裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ストーンズ

2009年02月10日 00時45分27秒 | Weblog
スコセッシが撮ったストーンズのライブ映画「Shine A Light」をちょっと前に観てきたんで、そのレビュー。
いいものを撮りたい巨匠の熱意と、そんなものをまったく意に介さずに自由に振る舞うストーンズのメンバーの対称が笑えます。
撮影をハナからバカバカしいものとして、メンバーはその日のライブの曲目すら教えず、スコセッシはひたすら低頭しつつ振り回されるという構図。
そんな位置関係を逆手に取って、自らを自虐的に描くスコセッシの冒頭の構成意図も、なるほど優れたもの。
どちらもプロフェッショナルです。
いやー、それにしてもかっこいいです、ミック。
還暦を過ぎても無駄な肉をそぎ落としたあのシャープなからだ。(「誰もがダイエットしたくなる映画」といううたい文句はわかる気がする)
なのに、わいせつでノリノリのあの腰のキレ。
ほぼ妖怪です。
感心したのが、声の伸び、張り、声量。
遊んでるようで、ぜんぜん禁欲的に鍛錬しまくってんじゃないですかね、このひと。
伝説を褪せさせない、という自尊心に生きてるのがわかります。
さて、このひとの歌唱は、ついに「吟ずる」という境地にまで達してしまいました。
つまりですね、このひとの歌は、すでにして音符をなぞってない。
「それを追うことになんの意味が?」という、いわば新観念の世界に突入してしまった感があります。
言葉で表現するのはむずかしいけど、わかりやすく言えば、ミックの歌は、わずかみっつの音階で事足りてます。
「ド」と「レ」と「ミ」さえあれば、持ち歌全部歌い上げられますよ、という、つまり「経」的達観。
なのにそれが、ちゃんとストーンズの音楽になってるから不思議。
オクターブの行き来なしに、伝えきり、見せきり、表現しきることができるわけ。
「スタート・ミー・アップ」はたったふたつの音階、「ブラウン・シュガー」に至っては、ただひとつの音階だけで歌い上げることができる、と言っても、理解してもらえるだろうか?
わからんひとは、映画観てみてください。(ライブに足を運ぶのもおすすめ)
キースは、一曲終わるたびに「神に祈りを捧げる」ようなたたずまいで、実はへたりこんで荒い息。
また、ミックの休憩中にヴォーカルをまかされるんだけど、ほんとに「歌わせてもらえるのがうれしい」感がありありとわかって、少々痛い。
まるで、カラオケでやっと順番がまわってきたひとのようです。
もう少し悪いひとでいてほしいのだが。
ミックも、キース・オン・ステージ中に楽屋に引き込んで、ドラッグでも吸っててくれたらうれしいんだけど、おそらく酸素を吸入されてるのでは?と想像される。
チャーリーの堅いドラムにはますます味が出てるし、このバンドはどこまでいくんだろう?
だけど「キースときみと、どっちがギターがうまいの?」と訊かれたロニーが、「オレさ」と言い放つのに対して、「ロニーときみとどっちが・・・」と訊かれたキースは、「どっちもヘタさ。ただし、ふたりそろったら最高だけどね」と答えるところに、なかなかの含蓄を感じましたな。
死ぬまでやるだろうなー、このひとたちなら。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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