昨日は、チェコスロバキアの話から日本のことになってしまいましたが、社会主義国が目指した計画経済は、うまく機能しませんでした。
現に、今の中国は政治体制は社会主義ですが、経済は、党の規制はあるものの市場原理という資本主義経済になってしまいました。
ところで、ソ連が主導する東側の国々が次々と社会主義を放棄したときに問題となった中で、特徴的な出来事がありました。
それは、社会主義政権のトップなどが人民が貧乏で苦労しているのに、豪華な生活をしていたことです。
それを隠すために「個人崇拝」や「情報統制」「粛正」「思想教育」などが行われていたとすれば、大変な話です。
でも、このようなことは軍事政権の国や、独裁的な民主主義国では今でも行われていると思います。
話がプラハの春からそれてしまいましたので、元に戻っていただいて、スターリン批判から11年後の1967年にチェコスロバキアでは、著名な作家たちが党批判を行い、また、学生が寮の設備に関する抗議デモを行い、警察が鎮圧するという事態になりました。
それに加えて、スロバキア共産党からノヴォトニーの国家運営に対する不満がでてきたのです。
ノヴォトニーは、ソ連のブルジネフに助けを求めたようですが、国内問題だと冷たくあしらわれたようで、とうとうこの年の12月の党中央委員会総会で、批判を一身に浴びてしっまたそうです。
自国での自分への批判をかわそうとソ連という親分の権威を使おうとしたのですが、うまくいかなかったということです。
そして、とうとう翌年の1月に開催された総会でノヴォトニーは、党第一書記を離れ、第一書記にはスロバキアのアレクサンデル・ドゥブチェクという人が就任したそうです。
そして、さらに3月に大統領を辞任することになるのですが、この間の出来事や4月の「行動綱領」についてお話ししないと、プラハの春の背景が理解できないと思います。
しかし、昨日、今日と親戚の葬式があり、少々疲れました。
この続きは後日、お伝えしたいと思います。