ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

2234    2011年 1月17日

2011-01-21 08:57:21 | Weblog
※ 若水からの帰り道。
  S字橋を通ってJR宝塚駅へ向かう。
  クリック♪

まる2日、PC(ルーター)の調子がおかしく、我が家のPC3台共が使えなかった。



1月17日(月)

雪の舞う前夜から一変して寒さがゆるむ。
リビングへ降りると、きのう泊まりだった荒木くんと、集合時刻を間違えて早く着きすぎてしまった川崎君が待っていた。
9時15分にピンポンが鳴って、船越くんのお母さんと増田くん、安用寺くんが誘いに寄ってくれる。
なんだかうれしかった。
写真とお花を持ち、前夜から帰っていた息子も一緒にみんなで駅へ向かう。

9時半。
大石四段、澤田四段、竹内三段、西田三段、藤原二段、阪上二段、坪井1級、
それに本日幹事の野間五段、読売のKさんが集まる(糸谷六段は対局)
あとは山崎七段だけだが、どうも遅刻のようだ。
仕方ないので、皆でひと足先にアパート跡地へ移動する。

うす茶色の枯れ草が生い茂る空き地の中ほどに船越くんの写真を立て、用意していた花を置く。
空き地の向こうには、地震のせいで少し傾きかけた市場の低い軒が並び、時折りヒヨドリの声が響く。
又聞きだが、こういう風に震災直後の姿のまま残っている場所というのは、もうほとんど無いらしい。

皆がひとりずつ順番に写真の前へ進み出て手を合わせる。
これもいつもと変わらぬ風景だ。
皆が拝み終わったあと、船越くんのお母さんから少しだけアイサツをしていただく。
ガマンしなきゃと思っても涙があふれ出る。
悔しい悔しい涙だ。

その後やっと山崎七段が到着。
集合時刻を10時とカン違いしていたらしい。
罪滅ぼしのためか、その日一日、船越君のお母さんの荷物持ちをやっていた。

家で研究会の子ども、これから仕事の息子たちと別れ、それ以外のメンバーでベガホール前からタクシーに分乗して、ゆずりは緑地公園へ向かう。
去年と同じく、運転席の前に折り鶴が飾ってあった。

緑地公園へ着いてすぐ記帳コーナーへ行くが、船越くんのお母さんだけ、1番右端の 「御遺族様」 と張り紙のしてある場所で名前を書いていた。
ハッと現実に向き合わされた気分になる。

献花用のキクを1輪いただいてから、丘の中腹にある鎮魂の碑の前へ。
気持ちをこめて献花したあと手を合わす。
アパート跡地の時より、少しリラックスした気持ちで話しかけることができた。
丘を下りながら振り返ると、白いドームと澄みきった青空のコントラストが美しく、皆で並んで記念撮影をする。
船越くんのお母さんも、荷物持ちの山崎くんと笑顔で歩いている。
来てよかった。

それから再びタクシーに乗り、昼食会のホテル若水へ。
30分ほど早く着いたので、1階の喫茶でお茶を飲みながら待つことに。
窓際いっぱいに広がる武庫川では、たくさんのユリカモメが羽を休めてプカプカ浮いている。
船越くんのお母さんは抹茶オーレを飲んでいた。

今年は個室がとれたので11時半に移動する。
お料理を頂きながら、今年の幹事野間五段からの質問 「お正月はどう過ごしましたか」 に、皆が順番に答えていく。
由緒正しき三社参りをしたa君、親戚宅への年始まわりに忙しかったo君、特に何もせず静かに過ごしたs君、お正月の3日から初出勤されたというfさん、初詣へ宮島へ行ったy君、年末から1週間ほどくつろいだというnさん、etc・etc・・・・・・。
それからなぜかスリの話題になる。

食後はお約束の温泉だが、このあと仕事の野間さんと増田くんだけひと足先に帰る。
お疲れさまでした。
私はハダカを見られるのが恥ずかしいので、船越君のお母さんが行ってしばらくしたあと時間差で入る。
女湯は空いていて、露天は貸切状態だった。
涼しい風を受けながら温もっていると、ガラスの窓越しに、室内の湯船に浸かっている船越くんのお母さんの後姿が見えた。
肩の線が、なんだかとても寂しそうだった。
一緒に浸かってオシャベリすればよかったかなあ・・・・。

お風呂から出たあとは、休憩室で冷たい黒豆茶を飲みながらノンビリと過ごす。
恒例となった、若水の掛け軸前での記念撮影。
窓からは宝塚大橋が見え、その下にギリギリで、例の 『生』 の字を見つけることができた。
福岡でも 『阪急電車』 が見られるといいんだけどなあ。

それからホテルを出て、S字橋を歩きながら宝塚駅へ向かう。
お母さん以外は全員阪急なのだが、結局みんな揃ってJRまで行く。
JR宝塚駅へ行くのはリニューアルオープン後初めてだった。
船越くんのお母さんと安用寺六段、それに荷物係りの山崎七段の3人が揃って改札を入って行く。
これでお母さんも大阪までは寂しくないだろう。
「じゃあ気をつけて」
「今度会える日を楽しみにしています」

それでもやっぱり、最後は悲しそうな笑顔に見えた。


帰宅すると4時過ぎで、まだ研究会の最中だった。
子ども達はコープのおにぎりを食べながら夜まで将棋だったが、荒木くんがちょっと調子悪そうで、陀羅尼助とビタミン剤を飲ます。

9時過ぎ頃に全員が帰る。
ちょっと疲れたが、いい1日だった。
船越くんのお母さんが癒されるのは、子ども達が将棋をがんばることなのだ。


おわり
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2 コメント

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Unknown (しいのみ)
2011-01-21 23:58:24
師匠のブログにジーンとした後に読みましたので、罪滅ぼしに?荷物持ちのところ、クククと笑ってしまいました。

でも夢を同じくする若者たちに囲まれて、船越さんのお母さまも温かい時間を過ごされたのではないかなあと感じました

本棚にある「棋士になりたい」また読み返してみようと思います。
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しいのみ様 (ルン)
2011-01-22 12:02:27
カン違いとは言え、30分遅れで到着したときの山崎七段は
さすがに声もなく、緊張と反省で引きつって見えました。
そのおかげで、自ら “1日赤帽” をかって出たわけですが
神妙な面持ちで1日ゴロゴロ引っ張っる姿は、なんとも微笑ましいものでした

船越くんとは年齢も住んでいた場所も近く、また練習将棋でもかなり指したであろう山崎七段は
お母さんにとって、どの子よりも身近に感じられる存在なのでしょうね。
本当に愛しそうに山崎七段を見つめ、寄り添う姿を目の当たりにしながら
(ああ、今この瞬間、山崎くんと隆文くんが重なって見えてらっしゃるんだろうなぁ) と、胸が熱くなりました。


『棋士になりたい』
私も久しぶりに読んでみようと思います。


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