普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

集団自決への日本軍の関与

2007-10-04 07:40:01 | 政策、社会情勢

 9月29日の沖縄の宜野湾市の、11万と称する大群衆を集めた高校日本史の教科書検定問題の大会は無党派を自称する私にとっては、異様であり、正直言って少し違和感を覚えた。

 同大会では自民、公明推薦で当選した仲井真知事が中心となり、教科書の検定意見の撤回を求めて、「集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったことを伝えるのは我々の責務」とする決議を採択した。

 この問題についての真実は私には判らない。
 おそらく、沖縄県の人達も全体的な真実は判らないだろう。
 そして、直接その場に居合わせた県民も、軍隊の人もその場ののことは判っても、他地域で何があったか知らないと思う。

 これに関して全くの第三者であり、戦前から戦後の今まで生きて、戦前、戦中、敗戦直後の風潮や、帰還兵からの小さな情報を訊いたことがある、私が感想を述べることも全く無駄ではないと思って、このブログを書くことにした。

[集団自決問題の概要]
それで全体を概況をなるべく公平に把握するために、10月3日付けの読売社説、
沖縄集団自決 検定への不可解な政治介入の内容を参考にすることにした。

 勿論他の新聞の記述とは大分違うと思うが、朝日などより読売の方がより公平だと思うので。
・来年度から使用される高校日本史教科書において、「日本軍に集団自決を強制された」などとする沖縄戦の記述が、今春の検定で修正された。
・決議は、集団自決が日本軍の「関与」なしには起こりえなかったと強調した。今回の修正は、沖縄戦体験者の数多くの証言を否定し歪曲するものだとも批判している。
・しかし検定意見は、集団自決への日本軍の「関与」を否定したのではない。 (読売新聞の主張)
・例えば「日本軍は、県民を壕から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍のくばった手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自害と殺しあいをさせ」となっていたある教科書の記述は、検定の結果、前半部分をほぼそのまま残した上で、「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあい がおこった」と改められた。
(私の考えだが、殺しあいとは自分が生きるために相手を殺し合う意味で使われるので穏当な表現ではない。集団的自害だけて良かったのではないか。)
・ 集団自決の際に軍の「強制」があったか否かが、必ずしも明らかではないことが検定意見の付いた理由だった。
・沖縄戦の最中、渡嘉敷島と座間味島では軍命令による集団自決が行われたとされてきたが、これを否定する証言が、1970年代以降、相次いでいる。
・一昨年には、作家の大江健三郎氏の著書に命令をした本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手取り、名誉棄損訴訟を起こしている。

[当時の状況]
 自決の問題が起こったときの状況は、
・米軍により追い詰められて散り散りになった状態で日本軍としての指示が末端まで届かなかった。
・この時海外での戦闘と違って、沖縄県民も軍人たち接触する機会があった。
 つまり一般の人達と将校や兵士が一緒に逃げ回った。
・その意味で読売の言うように軍の自決に関する何らかの関与はあった。

・「鬼畜米英」のキャッチ・コピーが一般に拡がっていた。
 実際に一般人の戦意喪失を狙って、軍事施設や工場のない都市の無差別爆撃や焼夷弾攻撃、石原慎太郎さんも言っていたが、逃げ回る市民を超低空からの機銃掃射したなどの噂が拡がっていた。 (これらは国際法からも完全な戦争犯罪だ

・兵士のために作った、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う考えが一般にも拡がっていた。

 そしてその中で民間人と共に、生命の危険に晒されていたときの考えられる将校、兵士の言動は下記のようなことは何でもあり得ることだ。
・民間人の生命を護ることを優先して戦う。
 (多分これが一番多い?希望的観測だが)
・民間人も戦えと言う。
 (こんな例は少ないと思うが)
・軍人は捕虜になれないが、民間人は違うのだから米軍のところに行けという。
 (読売の社説が言う例で、普通の軍人なら皆こう言うと思うが)
自決を命令するか、勧める。
  例:手榴弾を渡す
・民間人より自分の生命を優先する

