えつけました。
  当然のように教育でもその考え方が導入されました。
  日本古来の美風は無視され、権利に伴う義務や責任の考え方は、戦時の軍国主義に繋がるものとして、無視または軽視されました。
  そして昔の修身、今で言う道徳の科目は無くなりました。
  私は占領軍が意図的にそのような政策をとったのか、忘れていたのか判りませんが、教育にはその背景にあるものを考えねばならないのを無視したのです。
  詰まり米国人には今でも米国でしばしば問題になる「個人責任」と言う考え方、フロンテイア精神があり、今でも熱心な信者がいるキリスト教があります。
  戦前の日本は米国と同じように、国民の義務の観念、武士道、神道・仏教と言う精神的な支柱がありましたが、義務、武士道、神道はなどは軍国主義に繋がるとして排斥されました。
  残るのは仏教だけでしたが、占領軍の介入もなかったと思われるのに、衰退してしまい戦後良く言われた観光仏教に落ちぶれてしまいました。
 詰まり米軍の占領中に日本人の精神的支柱はまったくなくなったとき、そして国民の敗戦のショックと反省と言う環境の中で、国情や日本人の心情を全く無視した民主主義と言う考え方が導入されたのです。
 占領の末期には神道・武士道などの復活を許されましたが、一番考えねばならなかったのは、占領が終わり日本が独立国となった時に、日本人の心情と国情に相応しい教育はどうあるべきか考えるべきだったのに、その修正がなされないままに今になって来ているのです。
 その一番の抵抗勢力が社会主義・共産主義的な思想を持つ日教組を中心とする教職員組合です。
 権利に伴う義務・責任の重視、道徳の教科などは戦争に繋がる物だと徹底的に反対し、朝日新聞を中心とする一部マスコミがそれを支援してきました。
 そしてその一方で日本人の精神的支柱となるべき宗教、そしてその中心となる仏教は世情や心情の急変に就いてゆけぬ「ドロップアウト」の状態で衰退して行くばかりです。
 だから教育界では「個人責任」など抜きにして、権利、自由、プライバシーなどの民主主義の一面ばかりピックアップされた教育が行われたのです。  (まるで純粋培養の状態です。)
 その成果がモンスター・ペアレンツやペイシェント、荒れる学校、学級荒廃となっているの誰もが知っている通りです。
 では仏教に対する国民のニーズ?は無いのかと言えばそうでもありません。
 明らかに邪教と思われるオーム真理教には有名大学の卒業生が多く居ましたし、私の姉の話では、真宗の大きな催しには熱心な学生の信者が多く集まるそうです。
 それでも全体的に見れば衰退し続ける仏教に就いて後日考えて見たいと思います。

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