さて、先週に引き続き、プラハの春について報告したいと思います。
と、ペンを走らせていましたら、電話の音がけたたましくなっています。
今日は、うちのカミさんがバスで東京見物に行っていますが、「帰りが遅くなるので、夕飯を友達を食べたい。」「ついては、小生は勝手に適当に食べてね!」という内容の電話でした。
まったく女性は羨ましい限りですね。
前の職場は、イオンに近いものですから、毎日のように昼食を一階のレストラン街に食べに行きました。
そこで見かける光景ですが、ほとんどの女性が店の一番美味しそうなもの(値段も高い)を注文しているのです。
しかも、なにやら楽しそうに談笑して、人生を謳歌している様子がわかるのです。
こちとら、昼食にイオンのレストランでいただくことさえ、気が引けるものですから、お得な(リーズナブルともいう?)「ランチ」で我慢しています。
「亭主は、元気で留守が良い。」という言葉がありましたが、まぁ、仕方ありませんか?
話がトンでもない方に逸れてしまいました。
プラハの春の続きですが、前回は1967の12月に開催された党中央委員会総会で、ノヴォトニーさんが批判され、翌年の1月に党第一書記を辞任したという話でした。
そして、翌月の2月には、ノヴォトニーと懇意であった国防省の幹部、ヤン・シェイナという将軍がアメリカに亡命したのです。
さらに、この将軍は、ミロスラス・マムラという将軍などと共謀してノヴォトニー体制を維持するためクーデターを計画していたことがばれてしまいます。
でも、何か「ヘン」ですね。どうして社会主義政権を維持しようとクーデターまで計画した人がソ連ではなく、アメリカに亡命するのでしょうか?
まぁ、社会主義という主義主張などより権力を握って安定した生活をしたいということでしょうか?
さて、次の3月には、ソ連と関係が深い内相をはじめ、検事総長など幹部が相次いで辞職してしまったのです。
ヴォトニーさんを見限った?それもあるかもしれませんが、それだけ国内世論が社会主義改革を支持していて、守旧派といわれる人々(ソ連の支持派)は、いやになってしまったのではないでしょうか?(小生の憶測です。)
こうなっては、ヴォトニー体制は維持できませんので、大統領も辞任することになってしまったのです。
後任には、第2次世界大戦の英雄とされているドヴィーク・スヴォボダさんが就任したそうです。
などと知ったかぶりをしていますが、小生は、スヴォボダさんもノヴォトニーさんも見たことも聞いたこともありませんでした。
さて、その後の4月の党中央委員会総会で大きな動きがありました。
それは、新しい社会主義モデルといわれる「行動綱領」の採択と新内閣の顔ぶれです。
行動綱領の内容は
1 権限の一元的集中の是正
2 粛正犠牲者の名誉回復
3 連邦制導入によるスロバキア問題の解決
4 市場機能の導入などの経済改革
5 言論、芸術活動の自由化
6 科学技術を通した西側との経済関係の強化
となっていました。
党の権限集中を放棄することや言論の自由化は、社会主義体制の放棄に等しいと思いますし、経済改革の市場原理の導入は、資本主義そのものです。
今なら、中国やベトナムが市場原理で経済を活性化させていますので、違和感はありませんが、当時としては、画期的な社会主義改革だったのでしょうね。
話が長くなってしまいました。また、これから夕飯のことを考えていて、気が重くなってきました。
プラハの春が尻切れトンボのようになってしまいましたが、今日、撮影してきたトマトを掲載して(写真じゃ、食べられない!と叱られそうですね。)これにて失礼します。