 (軍人としては最低)
  例:民間人を壕から追い出す、
    民間人を放って自分達が先に逃げる

・民間人をスパイ容疑で殺害する
 (極端な例?)
・民間人と一緒に米軍に投降する。

 これに対して、鬼畜米英の宣伝や、生きて虜囚の辱めに洗脳された民間の人達が自分の意志で自害しするなど、対応は色々あると思うが、いずれにしてもそれはすべて国の責任だ。

 詰まり、軍の統制が全く効かなくなった状態で、しかも生命の極限状態に陥ったとき、軍人でも同じ人間である本性が出るしそれに伴う対応が異なるのだ。
 だから私が考えたような、平時では思いもかけないような事態が起こる可能性が大きいと思う。

 それで、ことの正否は勿論確かめるのは前提だが、当面差し迫っている教科書検定の見直しでは、沖縄県民の感情を組み入れるとすれば、敗戦の大混乱の中で、起こった上記のようないろいろな事例を列挙する他ないと思う。

[政治の介入]
  沖縄の大会後、仲井眞沖縄県知事がその決議を政府に提出し善処を申し入れた。
それに対しては上記の読売の社説は
・検定を経た教科書の訂正は、客観的事実の変更によって記載事実が明白に誤りとなった場合などに限られると、省令で定められている。
・町村官房長官は「沖縄の皆さん方の気持ちを何らかの方法で受け止めて、訂正できるものかどうか」と語っている。
・民主党など野党は、沖縄県民の意向を踏まえた歴史教科書に関する国会決議案の提出についても検討している。福田内閣として、この問題を国会の争点にしたくないとの思惑もあるかもしれない。
・しかし、史実に基づいて執筆されるべき歴史教科書の内容が、「気持ち」への配慮や、国会対策などによって左右されることがあってはならない。
・時の政治状況によって教科書の内容、記述が変わるのであれば、中立公正であるべき教科書検定の制度が、その根底から揺らぐことにもなりかねない。
と指摘しているが全く賛成だ。

 私は公明党が提案したように、純粋な歴史的な立場で研究する機関を設置して、80~90歳台の関係者が存命中にデータを収集して研究して貰いたいと思う。

 何時までもこのような歴史的な問題を政治的に取り扱っていては自民党の一部の人達が心配するように、また韓国や中国から教科書問題で介入の余地を与えることになりかねないからだ。

[大会を見て感じた違和感]
 これで連想するのは、慰安婦問題で有名な某女権論者が一部の兵士の現地女性の暴行事件を捉えて、桜井よし子さんなどが書いた米紙への広告のように一部の例外を除いては、全体的にはきちんと行われていた、当時は合法だった現地の公娼制度全体を批判し、当時の日本軍隊を攻撃し、中国や韓国を喜ばせてきた。

 これと全く同じ手法で一部の批評家やマスコミが、沖縄戦の一部の状況を捉えて、日本の軍隊は国権を護るだけで国民を護ってくれないと称え、日本の軍国主義化を批判している。

 殆どの国民は日本軍が壊滅状態にならない限りは日本国民を護ってくれると思っている。

 所謂平和主義者たちは、軍国主義国家の実態を知っており、日本がそれとは全くかけ離れた状態にあることを知っているのに、お念仏の様に日本の軍国主義化を批判しているのだ。

 彼らは日本軍隊が日本人を護ってくれたら困るのだ

・前記の大会に集結した11万と称せられる人達の中に、純粋の県民の衷情を持っている人達の他に、上記の様な人達やそれに乗せられた人達が何人いたのだろうか?
・そして11万にのぼる程の沖縄の人達の圧倒的な修正反対の中で、人前では言えないが、実はそうではないことを経験した戦争の経験者が何人いるのだろうか?
・自民、公明の推薦で当選した仲井真知事も本当に大会の修正反対の演説の内容をそっくりそのまま信じ、改めて改正を申し入れる必要性があることを本当に信じているのだろうか?

 それが私が大会の報道を見て感じた違和感の理由だ。

参照:
 カテゴリー → 慰安婦

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