鉾立は大和郡山市の新庄町の枝村で、出垣内にあたる出屋敷だとも云う。
鉾立集落は旧村8軒であることから8年に一度が廻りの当家になる。
この年の当家家は親父さんが亡くなられていることから30歳のお孫さんが当家を勤める。
本来であればトーニンゴになるお孫さんがイネカツギをしてついていくのであるが、トーニンゴとなるひ孫はまだ生まれていない。
志願したおじいさんはお渡り前に一人で担いで出かけて行った。
根無しの稲穂は収穫したばかりの新穀。
葉付きの笹竹に二荷ぶら下げる。
笹竹には2本の徳利もある。
かつては水引で括りつけた竹製の徳利だったそうだ。
予めにしておきたいと話すおじいさんはイネカツギを先に納めておいた。
早朝に当家家に参集していたお渡りの一行は玄関前に立てた笹竹の注連縄を潜っておでましする。
神官を先頭に烏帽子・狩衣(鉾立ではソウと呼ぶ)を着用した当家は日の丸御幣を持つ。
御幣は白と紺色の2枚重ね。
当家のお渡りに氏子は下駄履きの和装姿で神饌を抱えて後方につく。
かつては紋付の羽織袴姿だったと話す。
当家家を出発したお渡りは十数メートルも歩けば鉾立神社に着くぐらいの距離である。
かつては当家家を出発する際に「ワーイ」と唱和をしていたそうだ。
提灯を高く掲げたこの日だけのマツリの鳥居を潜って参進する。
朝日を浴びた御幣が神々しい。
日の丸御幣は前日宵宮に納めた本殿に立て掛けるが、宵宮のような当家の奉幣振りの作法は見られない。
宵宮では神官が参進されることがないマツリの在り方。
また、宵宮の御幣には半紙に包んだ御供があったが、マツリの御幣にはそれがないことから鉾立のマツリは宵宮が主体であるような気がした。
神社に到着した一同は手水で清めて社殿下に並ぶ。
鉾立神社は三社ある。
春日神社と熊野神社も祀っている。
祓えの儀、献饌を経て神官が祝詞を奏上する。
その様子を見守る当家の家族たち。
神饌は海の幸のタイ、里の幸のニンジンに山の幸の大きなマッタケも見られた。
大きな二段の鏡餅にスルメ、水引で括ったコンブ、梨、ハクサイも供える三社の神饌は唐櫃に入れて運んできた。
宵宮では当家・氏子とも斎場に上がったが、マツリの場合は神官だけである。
玉串奉奠もそうであって社殿下で奉じる。
撤饌されて神事を終えた一行は参籠所で直会を始める。
鉾立も他所と同じように座料理はパック詰め弁当になったが、カマボコにドロイモ・ダイコン・チクワ・ゴボウの煮ものは欠かせないと云う当家の手料理がある。
マツリの一行に世話を勤めるのは当家家族。
しばらくの時間は語らいの場。
下げた御供や手料理とともにお酒をいただく。
和やか時間が流れていく直会は神さんとともに飲食する。
朝日に輝く日の丸御幣が眩しく鉾立紋・千木が美しい。
鉾立には庚申講もされていた。
掛軸を掲げた前に炊いたアカメシを供えて般若心経を唱える庚申講。
摂待する料理がたいそうだったと話す。
今では料理も出さなくなって、掛軸と徳利を廻すだけになったと云う。
(H25.10.13 EOS40D撮影)
鉾立集落は旧村8軒であることから8年に一度が廻りの当家になる。
この年の当家家は親父さんが亡くなられていることから30歳のお孫さんが当家を勤める。
本来であればトーニンゴになるお孫さんがイネカツギをしてついていくのであるが、トーニンゴとなるひ孫はまだ生まれていない。
志願したおじいさんはお渡り前に一人で担いで出かけて行った。
根無しの稲穂は収穫したばかりの新穀。
葉付きの笹竹に二荷ぶら下げる。
笹竹には2本の徳利もある。
かつては水引で括りつけた竹製の徳利だったそうだ。
予めにしておきたいと話すおじいさんはイネカツギを先に納めておいた。
早朝に当家家に参集していたお渡りの一行は玄関前に立てた笹竹の注連縄を潜っておでましする。
神官を先頭に烏帽子・狩衣(鉾立ではソウと呼ぶ)を着用した当家は日の丸御幣を持つ。
御幣は白と紺色の2枚重ね。
当家のお渡りに氏子は下駄履きの和装姿で神饌を抱えて後方につく。
かつては紋付の羽織袴姿だったと話す。
当家家を出発したお渡りは十数メートルも歩けば鉾立神社に着くぐらいの距離である。
かつては当家家を出発する際に「ワーイ」と唱和をしていたそうだ。
提灯を高く掲げたこの日だけのマツリの鳥居を潜って参進する。
朝日を浴びた御幣が神々しい。
日の丸御幣は前日宵宮に納めた本殿に立て掛けるが、宵宮のような当家の奉幣振りの作法は見られない。
宵宮では神官が参進されることがないマツリの在り方。
また、宵宮の御幣には半紙に包んだ御供があったが、マツリの御幣にはそれがないことから鉾立のマツリは宵宮が主体であるような気がした。
神社に到着した一同は手水で清めて社殿下に並ぶ。
鉾立神社は三社ある。
春日神社と熊野神社も祀っている。
祓えの儀、献饌を経て神官が祝詞を奏上する。
その様子を見守る当家の家族たち。
神饌は海の幸のタイ、里の幸のニンジンに山の幸の大きなマッタケも見られた。
大きな二段の鏡餅にスルメ、水引で括ったコンブ、梨、ハクサイも供える三社の神饌は唐櫃に入れて運んできた。
宵宮では当家・氏子とも斎場に上がったが、マツリの場合は神官だけである。
玉串奉奠もそうであって社殿下で奉じる。
撤饌されて神事を終えた一行は参籠所で直会を始める。
鉾立も他所と同じように座料理はパック詰め弁当になったが、カマボコにドロイモ・ダイコン・チクワ・ゴボウの煮ものは欠かせないと云う当家の手料理がある。
マツリの一行に世話を勤めるのは当家家族。
しばらくの時間は語らいの場。
下げた御供や手料理とともにお酒をいただく。
和やか時間が流れていく直会は神さんとともに飲食する。
朝日に輝く日の丸御幣が眩しく鉾立紋・千木が美しい。
鉾立には庚申講もされていた。
掛軸を掲げた前に炊いたアカメシを供えて般若心経を唱える庚申講。
摂待する料理がたいそうだったと話す。
今では料理も出さなくなって、掛軸と徳利を廻すだけになったと云う。
(H25.10.13 EOS40D撮影)