普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

「戦前の子供の暮らし」のその後

2007-10-22 11:37:36 | 少子高齢化

  10月20に「戦前の子供の暮らし(社会劣化の観点からみた)を書いたところ二つの反応があった。

 一つはいつも丁寧で的確のアドバイスを頂いている山本大成
さんから「昔もいじめはあったのでは?」 とご注意を頂いたこと。

 もう一つは柔らかくて鋭いプログで感心させられているねこプラどんぶり
さんから私の駄文を紹介して頂いたことだ。

[いじめ問題]
 山本大成さんのご意見は、
 先日、30年前の小学校のころのクラス会がありました。
 私はその年のクラスではいじめらしい物はなかったと思っていたのですが、同級生と話をしていていじめがあった事がハッキリ解りました。
 頭でっかちで運動が得意でなかった子や、智恵遅れの子、クセのある子などがターゲットとなっており、実に驚くべき事に、私自身もいじめられていたことが発覚しました。
 ただ、私自身はそれをいじめと認識しておらず、それはそれとして普通に過ごしていましたので記憶に残らなかったと言うことのようでした。
 (恐らく、無党派Aさんの時代でも知らず知らずのうちに遊びの輪の外になっていた子供は居たように思いますがいかがでしょうか?)
と言うものだ。

 私はたたまたま旧高専の同窓会の写真が欲しいと言う電話で、昔の写真を引っ張りだして見ている内に小学校時代の卒業写真を見つけた。
 そこに冴えない私がいた。(冴えないのは今でも同じだ。)
 その一人一人を見ても人を苛めたり苛めたりした人はいなかった。

 第一に私自身が、ブログで書いたように、鰹節に醤油をかけた弁当持参、服は継ぎ接ぎだらけ、今の方は想像も出来ないだろうが、当時は洟(はな)垂れ小僧と言われる子供がクラスには何人かいたが、私もその一人、おまけにその洟を袖で拭くので、袖口は拭いたあとで銀色に光っている。
 一口で言えば貧乏人、「汚れ」の上におとなしくて内気と来ては、苛められっ子の筆頭に上げられてもおかしくない私がそのような記憶が全くないのだ。

 強いて言えば、旧制の工業学校では、硬派、軟派と言う「悪」がいて、硬派などは他校の生徒との喧嘩の繰り替えしだったが、絶対に自校の生徒には手を出さなかった
 唯一いじめらしいのは、一人の生徒を全員で囃し立てる遊びがあったが、そのターゲットは、私のような気弱な子もいたが、硬派や級長など同じように対象になっていた事くらいだ。

 多分、戦前と言う時代と可なり開放的な土地柄がそうしたのだろうが、いじめが無かったなど皆さんになかなか判って貰えない。

 然し私の駄文の問題点をつかれたのは、
 (恐らく、無党派Aさんの時代でも知らず知らずのうちに遊びの輪の外になっていた子供は居たように思いますがいかがでしょうか?)
のコメントだ。
 私自身も当時のいじめ問題を書くときいつも感じていたことだ。

 私自身は朝鮮の人とも当時差別されていた人達の子とも同じように遊んでいた記憶はあるが、それでも本人にとっては誰かが遊んでくれないとか、皆から阻害されていると感じる子もいたに違いない。

 然しそれは今のように皆で話し合って一人の子を除け者にするのとは全く違うもので、大人や教師などの責任と言えるが、人の気持ちに気づかなかった子供まで責任があるかとか、それが「いじめ」と言えるかどうか私には何とも言えない。

[戦前の子供の暮らしとのその後]
 私たちは貧乏所帯をやり繰りする母の姿を見ながら育った。
 それで就職すると、誰から言われるともなく、給料は袋のまま母親に差し出した。

 私と二人の弟は姉と兄のお蔭での旧制の工業学校に通うことができ、卒業すると大会社にその頃言われていた職員として就職することが出来た。
 だから今でも姉や兄に頭が上がらない。
 私たち弟三人も同じように給料はそのまま母親に差し出した。
 兄弟は皆、結婚すると独立したが、親の断るのに応分の仕送りをしてきた。
 両親が死んだときの遺産分けのさい、即座に遺産のすべてを兄に相続して貰うことが決まった。

 これらのことは当時多分戦前は平凡な家庭では全て、戦後しばらくはどこの家庭でも似たことをしていたに違いないし、そして今でもこの習慣が残っている家族も多いと思う。
 何故なら当時は貧乏の程度の差こそあれ、皆、戦前、戦後の暮らしに困っている家族がみな助け合って生きてきたからだ
 私の家族を含む多くの平凡な家族は皆そうしてきかたのだ

[社会環境の変化(劣化?)]
 唯一つ母に対して申し訳ないと思ったことがある。
 両親は口に出さなかったが、私達夫婦と一緒に暮らしたいという気持ちを知って、結婚後も親達と同居してきた。
 その点、次男の嫁なのに親を見らねばならぬと言うのに、不平一つ言わずに親の世話をしてくれた家内に今でも感謝している。

 そんな私に転勤の命令が下った。
  それを聞いて「そんなことなど思いもしなかった」と言って母親がポロリと涙を流した。
  今思っても他に方法は無かったかと胸が傷む。

 私どもの家族にも核家族化の波が押し寄せたのだ。
 私の子供も就職しても、親の家計がなんとかなっているので、給料は皆自分の事に使うし、結婚すると、当然のよう別居、親も嫁姑の暮らしを嫌う。

 私の両親が中心の家族、私共夫婦の家族、子供の家族も多くの家族同様、皆平凡な家族だ。
 違うのは私たちを取り巻く環境の変化だ。

 然し、世の中が今のままで進んでよいのか??
 私は自分自身の反省と悔悟を込めて、特に教育、少子高齢化についても書いて来たし、書いて行く積もりだ。。

 その一つが私の持論の「貧乏人子沢山有用論」だ。
 もし興味がおありの方は是非読んで頂きたい。

[若い人達へ]
 幸い、私の駄文を紹介して頂いたねこプラどんぶり
さんや折にふれて貴重なコメント頂くよじままさん達のように しっかりしたお考えを持たれ何人かのお子さんを育てられながら、然も生活をエンジョイされている、若い価値観を持たれた方がまだ多く居られるので世もまだ捨てたものではないことだ。

 いつも言うことだが、若い人達、特に女性の方は、世の風潮に流されず、自分自身の価値観を持って、社会に進出するか、専業主婦の道を選ぶが、将来の生活設計を誤らないようにして、私のように反省と悔悟の毎日を送らなくてすむようにして頂きたいものだ。

参照:
 カテゴリー → いじめ
         少子高齢化


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