※「有馬筆」のカワイイ看板、板塀にさりげなくマッチしていた。
クリック♪
参道では毎年この時期になると、願い事を書いた短冊や美しい飾り物がいっぱいつるされた大きな七夕の笹が立てられる。
きょうもポストへ行った折に見つけ、「ああ・・今年も又この季節が来たのだなぁ」としばらく見入っていた。
七夕の飾りを見るたびに思い出すのが、内弟子時代の山崎六段である。
その年、皆で七夕の飾り付けをするために、私は近所の花屋さんで1本100円の笹を買ってきた。
折り紙で「チョウチン」やら「輪かざり」などを作ってつるした後、N、当時小学生だった息子、中学2年の山崎六段に、願い事を書く短冊を数枚づつ渡した。
書き終わった短冊を集め、あとで私がそれを1枚1枚笹に結び付けていったのだが・・・
飾り付けを全部終えた私はナントモ複雑な気持ちになってしまった。
もうずい分前の事なのでそうハッキリとは覚えていないのだが、問題は短冊に書かれた願い事だった。
Nや私や息子はお決まりながらも、「皆が健康でいられますように」とか「弟子の将棋が強くなりますように」とか「みんなが仲良く暮らせますように」などと書いていた。
ところが山崎六段の短冊には、「将棋が強くなりますように」、「広島の家族が元気で過ごせますように」、「奨励会で勝てますように」など、見事に自分サイドの事しか書かれていなかったのだ。
特に、「広島の家族が元気で過ごせますように」というのはある意味こたえた。
義理でもいいからなぜ1枚くらい、「師匠が元気で長生きしますように」とか
「奥さん、いつもご飯をありがとう(あ、これは願い事じゃないけど・・)」とか書けないのか!
その頃の私達とナマイキ盛りの山崎六段とは<犬猿の仲以上(?)>の関係だったので、少々のことでも過敏になっていたのだろう。
飾りつけながら腹が立って腹が立って、くやし涙まであふれる始末だった。
いま考えればホントにささいな事で、取り立てて悪い事でもないと思うのだが
当時は真剣にアタマに来てしまっていた
しかしいつも思うのだが、こういう話を平気で書ける日が来たという事はきっとシアワセな事なのだろう。
山崎六段には悪いが、今の私にとってはかけがえの無い一生の思い出なのである。
これからも機会があれば、山崎六段の「悪口エピソード」を披露しようかなと思っている
おわり
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参道では毎年この時期になると、願い事を書いた短冊や美しい飾り物がいっぱいつるされた大きな七夕の笹が立てられる。
きょうもポストへ行った折に見つけ、「ああ・・今年も又この季節が来たのだなぁ」としばらく見入っていた。
七夕の飾りを見るたびに思い出すのが、内弟子時代の山崎六段である。
その年、皆で七夕の飾り付けをするために、私は近所の花屋さんで1本100円の笹を買ってきた。
折り紙で「チョウチン」やら「輪かざり」などを作ってつるした後、N、当時小学生だった息子、中学2年の山崎六段に、願い事を書く短冊を数枚づつ渡した。
書き終わった短冊を集め、あとで私がそれを1枚1枚笹に結び付けていったのだが・・・
飾り付けを全部終えた私はナントモ複雑な気持ちになってしまった。
もうずい分前の事なのでそうハッキリとは覚えていないのだが、問題は短冊に書かれた願い事だった。
Nや私や息子はお決まりながらも、「皆が健康でいられますように」とか「弟子の将棋が強くなりますように」とか「みんなが仲良く暮らせますように」などと書いていた。
ところが山崎六段の短冊には、「将棋が強くなりますように」、「広島の家族が元気で過ごせますように」、「奨励会で勝てますように」など、見事に自分サイドの事しか書かれていなかったのだ。
特に、「広島の家族が元気で過ごせますように」というのはある意味こたえた。
義理でもいいからなぜ1枚くらい、「師匠が元気で長生きしますように」とか
「奥さん、いつもご飯をありがとう(あ、これは願い事じゃないけど・・)」とか書けないのか!
