裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

玩物喪志

2019年12月24日 22時08分06秒 | Weblog
読んだ本を大事に取っておくなんてもったいない、と思うのだ。
ん?
もう一度言うよ。
読んだ本を捨てないなんてもったいない、と思うのだ。
空間が。
本<空間、の価値観。
本とは、背表紙を書棚にため込むものではなく、内容を頭の中にため込むものだろう。
その本が300円としたところで、その本が占めるスペースにもまた300円分の価値がある。
そこで考える。
自由に使える部屋内の空っぽの容積(300円分の価値を持つ空間)に、300円だった本の体積を占有させるべきか、否か。
本に綴られてた300円分の価値は、すでに自分の脳内に移ったのだ。
だとしたら、その本の抜け殻に、300円の空間を占有させる価値が残ってるだろうか?
ここは考えどころだろうが、オレは空間を大切にしたいんで、本の方を捨てる。
本を大切にしたければ、空間を捨てるのも悪くない。
だけど、「せっかく買った本なんだから念のために(あるいは記念に、別の言い方をすれば自慢のために)取っておく」という考え方は、オロカに思える。
なぜなら、刻々と増えるそれらと相対的に、自分の使える空間がむしばまれていくんだから。
オレは、一度読んだ本は片っ端から捨てていく。
自由空間の方が断然大事!
必ず読み返すにちがいない大好きな本や、資料として価値のあるものだけは残すけど、それも30センチ立方の棚に収まるだけ!と決めてる。
なので、新しく収蔵したい一冊が現れれば、しばらく読むことのなかった一冊とはバイバイとなる。
ベンチ入りメンバーの選抜争いは、熾烈極まる。
かわいそうだが、このタガを外すと、スペースは際限なく侵されることになるのだ。
生活空間を脅かすほどに本を積み上げたとして、それらのおびただしい本をいつ読み返すというのか?
一冊の体積が、わが自由空間の容積300円分を侵すとして、部屋の一面を本が覆ったとしたら、その空間分の損失は数十万から数百万ってところになる。
その逸失利益は半永久的であり、しかも増大しつづけるものと考えるべきだ。
本を捨てないなんて、もったいない。
それは、体を伸ばせる場所を捨ててしまうようなものだ。
どれもこれも、捨ててしまおうではないか。
楽になろうではないか。
と思うのだ、捨てられないよめはんを見てると。
だけど、CDな・・・
これだけは、オレの部屋にも際限なく増えてくんだよなあ・・・
ダウンロードにすればいいと思う?
でもね、やり方が今だにわかんねーんだわ、サムライなんで・・・
そしてオレは、CDと、CDチェンジの時間を愛してるのだあ!
すまんが、これだけは残させてくれ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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