今日は朝からシトシトといった感じで雨が降っています。
昨日は午前中に歯医者に行くことになっていましたが、キャンセルしてしまいました。
その理由は、天気がいいので遊びに行きたかった?いいえ、違います。
天気予報を見ていましたら、日曜日は雨という予報だったからですが、これでは歯医者をキャンセルする理由が分かりませんよね。
家内が近所の農家のおばさんから「ジャガイモを早く掘ったほうが良い」とアドバイスを受けていたものですから、やむなくキャンセルをして、ジャガイモ堀に行ったというのが理由です。
天気は曇り時々晴れという感じで、あまり良くなかったのですが、半日ほどの作業でしたが、疲れました。
そんなことより、ジャガイモのことですか?残念ながらあまり出来は良くなかったですね。それでも、大きな収穫箱が3つ必要なくらいの量が採れました。
粒が小さいのが気になるのですが、芽欠き作業が足りなかったようです。それと、肥料を施す時期が良くなかった、雨が多かったなどが原因でしょうか?
量としては、二人でないと持ち上がらないくらいで、それが3箱でしたから60キロくらいでしょうか?
種類は三つで男爵、キタアカリ、メークインです。男爵とキタアカリはホクホク系で、メークインはしっとり系ですね。
でも、新ジャガを茹でたものをバターでいただくと、その「ほくほく」感がたまりませんよ!
ジャガイモの話が長くなってしまいましたが、本題のプラハの春についてお伝えします。
前回は、1968年の5月の党中央委員会総会での動きまでお伝えしたと思いますが、こうした改革の波が自国にも波及しないかとハラハラしながら見ていたのポーランドなどの近隣諸国でした。
そのため、軍事介入は8月にあったのですが、それまでにソ連を初めとするワルシャワ条約機構加盟国との会談が何回かあり、チェコスロバキアの改革に対する批判や、軍事演習を通じた政治的、心理的圧力を加えたのです。
具体的には、1月にポーランドと東ドイツがソ連のブレジネフと会談して、社会主義が崩壊する懸念を伝え、2月にはチェコスロバキアで開催された革命式典で各国首脳は改革の機運を肌で感じることになったのです。
さらに、3月には、ルーマニアを除く加盟国5カ国が旧東ドイツのドレスデンに集まり、議題とは関係のないチェコスロバキアに対する批判の会談をしています。
批判の内容は、改革運動が反革命の兆候であり、共産党の役割が浸食されているというものだったそうです。
まぁ、いろいろ言ったのでしょうが、各国とも独裁体制が壊れるのを恐れたのでしょうね。それは、自分たちの崩壊をも意味することですから、大変な危機意識があった思います。
ということで、こういう会談はまだまだ続きます。5月には、モスクワでチェコスロバキアとソ連との会談があり、これを受ける形でワルシャワ条約機構加盟は、軍事演習の前倒しとチェコスロバキアの保守派への支援で合意するという動きがありました。
そして、6月にはチェコスロバキアでワルシャワ条約機構軍の軍事演習が行われています。
7月には、ソ連の主導で多国間会談が提案され、実際にワルシャワで開催されたのですが、肝心のチェコスロバキアが出席しないという異常な状態の中で協議が行われたのでした。
ワルシャワ条約機構側は、この会談に出席するようハンガリーのカダールという人(元首相)に説得させるのですが、失敗に終わってしまいます。
ところで、この会談では何をしたかといえば、チェコスロバキアに何を突きつけるかという話だったのでしょうね。
各国は軍事介入を求めたそうですが、ソ連は、反革命勢力との戦いを全面支援するという趣旨の「共同書簡」の送付を決定したのです。
何だかよく分からないのですが、「改革をやめなさい」とか「幹部を更迭しなさい」といえば良いと思うのですが、西側の批判などを考えてそこまでソ連としてはできないと判断したのでしょうか?
その後、軍事介入には、チェコスロバキアの「要請」が必要であるというソ連首脳の考えを伝えたとされるスロバキア第一書記との極秘会談があったそうです。
スロバキアの首脳は、改革に反対だった?のでしょうね。
さて、これを受けてかどうか分かりませんが、チェコスロバキアの首脳とソ連との会談がチェルナというところで行われ、ソ連との「合意」があったされています。
その合意内容ですか?それについては、次回にお伝えしたいと思います。
きょうは、ジャガイモとプラハの春についてのレポートでした。