その頃の私達とナマイキ盛りの山崎六段とは<犬猿の仲以上(?)>の関係だったので、少々のことでも過敏になっていたのだろう。
飾りつけながら腹が立って腹が立って、くやし涙まであふれる始末だった。
いま考えればホントにささいな事で、取り立てて悪い事でもないと思うのだが
当時は真剣にアタマに来てしまっていた
しかしいつも思うのだが、こういう話を平気で書ける日が来たという事はきっとシアワセな事なのだろう。
山崎六段には悪いが、今の私にとってはかけがえの無い一生の思い出なのである。
これからも機会があれば、山崎六段の「悪口エピソード」を披露しようかなと思っている
おわり
‘良質の小説’というのがですが・・・
続編かぁ・・・いいのかなぁ書いちゃっても?
今度本人に会った時に一応了解をとってみます。
もし「イヤだ!」と言った場合は首をしめて脅しますネ
他の棋士の方々をあまり知らないので、うちの門下の子達が個性的なのかどうかハッキリ分からないのですが・・・
同じセリフを言われることが多いので、やっぱりそうなのかも知れませんね。
増田五段なんかはごく普通そうに見えますが
実際にはかなりズッコケで面白いです(根がマジメなので余計に笑えます)
良質の小説を読んだような気がしました。続編に期待しています。
>ご本人にとっては封印してしまいたい過去
まさにその通りだと思います
が、「七夕」とくると、もうこの思い出っきゃ私の頭にはありません。
実は今回のブログも何度も何度も見直して
(う~ん・・・ちょっとキツイかなぁ、ヤメとこうかなぁ・・)とさんざん悩んだのですが
かといって他にネタも思いつかなく、いつも通りの(ま、いっか・・山崎君、ガマンしてちょ♪)の精神で披露させて頂きました。
>「大きくなったらひまわりになりたい」
カワイイですねなれるよ、きっと・・・
ご本人にとっては封印してしまいたい過去なのでしょうが、『名人隆之』という漫画が描かれる将来には絶好の資料となると思いますので(笑)、どんどん暴露してくださいませ。
七夕といえば、ムスメの3歳のときの願い事が「大きくなったらひまわりになりたい」でした。。。
お気持ちものすごーく良くわかります。
こちらがすごく親しみこめて接していたつもりでも、相手はそれほどでもなかったんだなァとわかった瞬間・・・
悲しいというか情けないというか・・これって子供の時から味わってます、結構。
それで、大人になるにつれ、悲しいけれど、ある程度距離を持って接するようになってしまいますね。
それでも尚、同じような悲しい気持ちになってしまうことは多々あります。
でもその度に、(もしかして、私も知らないうちに相手にそう思われるような言動をしているかも知れないなぁ)と思うようになってきました。
気づいたり気づかされたり・・・
(きっと死ぬまでこんな感じで生きていくのかなぁ、生きていくってナンギやなぁ)などとタメ息つきつきやっております。
オバァになるまで仲良くして下さい
今は心から応援しておりますが・・・
可愛かったらいいなぁ」と、ルンルン気分でいっぱいでした。
それが、ひと目会ったその瞬間「(これは大変なことになったヨ~)」
何という不敵な面構え!!
(この子とはゼッタイに上手くやっていけないな・・)と瞬時に悟りました。
本当に、現在からは想像もつかないイメージだったのです。
大掃除の時など、たまに山崎六段の当時の写真が出てきますが、その時
私もそれぞれの会社に思いをもって仕事をしているのに、時として、部外者のような態度で扱われるとしゅんとなります。
そして、「私はそうだ・・・・社員じゃないのだ・・・」と改めて思い、ひとりなんだなーと思うのです・・・
人が一生懸命腹が立つ事があっても、其の人にしていると、尚の事です。
さて
たなばたの思い出はあまりないのですが、
父の願い事をみると、当時、ミシンを売っていたので「ミシンが売れますように・・・」と書いてあり、商売人だな・・・と子供ながらに思ったものです。
山崎六段の少年時代森先生やルン様がご苦労されたことは前に何かの記事で読んだことがあります。弟子とはいえ他人様の子どもを預かって一緒に暮らすのは大変ですね。山崎六段も当時はまだ幼くて師匠や奥様のことを思いやる余裕もなかったのでしょう。
でもそんな時代があったからこそ今の山崎六段があるのですね。彼も森先生の弟子になって本当に良かったと思っていると思います。
時々は「悪口エピソード」1とか2とか書いてください。