ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

755         豊能町 高山

2007-08-15 22:03:57 | Weblog
※ 高山 高札場跡。
  クリック♪


昨夜は 『コンタクト特別編』を観る。
始めから終わりまでずーっと、(ジョディ・フォスターにそっくりの女優さんだな) と思いながら観ていたが、あとで調べてみると本物のジョディ・フォスターだった。
コンタクト特別編 
映画のほうは、もっと宇宙人なんかがバンバン登場する娯楽ものと思っていたので、少々退屈に感じる。
ただ、50年前のヒトラーの映像が異星から送信されてきた場面にはビックリさせられた。
R・ゼメキス監督は、この映画の完成を待たずに死去されたとの事。


今朝、きのう買ったばかりのオーブントースターでパンを焼く。
最近は冷凍したパンを焼くことが多いので、300ワットと1200ワットの切り替えが出来るものにした。
焼けるのはさすがに早いが、中の方がまだ少し冷たいままだった。
明日もめげずにチャレンジしよう

本日より 「夏休み研究会後半の部」 
10時から開始で7名の参加。
天童へ行っていたU君から チェルシー みちのく限定りんご味 を貰った

お昼ごはんを食べてから外出。
暑さも一段と増し、お腹も痛かったが、気分転換になればと思い少々ムリを押して車に乗り込む。
午前中ネットで見つけた豊能町の ‘高山マリアの墓’ を目指す。
176r~423R~4Rのルートで美しい緑の中を走るが、お腹はますます痛くあまり楽しめない。
石材店や霊園の看板が目立つ 「止々呂美 (とどろみ)」 を抜けたあたりから豊能町となる。

『史跡・石仏、高山コース マリアの墓入り口0,3km 戸知山登山口』 と書かれた標識を見つけて停車。
帽子をかぶって車を降りると、あまりの暑さにクラクラッとする。
ミソハギやホウセンカ、様々な色をしたケイトウやダリア、白や桃色のコスモスが咲き乱れる畑を見ながら、細い登り坂をダラダラと歩く。
網のフェンスの向こうではヘチマか何かの棚が組まれており、そばへ近づいてみると見事なゴーヤがぶら下がっていた。

いきなり鬱蒼とした雑木林につきあたり、突然視界からNの姿が消える。
(???) と思ってキョロキョロしていると、どこからか 「こっちこっち」 と声がする。
目を凝らしてよーく見ると、向こうの草むらの中から、首だけを出してこちらをジッと見ているNがいた。
一瞬、(で、出た・・・) と思って震え上がる。

さらに細い道を不安げに進んでいくと、ひっそりと佇む3基の墓碑が目に入った。
マリアの墓だ。
小さなお墓の前には、むらさきの桔梗やダリアが供えられている。
そばの案内板によると、これは江戸中期に作られたもので、江戸幕府によるキリシタン禁教後、村に残った最後のキリスト教徒 (後に転宗) となった二組の夫婦のお墓らしい。
少し離れた場所にもう一基お墓があった。
辺りにはパックに入ったままのラクガンが散らばっており、Nが4基のお墓の前へていねいに置き直していた。
しゃがんで手を合わしていると、突如、やぶ蚊の猛攻撃が始まる。
汗のニオイで集まってきたのだろうか。
振り払っても振り払っても、ウィ~ンウィ~ンといやな音を立てながらまとわりつく。
早々と降参して、スタコラサッサと元来た道を戻る。

その後、小さな段々畑に囲まれた住吉神社へ。
この暑いのに、外人のカップルがキャーキャー言いながら楽しそうにボール投げをしていた。

そばの高山公民館に寄って冷たいお茶を買う。
壁に 『キリシタン大名 高山右近のふる里』 と書かれた、ほとんど消えかかった文字の説明板が貼られている。
公民館は閉まっていたが、壁の時計は2時20分を指していた。
とにかく暑い。
ジッと立っているだけでホットドッグになりそうだ。
お腹が痛いのも治らず、段々キモチ悪くなってくる。
そばのフェンスにカラスが1羽、退屈そうに向こうをむいて止まっていた。

高札場はそこからすぐのところだった。
小さな林のすそに作られた古い木造の札場で、五輪塔と小石仏、地蔵尊が並び、小さな賽銭箱が置かれている。
中央、小石仏のヨダレかけには、「奉納  にこにこ山岳会」 と書かれてあった。
頭上に掲げられた定め書きには

          
一、 切支丹宗門之儀、是○御制禁之通 固く可相守事

一、 邪宗門之儀ハ固く禁止候事

                    慶応四年三月 太政官

 
と、ものものしく書かれている。

汗だくになってクルマへ戻る。
そんなに歩いてないのに、もう限界だ。
北摂霊園、箕面隧道を抜け、明治の森箕面国定公園の周囲を走る。
そのまま ‘有料 五月公園幹線遠路’ へ入ると、「天国に近い祖先の住まい 眺望最高 ○○霊園」
「好評 墓地分譲中」 などと書かれたノボリや看板などが目立つ。
以前来たことのある慶○霊園のそばを通り過ぎる。
ここは、よく行く五月山動物園とは正反対の位置にあたるようだった。

グッタリ疲れて2階へ駆け上がってダウン。
もう4時を回っていたがそのまま寝てしまう。

目を覚ますと6時前。
下へ降りると、Nが ハッシュドビーフ を作っていてくれた。
我々のごはんが足りないようだったので、ビデオを返しに行きがてら久しぶりで松屋に寄る。


きょうは藤原1級と坪井5級泊まり。


おわり
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2 コメント

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○の中 (95)
2007-08-16 06:51:09
○の中の文字は 迄 のようですね。慶応4年は9月に明治天皇の即位があり、慶応4年をもって明治元年とするということで明治元年とイコールの年です。日本ではそんなに最近までキリスト教を禁制にしていたのかと改めて知らされた思いです。
 JR高槻駅近くのカトリック教会の庭に高山右近の像が建っていた記憶があります。
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95さま (ルン)
2007-08-16 08:55:54
「迄」

確かにその通りでしょうね。
意味は分かっていながら、どうしても思い浮かびませんでした。
あー、スッキリした
「慶応」 という文字もいかにも古い感じがするのですが、実際には明治なんですね。
町の教会やミッション系スクール、子ども達の通う日曜学校、ホテルでの結婚式などを考えると、何だか信じられない気持ちです。


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